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「青と白の神秘な地球の残像を伝えるのが僕の仕事」 絵描きになったアポロ飛行士、86歳で亡くなる

掲載日:2018年6月5日

1969年にアポロ12号に乗船し、米国による2回目の月面着陸を成功させて4人目の月面歩行者になった元米航空宇宙局(NASA)宇宙飛行士のアラン・ビーン氏が5月26日亡くなった。86歳だった。月から帰還後73年には米国の宇宙ステーション「スカイラブ」で船長も務めたが、81年に引退し絵描きになった。 米国メディアによると家族に見守られながら静かな最期だったという。

ビーン氏は1932年に米国テキサス州で生まれた。地元の高校を卒業後テキサス大学で航空宇宙工学を学び55年に卒業。米海軍のテストパイロットを経て63年にNASAの宇宙飛行士に選ばれた。アポロ9号の予備飛行士になった後、69年にアポロ12号に搭乗した。サターンⅤロケットによる12号の打ち上げは、初の有人月面着陸を果たした11号による世界的快挙の約4カ月後のことだった。「世界中がアームストロング船長の11号の快挙に沸き上がっていたからものすごく緊張したよ」。ビーン氏は1997年の秋、当時通信社のワシントン特派員だった私にそう語ってくれた。打ち上げ時に落雷に見舞われるアクシデントもあったが12号の飛行は順調で米国による2回目の月面着陸を果たした。そしてビーン氏は4人目の月面歩行者となった。月面では31時間31分を過ごした。

写真1 2009年7月に米航空宇宙博物館(ワシントンDC)で開かれたイベントで講演するビーン氏(NASA提供)
写真1 2009年7月に米航空宇宙博物館(ワシントンDC)で開かれたイベントで講演するビーン氏(NASA提供)
写真2 アポロ飛行士当時のアラン・ビーン氏(NASA提供)
写真2 アポロ飛行士当時のアラン・ビーン氏(NASA提供)

「透明な青と暖かな白のまだら模様の球体が神秘な光を放っていた」

ビーン氏と当時会った場所は、テキサス州ヒューストン郊外の閑静な住宅街にあった彼のアトリエだった。「頭上から右に20度の方向に大きな丸のままの地球が浮かんでいた。透明な青と暖かな白のまだら模様の球体が暗黒な天界でひとり神秘な光を放っていた」「足元には真っ黒なクレーターが地球の明かりに照らされて浮かんで見えたよ」。

21年前、当時ビーン氏は65歳。月面から地球を見た残像の記憶は驚くほど鮮明で実に詳細だった。アポロ計画で月面に立ち、宇宙に浮かぶ球体の地球を眺めた飛行士は12人。月面で宇宙を眺めた時の残像にその後の人生が変わった飛行士は少なくなかった。中でもビーン氏は絵描きの道を選んだ。「地球に帰って自分は何を後生に残せるかと考えた。結局月面の風景をそのまま伝えることが仕事だと思ったんだ」。

「地球の美しさに見とれているとやがて太陽が月面から13度の角度まで昇ってきた。クレーターの影がくっきりとしてくるんだ」。そう詳細に語ったビーン氏の絵は光と影に徹底的にこだわっていた。亡くなる直前まで月面から見た地球の光を脳裏に焼き付けていたのだろう。

「月面には12人の人間が立った。でもこんなことは自分にしか出来ないと思った」と物静かに語っていた姿が今でも目に浮かぶ。21年前の秋に120点描いたと話していたから亡くなるまでに描いた絵画は数百点を超えただろう。 晩年の絵も観てみたかった。

写真3 月面に降り立つビーン氏(NASA提供)
写真3 月面に降り立つビーン氏(NASA提供)
写真4 月面で月表面の土を採取するビーン氏(NASA提供)
写真4 月面で月表面の土を採取するビーン氏(NASA提供)

ビーン氏と前後してアポロ14号の飛行士だったエドガー・ミッチェル氏らにもインタビューした。ミッチェル氏は既に2016年2月に85歳で亡くなっている。ミッチェル氏は1971年1月31日に打ち上げられたアポロ14号にほかの2人の乗員とともに乗り込んだ。コンピューター誤作動など何度もトラブルを乗り越え同年2月5日月面を踏んだ。月面に最も長く滞在したアポロ飛行士だった。 地球帰還後、宇宙人の存在を示唆する発言などから一部では変人扱いされたが、実際に会った印象は物静かな哲学者だった。ミッチェル氏は帰還後「青い地球に万物を動かす神の存在を感じた」と語り、宗教家というよりは思想家、哲学者として静かな余生を送った。

「暗黒の宇宙を前に月面に立った時、宇宙との一体感、というか体も精神も宇宙に広がっていくという恍惚(こうこつ)感に突然襲われた」「宇宙、月、地球、そして今生きている自分の存在は偶然ではあり得ない」。そう語っていたミッチェル氏の話も強く記憶に残っている。

写真5 月面に立ったエドガー・ミッチェル宇宙飛行士(1971年2月5日、NASA提供)
写真5 月面に立ったエドガー・ミッチェル宇宙飛行士(1971年2月5日、NASA提供)

月面に立った12人の貴重な体験と記憶を未来の世代に

アポロ計画を振り返る。冷戦時代の1961年4月に当時ソ連のガガーリン宇宙飛行士が世界初の有人宇宙飛行に成功した。この快挙に強い衝撃を受けた当時のケネディ大統領が提唱してアポロ計画がスタートした。69年7月20日にアポロ11号のニール・アームストロング船長が人類で最初に月面に降り立った。その後、事故を起こして月面着陸できなかった13号を除き、72年12月に打ち上げられた17号まで6つのアポロ宇宙船が月面に着陸した。月面に立った人類はこの計画による12人だけだ。

アポロ15号のジェームズ・アーウィン飛行士は「月面で神の啓示を受けた」と帰還後宗教財団をつくって伝道師になったが、その後61歳の時に心臓発作で亡くなった。アームストロング氏はNASAを退官後実業家として成功。晩年も講演活動などをしていたが2012年に亡くなっている。12号のピート・コンラッド氏、14号のアラン・シェパード氏も既にこの世を去った。

宇宙はビッグバンとともに約137億年前に誕生した。地球の誕生は約46億年前。現在NASAを中心に太陽系外の惑星探査計画が進められ、生命存在の可能性がある惑星を探そうとしている。魅力的な計画だが生命を育む惑星が見つかるかどうかは未知数だ。世界の多くの識者が美しい地球の唯一無二の存在価値を強調してきた。有人火星探査計画も進められているが実現の時期は分からない。「球体の美しい地球」を眺めた人類は当面12人を超えそうにない。

日本でも名が知られたアポロ飛行士の多くが亡くなった。生存している飛行士も80歳を大きく超えているだろう。月面で暗黒の宇宙に浮かぶ美しい地球を自らの目で凝視したアポロ飛行士たち。既にこの世を去った飛行士たちの証言やそれぞれの物語は書物やインタビュー記事などさまざまな形で残されているはずだ。彼らの貴重な体験と記憶は、美しい地球の残像の記憶とともに永遠のメッセージとして未来の世代に伝承されてほしいと思う。

(サイエンスポータル編集長 内城喜貴)

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