レポート

スポーツから暴力やパワハラなくす方策を議論 日本学術会議が公開シンポ開催

2020.02.13

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

 スポーツ界だけでなく教育の現場でも暴力やパワハラの事例が伝えられて社会問題になっている。こうした現状を重視し、問題を解決する方策を探るために日本学術会議(山極壽一会長)が2月8日、「スポーツと暴力」と題した公開シンポジウムを開いた。

日本学術会議が主催したシンポジウム「スポーツと暴力」の様子
日本学術会議が主催したシンポジウム「スポーツと暴力」の様子

 東京都港区の同会議講堂で開かれたシンポジウムは、分野や立場を越えた多様な視点から暴力やパワハラをなくす方策を探るのが狙い。スポーツ界では近年、アメリカンフットボールやレスリング、体操など多くのスポーツで、監督やコーチによる暴力的指導やパワハラが問題になった。また部活動など教育の現場のほか、地域の子どもたちのスポーツでも指導者らの暴力的指導がメディアで大きく伝えられている。問題解決は簡単ではないが、この日のシンポジウムでは、スポーツの世界に詳しい医工学や脳科学の研究者のほか、精神科医やパラリンピックアスリートという多彩な登壇者が研究成果や実体験から貴重な見方や考えかたを紹介した。

 講演や議論に先立って中京大学スポーツ科学部の來田享子教授(日本学術会議連携会員)が、同会議としても自然科学、人文科学の研究者が連携してこの問題に取り組んでいることを紹介した。

 それによると、日本学術会議は2018年11月にスポーツ庁長官から「日常生活でスポーツに親しむことが、個人の人生や社会全体の便益にどう貢献するかを科学的に整理すること」「科学的エビデンスをスポーツ政策にどう反映させていくか」などを含む4つの課題について審議するよう依頼された。同会議はこれを受けて「科学的エビデンスに基づく『スポーツの価値』の普及の在り方に関する委員会(渡辺美代子委員長)」を設置して審議を続けている。8日のシンポジウムもこの委員会の活動の一つとして企画された。同会議は、今回のシンポジウムだけでなく、科学者らが研究分野を越えてスポーツと暴力・パワハラの問題について議論している。

 議論に先立って、暴力とは「身体的制裁」「言葉や態度による人格の否定・威圧・嫌がらせ」「セクハラ」と、これらに対する「傍観」「その他人権を侵害する行為」の5つと定義された。

公開シンポジウム「スポーツと暴力」のポスター
公開シンポジウム「スポーツと暴力」のポスター

指導者には選手との信頼構築が大切

 最初に登壇した東北大学大学院医工学研究科の永富良一教授は、関係しているスポーツ少年団(小・中学生中心で一部高校生)のメンバー約5800人に対して、スポーツとけがに関するアンケート調査を実施し、結果を紹介した。それによると、約15パーセントが暴力(身体的制裁)を受け、約6パーセントが暴言を経験していた。「経験」には自分自身が経験したほか、仲間がそれを受けているのを見たことも含んだ。

 また、指導者に対するアンケートでは、自身が厳しい言葉を経験している人は、経験していない人より2倍近く身体的制裁をしていた。こうした結果について永富氏は「(社会的に問題になった)暴力や体罰が減っても暴言や無視がこれにとって代わるだけなら状況は変わらない」「厳しい指導をした場合、相手と信頼関係がなければハラスメントになる」などと、信頼関係の重要性を強調した。信頼関係を構築するためには指導する側が不断の努力と、指導の狙いなどを伝える努力と工夫が求められるという。

 京都大学大学院医学研究科の村井俊哉教授は精神科医の立場から発言した。村井氏によると、脳の前頭葉に傷害があると暴力的になるが、前頭葉が健全な多くの人は怒りの感情が生じてもそれを抑えることができる。そして、健康な前頭葉を持つ人は共感する力があり、他人の気持ちを分かることが攻撃的な暴力を抑制できる、という。

 また、暴力には、腹が立って殴る、といった「反応性攻撃」と、金を強奪するためといた目的がある「道具的攻撃」とに分けられ、道具的攻撃はモラル(道徳)の有無と関係がある、と説明した。そして、他人の気持ちが分かること、「共感」を持つことが攻撃性・暴力の抑制につながると指摘している。「信頼」をキーワードにした永富氏と共通する視点だ。

