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「少人数指導の勧め ? 望ましい大学教育」(猪口 孝 氏 / 新潟県立大学 学長)

2012.06.28

猪口 孝 氏 / 新潟県立大学 学長

新潟県立大学 学長 猪口 孝 氏
猪口 孝 氏

 大学は岐路に立っている。年率2桁の成長率で経済発展のみられた時期に飛躍的に拡大した多くの日本の大学は、縮小せざるを得ない状況に置かれている。人口は着実に減少している。とりわけ若者は極端な減少を示している。しかし、圧倒的に多くの若者は大学に進学するものの、そのうちのかなりの多数の若者は人生に対して積極的な態度を保持し、能動的な志向を目指しているわけでない。

 経済は年成長率を低下させ、政府財政は大きな累積赤字を計上している時に、大学教育に大きなメスを入れ、巨大な財政支出を期待することは難しい。私が「望ましい大学教育」と信ずることも現在の大きな状況を念頭に置かざるをえないだろうが、それは最後の方で短く触れることにしよう。

 私が「望ましい大学教育」と信ずるものは2つの信念から成り立っている。第一、人は多様で、その発展は多様であり、個人の多様性を生かすことが大学教育ではとりわけ重要である。義務教育では人間としての共通の規範、規則を遵守し、人間としての身体的、社会的、知的な発展を伸長できるような土台を作ることが必要で、そのために一定の標準化の施策が重要である。例えば、「約束は守る」という規範の遵守、読み書き算盤(そろばん)の習熟などである。

 ところが大学教育ではそのような基盤の上に、もっと個々人の多様性を開花させるような教育が必要である。第二、圧倒的多数の若者が大学教育を志願するようになっているからこそ、多様性を見極めることが重要になる。それは年率経済成長率が2桁の、卒業生大量生産の時期に生まれた大学教育のシステムを、多様性を生かせる小さな大学へと変革していくことである。大学教育における少人数教育の勧めである。

 もう30年以上前に米ハーバード大学学長だったへンリー・ロゾフスキー教授の持論だが、社会には小学校教育に強い社会と大学教育に強い社会があって、前者は日本、後者は米国である。両者は得意でない部分を良くすることがなかなか難しい。日本の教育とりわけ義務教育では、読み書き算盤も社会慣行遵守も強い。米国の大学教育とりわけ大学院教育は、多様性の中から創造的な考えを力強く伸ばしていくところが得意で、発明、発見も多い。

 現在、日本の大学教育の改革を議論するに当たっても、日本社会の得意なところを、大学教育にも当てはめて強くしたいという、日本社会の本能的な気持ちが出ている。日本社会のそのような気持ちも分かるが、あえて私が望ましいと信ずる大学教育像を簡略に描こうと思う。

 私は田舎(新潟)の公立小学校、公立中学校、公立高等学校、そして国立大学(東京大学)で学んだのだが、大学の後半は教養学科という少人数で教わる仕組みの中で学んだ。大学院も日本の大学院は大学紛争で破綻していたので、米国の大学院(マサチューセッツ工科大学)で学位を取得した。米国の大学院でも、少人数で教わる仕組みを得意としていたところで学んだ。自分で言うのもおこがましいが、少人数でしっかりと、学力と情熱の高い教員が教えているところで学んだおかげで、今日の自分があると思う。政治学・国際関係論の分野では、日本在住の学者の中でも私が、グーグル・スカラーなどの被引用指標の最多を記録している。

 現在の日本の大学教育がとにかく少しでも卒業生の学力を向上させる大きな駆動力は、学生の尻をたたくことではなく、教員の学力アップとすべきである。そして、教員の教える情熱を引き出すような仕組みにすべきである。大学教員は国家資格試験から自由である。資格試験の結果なしで誰でもなれる。国家資格試験があれば大学教員の学力がアップになるわけではないが、一定の学力を担保する仕組みが弱すぎると思う。

 もともと日本の大学院教育は、あまり発達しないうちに大量の卒業生を生産する必要に迫られて、大学教員の大量安価生産を余儀なくした。大学教員にもなってからでも博士号を取得する仕組みを工夫したり、教員の資格を10年に1回くらいチェックする仕組みも必要かもしれない。これに劣らず重要なのは「教える情熱」が出やすいようにしなければならない。その第一は、大学教員を「兼業事務員」のように使うことを少なくしよう。「何でも文書にしておかないと駄目」という現在の趨勢(すうせい)が続くと、大学教員をほとんど事務を本業にさせるくらいでないと、大学の財政は破綻しかねない。

 第二は、大学教員の給料をアップしよう。田中角栄の小学校教員の給料アップ以来、小学校教員と大学教員の給料格差は小さい。国立大学でいえば地位が教授に上がると、もうそれ以上にならないために、中央官庁ノンキャリアの給料と大きく違わない。

 このような施策は、中長期的な視野でいかなくてはならない。短期的には「魅力が足らない」と受験生や市場が判断する大学は、次第に静かに消滅するであろう。短期的には、大学教員に大規模に事務を兼業させざるを得ない大学が、増えるのではないだろうか。

 また、大学教員の学力向上のためには、大学を無給休業で、博士号をとってきてもらうようになるかもしれない。小学校モデルが強い社会では、大量生産体制の強いままの大学教育を転換させようとすると、膨大な財政支出を要する。大学教育は利潤を追求しない人間活動であり、しっかりとした公的なインフラ(例えば、一定の学力のある方が大学教員になる仕組み)を絶対に必要とする分野である。

 しかし、大学教育に世の中の人が付与する優先順位はほとんど最低のために、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で、教育支出が国内総生産(GDP)に比して最下位な日本という事実を否定できない。従って、私の望むような大学教育の実現は先の先の話である。そのような見通しを持ちながらも、自分の与えられた環境条件の下で、目標に向かって最善を尽くしている。

新潟県立大学 学長 猪口 孝 氏
猪口 孝 氏
(いのぐち たかし)

猪口 孝(いのぐち たかし)氏のプロフィール
新潟市生まれ、新潟県立新潟高校卒。1966年東京大学教養学部卒、上智大学外国語学部助教授を経て77年東京大学東洋文化研究所助教授、88年同教授、2004年東京大学名誉教授。05年中央大学法学部教授、09年から現職。95-97年国際連合大学上級副学長。00-02年日本国際政治学会理事長も。専門は政治学、国際関係論。政治学博士(米マサチューセッツ工科大学)。『国際政治経済学の構図―戦争と通商にみる覇権盛衰の軌跡』(有斐閣)、『アメリカによる民主主義の推進』(ミネルヴァ書房),(American Democracy Promotion, Oxford University Press)、『現代市民の国家観』(東京大学出版会),(Citizen and the State, Routledge)、『ガバナンス』(東京大学出版会、近刊)など多数。

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