インタビュー

第2回「多数の集団は面白い - 最も単純なシステムをとっかかりに」(坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授)

2009.08.11

坂東昌子 氏 / 愛知大学 名誉教授

「物理学の冒険 - 素粒子から社会物理学への思い」

坂東昌子 氏
坂東昌子 氏

いまや湯川秀樹博士と研究室をともにした素粒子物理学者は数少なくなった。そんな一人で、素粒子物理にとどまらず新しい研究分野への挑戦、さらには女性研究者の研究環境改善から、最近では若手物理学者のキャリアパス拡大支援など社会的活動にも力を注いでいる坂東昌子・愛知大学 名誉教授にこれまでの研究生活を振り返り寄稿していただいた。5回続きでお届けする。

また話が飛んでしまった。ところで、原子分子の多体系から、生物にまつわる「個性のあるものの多体系」にまでいくと、果たして物理学の対象になるのかならないのか。この質問は大変興味深い。とはいえ、いきなり複雑な人間の多体系に一挙に飛んでしまっては、答えは出てこない。最も単純なシステムから始めるべし、である。その適切な素材が、交通流ではなかろうか。交通流では、個性を持つ運転者が主役だが、運転技術を訓練した人のみが運転できる(私などほぼ1年かけて自動車学校に通い免許をとった口だ)。その意味で、原子分子と多少似た性格を持っている。

交通流理論を始めたきっかけは、愛知大学教養部での専門以外の研究者との交流であるが、特筆すべきは、1988年度から始まった学内研究助成制度で共同研究を組むことに弾みがついたことだ。最初は、「情報処理教育の普及過程の研究」だ。

次が、1992年度の共同研究「Perl言語の紹介と応用」である。仲間と学問を話し合う機会を増やしたことで、ひょんなことから新しい研究の芽が生まれるという例である。

交通工学は、モータリゼーションの始まった1950年後半から急速に米国で発展した分野である。当時、これをミクロな立場からアプローチしたモデルとして「車両の運転者は、前方車両、特に直前車両の挙動によって、自分の車両の速度をコントロールする」という運動則から出発した追従モデル(Follow the Car Theory)があった。これは、車の挙動を支配する運動方程式は直前の車両の速度と自分との速度差を感じて加速減速をするというもので、Pipes,Newellなどによって提案された。後でレフリーとのやり取りから、この2人とも物理出身の研究者だったことが分ったが。

この追従モデルが、30年以上にわたって交通工学の基本方程式で、交通工学のテキストにも出ている。ところが、これでは実は自然渋滞を説明できなかった。この原因は、標準的な「追従モデル」の運動方程式では、ドライバーの反応の遅れ(タイムラグ)が出てこないからである。すぐ分ることだが、いくら車が混んできても、例えば電車のように連なっており前の車の動きをすぐとらえて動けば、すいすいと前にいける。高速道路での運転は、前車の動きに反応して後車が反応するので、少し遅れる。この遅れが実は自然渋滞への転移の機動力だった。

これに対して、われわれが導入した模型は、ニュートン方程式にもみられる「慣性」という形で反応の遅れを自然に取り入れた模型であった。さらに、運動の状態をシミュレーションしてみると、非線形理論特有のリミットサイクルが出ることを見つけたのだ。今までの取り扱いで決定的に欠けていたのは、Dynamics(動力学) と Kinematics(運動学) との分離という概念がなかったのではなかろうか。自由流と渋滞流の2つを別の現象と見るのでなく、「法則(運動方程式)」は同じだが、その系の環境や状況によって違った形に発現するという2重性、これがキーポイントだったのである。

もちろん、われわれは、この分野で「新参者」である。提唱したモデルが従来のモデルとどう違うかなどを検討するため、「Operation Research」のジャーナルを土木工学研究室に出かけて借り出し、みんなで逐一点検した。交通工学の教科書の総点検をする必要もあった。このとき、最も励まされたのが、当時京都大学を定年退職後、龍谷大学に移られた故山口昌哉先生の助言である。最初お会いしたのは、名古屋に来られたときであったが、このとき、「面白い」と激励していただいた。そしてすぐに龍谷大学山口研のセミナーで話を聞いていただく機会をつくってくださった。

考えてみれば、この助言と激励がなかったらこの仕事もちょっとしたお遊びでおしまいになったかも知れない。

こうして仕上げた長谷部・中山・杉山さんたちとの論文は、一流のジャーナルに投稿して評価を受けるべし、である。研究の成果を、プレプリント「Dynamical Model of Traffic Congestion and Numerical Calculation」(Aichi 93/1)としてまとめ、米OR学会誌「Operations Research」に投稿した。またパターン形成の解析を中心にした「Structure Stability of Congestion in Trafic Dynamics」(Aichi93/2)を、山口先生のご紹介で入会した日本応用数理学会のジャーナル誌(Japan Journal of Industrial and Mathematical Science)に1993年6月投稿した。記録によると、同年秋に開かれた応用数理学会で発表している。

