強い恐怖の体験をいつまでも忘れられない「トラウマ記憶」が脳でつくられる仕組みの一端を解明したと、自然科学研究機構生理学研究所(愛知県岡崎市)などの共同研究グループが発表した。マウスの動物実験で、恐怖の体験をすると脳の「前頭前野」に新しい神経細胞ネットワークができることを確認。研究成果は心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの難治性精神疾患の治療法研究につながる可能性もあるという。
トラウマ記憶は突然呼び起こされ、フラッシュバックとも呼ばれる。実生活にさまざまな不自由を強いることがある。これまでの研究で大脳皮質の前頭前野が関わり、多くの神経細胞の集団によって保持されていることなどは分かってきた。しかし、脳神経細胞の情報処理ネットワークの構造は複雑でトラウマ記憶ができる詳しいメカニズムは解明されていなかった。
生理学研究所の揚妻正和准教授、鍋倉淳一所長や大阪大学産業科学研究所の永井健治教授のほか、東京大学、玉川大学、メキシコ自治大学、名古屋大学も参加する共同研究グループは、トラウマ記憶がつくられる前と後とで同一の神経細胞集団の活動がどのように異なるかを比較することが重要と考えた。
そこで、光学を応用して生きた動物の脳を長期的に計測できる手法や、人工知能(AI)の機械学習解析に着目してトラウマ記憶に関わる神経細胞集団の活動を高精度に選別する手法を開発。最新の数理解析技術も使い、マウスでトラウマ記憶の実体を解明する研究を続けた。
研究の中心となるマウスの実験では、マウスに無害な音を聞かせながら微弱な電気を流すとこの電気刺激がトラウマの引き金となり、その後は同じ音を聞かせるだけで恐怖反応の「すくみ行動」を示すことを利用。恐怖反応を手掛かりに、新たに開発した手法や技術を駆使してトラウマの基になる体験(トラウマ体験)ができる前後の脳の神経細胞集団の活動変化を調べた。
その結果、トラウマ体験をすると前頭前野に新たにトラウマ記憶の神経細胞の情報処理ネットワークができることを確認。ネットワークは恐怖を感じる体験によって特定の神経細胞集団の内部結合が増加することによりできることが判明した。この内部結合は「トラウマ体験(弱い電気刺激)」に強く活動する神経細胞集団に、トラウマ体験に無関係だったはずの音に反応する神経細胞集団が結び付いてできることが分かった。つまり、トラウマ記憶は、この2つの神経細胞集団の結合により新たな情報処理ネットワーク(経験依存的ハブネットワーク)が形成されて生じるという仕組みが明らかになった。
研究グループは、今後トラウマ記憶に関わる一連の細胞集団の働きを抑える技術ができれば、PTSDなどトラウマ記憶による弊害を緩和することができる可能性があるとしている。
一連の研究は科学技術振興機構(JST)、日本学術振興会、日本医療研究開発機構(AMED)などの研究支援を受けて進められた。
関連リンク
- 生理学研究所プレスリリース「トラウマ記憶はどのようにして脳内に作られるのか〜光と機械学習で脳神経細胞ネットワークレベルの変化を初めて解明〜」