アメリカの作家、ヘミングウェイは1936年の短編小説「キリマンジャロの雪」でキリマンジャロ山頂付近の雪の上に干からびた凍ったヒョウを書いた。日本の研究チームは76年の時を経て、別のアフリカの高山の氷河の上で多数の新しいコケの集合体を見いだした。
熱帯の高山に残された氷河は、地球温暖化で急速に縮小しており、消滅する危機にある。赤道直下のアフリカ、ウガンダとコンゴ民主共和国の国境にあるルウェンゾリ山(5109m)の氷河もそのひとつだ。その氷河がコケを中心とする生物の集合体で覆われていることを、国立極地研究所の植竹淳(うえたけ じゅん)特任研究員らが発見した。他の氷河で見られる微生物の集合体より大きく、ユニークな存在だった。謎の多い熱帯氷河の生態系を解明する手がかりになりそうだ。千葉大学、早稲田大学、長岡技術科学大学、京都大学との共同研究で、11月17日に米オンライン科学誌プロスワンに発表した。
氷河の表面は生物が生きづらい環境のように思えるが、実はさまざまな好冷性、耐冷性の微生物が生息している。こうした氷河上の生物圏は環境変動の影響を受けやすい。極域ではその面積が非常に広大で、生物圏として重要であるという認識が広がりつつある。しかし、ヘミングウェイの名作にもかかわらず、アフリカの熱帯氷河の生態研究の報告は少なく、研究の空白域だった。
アフリカには、赤道直下に氷河をいただく標高5000m以上の3つの高山、キリマンジャロ山(タンザニア)、ケニア山(ケニア)、ルウェンゾリ山(ウガンダ、コンゴ民主共和国)が存在する。アフリカ第3の高峰のルウェンゾリ山の氷河も、温暖化や湿度低下などで急速に後退しており、航空写真や衛星画像の分析から2020年ごろに消滅するのではないかと予測されている。研究グループは、消失が目前に迫っていながら、生物学的な調査が行われていないルウェンゾリ山の氷河の現地調査を2012、13年に実施した。
山頂近くの氷河の表面に、楕円形をした黒色の有機物塊がたくさん分布していることを発見した。平均の大きさは、長径18.7mm、短径12.7mm、厚さ8.3mm、重量1.6g。氷河上の有機物塊としては、これまでにシアノバクテリアを中心とする集合体が報告されているが、その大きさは0.2-2.0mm 程度で、今回見つけた有機物塊はそれと異なる新しいものだった。
顕微鏡で観察すると、有機物塊は主にコケ植物の原糸体とその上に形成された大量の無性芽で構成されていた。研究グループはこの有機物塊を氷河コケ無性芽集合体(glacial moss gemmae aggregation: GMGA)と名付けた。GMGA中のコケ無性芽は、その形態的な特徴と遺伝子データの相同性から、南極からも報告されているコケのCeratodon purpureusと判定した。
GMGAから培養したコケ原糸体とGMGAそのものについて、培養温度を変化させて光合成活性を測定した。それぞれ5℃でも活性があるが、最適の光合成温度は20〜30℃で、南極で報告された同種の至適温度より高かった。氷河の表面は融解期でも0℃に近い温度だが、現地のGMGAの内部温度は日中に8〜10℃まで上がっていた。GMGAの構造が十分に厚くて氷河からの冷気を遮断し、日射で吸収した熱を保持しやすくなったためと考えられる。「年間を通して気温の日周変化が0〜5℃で安定し、長期の凍結期間がない熱帯の気象条件が、GMGAの氷河上への侵入、形成の要因になった」と研究グループはみている。
今回氷河上で発見されたGMGAは、氷河が融けたばかりの植生のない岩の上でも、乾燥した状態で多数見つかった。この乾燥したGMGAには、氷河上には存在していなかった他のコケ(Bryum sp.)が優占して、氷河に削られたばかりで植生のない岩の上にいち早く土壌のような物質を形成していた。氷河上のGMGAがその周辺の生態系と結びつき、熱帯高山植生にも影響している様子がうかがえた。
植竹淳特任研究員は「GMGAは形と大きさがチキンナゲットに似ているので、われわれはナゲットとも呼んでいる。この集合体が成長するのにどれくらいかかるか、はまだわかっていない。熱帯氷河が消滅してしまえば、GMGAを中心とした特殊な生態系も消えていく。研究は緊急の課題だ。今後は、詳細な熱帯氷河生態系の形成プロセスを解明するとともに、その消滅までをモニタリングしていきたい」と話している。
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