世代を超えた暴力の連鎖を絶つことが重要

 この日のシンポジウムのテーマであるスポーツと暴力の問題に関連して村井氏は、暴力を抑える「抑制刺激」を小さい時から持つことが大切で、そのためには親や教育者が子どもに「ほめること(報酬)」と「しかること(罰)」を、バランスをとって与えることが求められる、と述べている。体罰は罰の刺激としては強すぎるので、適切に口頭で伝えることが望ましいとした。そして報酬も罰も一貫性がないと、子どもには伝わらないという。

 村井氏はこうしたことをしっかり認識しないと世代を超えた暴力の連鎖が起きると強調し、こうした連鎖を絶つことの重要性を指摘している。

永富良一氏(左)と村井俊哉氏(右)
永富良一氏(左)と村井俊哉氏(右)

 次にスポーツ界の現場にいる立場からパラリンピックアスリートで射撃選手の田口亜希さん(日本郵船広報グループ)が登壇した。田口さんは高校を卒業後、郵船クルーズ社の旅客船「飛鳥」のパーサーとして世界中を航海していたが、25歳の時に脊髄の血管の病気にかかった。車いす生活になって何かできることはないかと考えて射撃と出会った、という。パラリンピックの射撃選手としてアテネや北京、ロンドンでの大会に出場。現在は日本パラリンピアンズ協会理事などを務め、今夏開催される東京でのパラリンピックの成功に向け奔走している。

 田口さんは登壇後、まず障害者スポーツやパラリンピックの素晴らしさをビデオで紹介した。そしてこの日のシンポジウムのテーマに触れて、自分も周囲の人も、障害者スポーツの世界では暴力やパワハラの例を聞いたことがない、と語った。「障害はさまざまで障害者スポーツもさまざま。多様性を受け入れるのが前提なので、お互いの多様性を認め合うことが暴力のないことにつながっているのではないか」。暴力やパワハラの経験はなかったが、やはり周囲の無理解や不便さを感じたことはあった。最近では障害者スポーツに対する理解や支援も進んだが、施設のバリアフリーやアクセシビリティはまだ十分でないという。

 田口さんは、障害をめぐる課題は障害者だけでなく、妊婦やけがをしている人、高齢者など行動上何らかの不自由を抱えている人に共通するため、東京でのパラリンピックを契機に障害に対する考え方を変え、多様性を認め合う共生社会の実現が求められている、と強調している。

自分の経験からではなく、選手のモチベーションを高める指導が必要

 最後に登壇した東京工業大学で特定教授も兼任するNTTコミュニケーション科学基礎研究所室長の柏野牧夫さんはここ数年、アスリートの脳機能を解明してパフォーマンスを向上させることを目指す「スポーツ脳科学」を研究、実践している。

 柏野さんは冒頭、スポーツは相手に勝つことを目的としているために本来暴力的要素があり、暴力を完全に排除することが難しいことや、指導者とアスリートとの間には上下の権力構造があることなどを指摘した。その上で、本来的に内包する暴力の代わりになるものを科学的に提示することが大切、と話した。そして「脳科学とICTを組み合わせたアプローチ」が解決策の一つのキーワードだと自身の取り組みを紹介している。

 この中で柏野氏は、一流のアスリートであっても客観的な自分の動きと自分が考えている主観的な動きのイメージとの間に乖離がある例を紹介し、多くの指導者が自分の経験だけから「自分のコーチの仕方は正しい」と思い込むことの落とし穴を指摘した。そしてスポーツは言われてやるものではなく、上達してうれしい「上達の快」を大切にする自律的トレーニングが重要だ、と強調。これからのコーチの役割は自身の経験則による強制的な指導ではなく、データの解釈力を持つことや選手のモチベーションを高めることだ、と述べている。

田口亜希さん(左)と柏野牧夫氏(右)
田口亜希さん(左)と柏野牧夫氏(右)

 最後に日本学術会議副会長でスポーツと暴力の問題を担当する渡辺美代子さん(科学技術振興機構副理事)がこの日のシンポジウムを総括した。渡辺さんは「この問題を考えることはスポーツの課題を考えることだけでなく、人間そのものの理解につながり、そこでは人の選別まで可能になるため、倫理の問題としても重要だと思った。スポーツの問題も障害の問題も広く捉えて考えることにより、他人事でなく自分の事と考えることができる。こうしたことを子どもの教育に反映することも必要だと思った」などと述べている。

(サイエンスポータル編集長、共同通信社客員論説委員 内城喜貴)

シンポジウムの登壇者と関係者。左端が渡辺美代子さん
シンポジウムの登壇者と関係者。左端が渡辺美代子さん

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