筆跡をなぞる際に起きるズレを情報理論に基づく「エントロピー」の指標で解析し、繰り返しながら修正していく学習過程を可視化することに、中京大学などの研究グループが成功した。これまでスポーツの上達の過程を見る研究は多く行われていたが、筆跡の修正過程を研究したものはなかったという。「スランプ」を経て上達していることも明らかになった。今後はリハビリテーションや、AIの学習にも応用したいとしている。
中京大学スポーツ科学部の山田憲政教授(スポーツ心理学・バイオメカニクス)らは、ヒトがある動きを体得するまでの過程について研究してきた。山田教授は以前、自身の研究室に所属していた金城大学経済学部の村上宏樹助教と共に、手を標的に向かって繰り返し伸ばす動作を解析し、その始まりから終わりまでの運動軌道にみられる「ばらつき(乱雑さ)」が、学習によって徐々に収束する過程をエントロピーで可視化する手法を開発していた。
最初は下手でも、何度も繰り返しその動きをすることで乱雑さが減少し、最終的には習得につながる。また、今までできていたことが何らかの事故によってできなくなったものの、再びできるようになるようなリハビリの過程でも、同様の現象が起きる。
一方で、このような動きの体得は、いつもと異なる環境や道具ではミスが起こりやすいことが分かっている。脳が経験・学習したことが動きと直結する「内部モデル」に乱れが生じるためだ。
そこで、この一連の流れについて、文字でも同じことがいえるのか検証した。既存のひらがなやカタカナ、漢字では上手・下手の判断が主観的になりやすく、定量化しにくい。そのため、直線と折れ線が使われており、対称性がある星マークを用いて実験することにした。字が上手になりたい人が、見本に沿って書く練習をするものの、うまくいかない場面を想定した。
まず、iPadに星マークを映し出し、そのiPadの前に鏡を置く。被験者は手元を隠した状態でiPadペンシルを握り、鏡に映っている星マークのお手本の線をiPad上でなぞる。理想とする姿が脳に浮かんでいても、自分の思うように手が動かない状況に陥る。とりわけ、前後の動きは逆転して見えるという視覚と運動の不一致が起こり、内部モデルが崩れる。

これを学生数人に行わせたところ、1つの星マークを完成させるのに10分くらいかかる学生や、酔ったような状態になり気分が悪くなる学生もいたため、そのような学生を除外し、数分間で取り組める男子学生に被験者になってもらった。星マークを100回書くトレーニングを行い、お手本の線とのズレについて、1秒間に60個のデータを取った。星マークの辺ごとにデータを解析し、筆跡の乱雑さをエントロピーによって可視化し、お手本からズレた距離も調べた。
その結果、星マークのまっすぐな部分は乱雑さが少なく、スムーズにiPadペンシルを動かすことができ、お手本からのズレも少なかった。しかし、斜めの線の部分は乱雑さが大きく、思い通りに書けていなかったが、回数を重ねると解消されていった。また、お手本からの距離も最初は離れており、一度はお手本に近づいたが、その直後から再びズレるようになり、最終的にはお手本をたどれるようになった。この状態は、運動でいう「スランプ」や「プラトー」と同じ状況だった。

山田教授によると、字が上手になりたくて、習字などのお手本に沿って文字を書く学習の際にも同様のことが言える可能性があるといい「ある部分はお手本通りにスムーズに書けても、別の部分はうまくいかないというように、明確に分かれていることに驚いた」としている。なお、このようにうまくいかない部分を繰り返し学習することで、上達につながることが示唆されたため、「文字を書くというスポーツとは異なる場面における学習の過程を追うことができて良かった」と話している。
成果はスイスの学術誌「エントロピー」に4月30日に掲載され、中京大学が金城大学と共に5月13日に発表した。
関連リンク
- 中京大学プレスリリース「世界初!筆跡の「うまさ」を数値化―うまくなる過程をエントロピーで可視化―」