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レポート - 研究開発戦略ローンチアウト -

第22回「近くて遠い隣国ロシアの科学技術・イノベーション動向」

科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー 石川純子 氏

掲載日:2011年4月23日

石川 純子(科学技術振興機構 研究開発戦略センター フェロー)

研究開発戦略センターの海外動向ユニットでは、2010年度後半、経済力、政治力ともにリーマンショック後、ますます存在感を強めている新興国の科学技術事情を調査しました。そして、その結果は近々、書籍出版の予定です。BRICS諸国のRにあたるロシアを担当しましたので、今回、簡単にその内容を紹介させていただきたいと思います。

 

まだまだ知られていないロシアの実情

国際政治におけるロシアは、大国としてその存在感を十分に発揮しているにもかかわらず、ロシアの経済事情や国民の生活実態は、日本に住む私たちにはあまり馴染みがなく、隣国であるのに距離感を感じる方が多いのではないでしょうか。ソ連崩壊直後の物不足、ハイパーインフレ時代のテレビニュースの映像が強烈だったせいか、いまだに、「ロシアにはモノがあるの? まだ社会主義?」といった質問をされることもあります。

実際のところは、モスクワ、サンクトペテルブルクといった大都市は、欧州の主要都市と何の遜色もない、とても華やかで活気に溢れる街です。2000年以降の世界的な資源高騰の恩恵を受け、天然資源(注1)に恵まれるロシアは、年平均5%を超える経済成長を遂げ、国民は格段に豊かになりました。購買欲の旺盛な国民1億4,200万人を有するロシアは、特に欧州にとって魅力的な巨大新マーケットです。

 

復活の兆しを見せる科学技術

東西冷戦時代、ソ連は米国との政治・軍事的対立の中で、軍事技術開発という観点から科学技術への国を挙げた投資を行った結果、世界初の人工衛星打ち上げ(1957年のスプートニク1号)や有人宇宙飛行(1961年)といった偉業を成し遂げた科学技術大国となりました。

しかし、ソ連崩壊とその後の経済低迷は、これまで100%国家予算で賄われていた科学技術に壊滅的な打撃を与え、ソ連崩壊直前である1990年に、対GDP(国民総生産)比2.03%を占めていた研究開発費は、92年には0.74%と3分の1近くに激減しました。ここ数年の堅調な経済成長を受けて研究開発費は着実に増加していますが、それでも1.04%(2008年)であり、欧州連合(EU)諸国が目標としている3%には遠く及びません。

しかしながら、ロシア政府指導部には、いつまでもソ連時代の過去の遺産や天然資源に頼り続けることはできないという共通の認識があります。特に昨今の世界経済危機で、原油価格が大暴落した際には、石油や天然ガスの輸出で生計を立てているロシアは大きな打撃を受けました。その他の新興国が軒並み堅調な経済成長を記録した中、ロシアだけが大きく経済が落ち込んだのです(注2)

この前後から、国全体のスローガンのように「イノベーション」という言葉が使われ始め、持続可能な経済成長が目指されるようになりました。2009年の大統領教書演説において、ロシア近代化のための優先5分野がメドベージェフ大統領によって発表されました。優先5分野とは、エネルギー効率・省エネ、原子力技術、宇宙・通信技術、医療・製薬、IT・コンピュータ技術です。

 

ロシア版シリコンバレー「スコルコボ・イノベーションセンター計画」

この1年間、ロシアで最もホットな話題の一つが「スコルコボ・イノベーションセンター計画」です。これは、メドベージェフ大統領に近い政治グループがイニシアティブをとって開始されたプロジェクトで、上述の優先5分野を中心にイノベーションの創出と知的資本の集中のための場を設置するというものです。従来型の経済特区とは異なり、研究開発(R&D)に特化し、ロシア内外の企業の研究開発活動と工科大学の教育・研究活動をリンクさせようと計画しています。

プロジェクト全体の采配を振るために、大統領から本プロジェクト運営財団の総裁に指名されたのがロシアを代表する大富豪の一人、ビクトル・ベクセルベルグ氏です。同氏は、石油ガス、鉱業、通信・メディアなど約20のビジネスを束ねるホールディング会社を経営する敏腕ビジネスマンです。海外動向ユニットは、昨年11月にモスクワで調査を行い、スコルコボ・プロジェクト運営財団の国際担当とディスカッションをする機会を持ちました。米国でキャリアを積んだという国際担当は、今までのロシアには見られなかったタイプの洗練されたビジネスマンといった出立ちで、その自信にあふれた説得力あるプレゼンテーションは、プロジェクトサイト自体まだ何もできていない状態にもかかわらず、すべてがうまくいくような錯覚を抱かせるほどでした。欧米の企業は本プロジェクトに積極的な関心を示しており、既にマイクロソフト(米)、ノキア(フィンランド)、シーメンス(独)、Cisco(米)、ボーイング(米)などが協力協定に署名しています。

 

日本との科学技術協力の現状

上記の「スコルコボ・プロジェクト」は、世界市場でのロシアのプレゼンスが限定的であるハイテク分野に相当し、その実力が未知数である中、日本は具体的な協力にまで踏み出せないでいるのが現状です。それに対し、ロシアが伝統的に強みを有する分野や地理的・自然条件面で日本との協力が不可欠な分野では、両国の科学技術協力は想像以上に幅広く長期的に行われています。

その1つが宇宙開発における協力です。米国スペースシャトルの引退に伴い、ロシア製ソユーズ宇宙船が唯一、人の宇宙への移動手段となった今、日本の宇宙飛行士は今後、モスクワ近郊の「星の町」と呼ばれる宇宙飛行士訓練センターで訓練を受け、ソユーズ宇宙船に乗って中央アジア・カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から宇宙へ旅立つことになります。ソユーズ宇宙船は1967年の初飛行以来、基本設計を維持したまま数回の改善を重ねて性能を高めており、安全面での信頼性を高く評価されています。

もう1つが極東地域における、環境や生態系、地球科学の領域における共同研究です。ロシア科学アカデミー極東支部傘下の研究所と日本の多くの大学は、継続的に地震・火山・津波の共同研究や海洋調査を行っています。極東ロシアと日本が極めて近く、環境・生態系において相互依存関係にあることを考えると、今後もこういった協力は継続・強化される必要があります。

ロシアは日本にとってまだまだ近くて遠い隣国ですが、科学技術面でソ連時代の遺産を受け継いだ高いポテンシャルを有するのみならず、今まさに動きつつあるエネルギッシュな国です。政治経済面も含めて、ロシアの動向をウォッチしていこうと思っています。

(注1): 石油の埋蔵量は世界7位、生産量は1位。天然ガスの埋蔵量は世界1位、生産量は2位(いずれも2009年のデータ)。そのほか、石炭、金、プラチナ、ニッケル、ダイヤモンドなども世界有数の埋蔵量を誇る。
(注2): 2009年のGDP成長率は-7.9%。
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