学会での発表の意義は大きかった。この時、懇親会で、薩摩順吉先生にお会いした。開口一番、「実は京大工学部にいた時、保育所で保護者会の役をしていたので、素粒子の坂東さんという名前は知っているんですが、どういうご関係ですか?」ときかれ、「あ、その坂東です」といって2人で大笑いした。薩摩研究室でのセミナーで講演する機会には、ソリトンで有名な広田先生に議論いただいた。またセミナーで、鋭い質問をされる方がおられ、どなたかと思っていたら、かの有名な戸田盛和先生だとわかってびっくりした。異分野交流は発見が多くとても楽しい。

またその席で鋭い質問をした東大工学部計数工学科の学生から卒論で取り組んでいるので論文がほしいと請求があり、「どうして知ったの?」と聞いたら「学会でうちの先生が聞いたと教えてくれました」とのこと。やはり情報の発信の範囲を広げると思いがけない反応がある。それ以後この学生とたびたび議論をしたりデータや論文をいただいたりした。いただいた論文(越・東大教授研究グループ博士論文や修士論文)は、われわれの模型をさらに発展させ、データと付き合わせるのに大いに役立った。

また1994年1月には、統計数理研究所で「交通渋滞を起こす動的模型」というセミナーをさせていただく機会を得た。統計数理研究所はいろいろな分野の現象を独自の処方を使って解析する日本では珍しい研究所だ。愛知大学で統計や数的処理を教え始め、必要に迫られて手がけてきたデータ分析などを通じて興味を持った、かつての京大基礎物理学研究所がもっていたチャレンジ精神が満ち溢れている。同じく素粒子分野から情報分野に挑戦された先輩格(年は下?だが)の小柳義夫(応用数理学会長もされた)さんから紹介していただいた上田澄江さんに会いに1992年秋、はじめてこの研究所を訪れ、その後「多変量解析」の公開講座に生徒として参加した。その同じ研究所で講演の機会をいただいたのはうれしかった。

セミナーには、つくば市にある日本自動車研究所の方もお見えになった。「結果から見ると、渋滞発生してもあまり輸送効率は落ちないので、トラックの運転手のようによく知っている人はあせらないのだと思います」と言ったところ、「渋滞が発生すると、ストップ・ゴーを繰り返すので、排気ガスも多くなり燃料を多く食います」とのこと。素人の考えを反省させられたものだ。特にその日のセミナーのあと、ご一緒に食事をしてくださった伊藤先生や上田先生ならびに伊庭先生から得たものは大きかった。また東大生産技術研究所の尾崎先生との討論の機会を得て、情報網が拡がった。

(愛知大学 名誉教授 坂東 昌子)

(続く)

坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)
坂東昌子 氏
(ばんどう まさこ)

坂東昌子 (ばんどう まさこ)氏のプロフィール
1960年京都大学理学部物理学科卒、65年京都大学理学研究科博士課程修了、京都大学理学研究科助手、87年愛知大学教養部教授、91年同教養部長、2001年同情報処理センター所長、08年愛知大学名誉教授。専門は、素粒子論、非線形物理(交通流理論・経済物理学)。研究と子育てを両立させるため、博士課程の時に自宅を開放し、女子大学院生仲間らと共同保育をはじめ、1年後、京都大学に保育所設立を実現させた。研究者、父母、保育者が勉強しながらよりよい保育所を作り上げる実践活動で、京都大学保育所は全国の保育理論のリーダー的存在になる。その後も「女性研究者のリーダーシップ研究会」や「女性研究者の会:京都」の代表を務めるなど、女性研究者の積極的な社会貢献を目指す活動を続けている。02年日本物理学会理事男女共同参画推進委員会委員長(初代)、03年「男女共同参画学協会連絡会」(自然科学系の32学協会から成る)委員長、06年日本物理学会長などを務め、会長の任期終了後も引き続き日本物理学会キャリア支援センター長に。09年3月若手研究者支援NPO法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」を設立、理事長に就任。「4次元を越える物理と素粒子」(坂東昌子・中野博明 共立出版)、「理系の女の生き方ガイド」(坂東昌子・宇野賀津子 講談社ブルーバックス)、「女の一生シリーズ-現代『科学は女性の未来を開く』」(執筆分担、岩波書店)、「大学再生の条件『多人数講義でのコミュニケーションの試み』」(大月書店)、「性差の科学」(ドメス出版)など著書多数。

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