縄文文化の常識を覆したことで知られる三内丸山遺跡を当時の縄文人が放棄せざるを得なかった理由は、寒冷化による植生の変化であることが東京大学の研究者たちによって突き止められた。
川幡穂高・東京大学大学院新領域創成科学研究科教授(同大学海洋研究所教授)らは、日本最大級の縄文集落跡、三内丸山遺跡(青森市)の当時の気候を調べるため、遺跡から20キロ離れた青森県・陸奥湾の堆積物(水深61メートル)を採取した。海底の堆積物は環境の変化を連続的に記録していることから、正確な年代や水温決定ができるためだ。
この結果、三内丸山遺跡が栄えた約5,000年前は、遺跡付近の海水温は今より2.0℃ほど温かったが、4,200年前に突然寒冷化したことが分かった。2.0℃の水温差は、当時の遺跡付近の気温・海水温が230キロ南、今の仙台あるいは酒田付近の気温・水温だったことを意味する。現在、大きな実のなるクリ林は、山形県あるいは宮城県南部以南に限られるが、当時は三内丸山遺跡付近でも大きなクリが採れたことを裏付けるこれまでの遺跡発掘調査結果とも符合する。
川幡教授らは、三内丸山の集落が成立したと言われている約5,900年前に陸の気温が急に上昇し、特にドングリやクリなどが繁茂したほか海産物も豊富に採れるようになったことが三内丸山のような大集落を可能にした、と見ている。
日本全体の人口は縄文時代最初期(12,000年前)の約2万人から三内丸山遺跡が存在した縄文時代中期にはピーク(約26万人)に達した後、晩期には再び減少(約8万人)している。これは三内丸山遺跡の盛衰と合う。さらに三内丸山遺跡付近が急に寒冷化したのとほぼ同時期(4,000-4,300年前)には、中国の長江周辺や西アジアのメソポタミアなどの文明も衰退しており、アジアの中緯度域でほぼ同時に見られたこれらの現象は、寒冷化あるいは乾燥化などの影響が原因かもしれない、と同教授らは言っている。
現在、地球温暖化対策では世界の平均気温上昇を約2.0℃以内に収めることが大きな目標とされているが、年平均気温での2.0℃という気温変化、しかも速いスピードでの変化は特に一次産業などが主体の共同体に大きな衝撃をもたらすことが懸念される、と川幡教授らは指摘している。