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部分最適化の落とし穴?

掲載日:2011年4月24日

「日本は自分の企業だけよくなればよい、と部分最適化をやり過ぎて、全体で駄目になっているように見える」。昨年10-11月、当サイトのインタビュー欄に登場願った西成 活裕・東京大学先端科学研究センター 教授の言葉だ(「無駄をそぐ-サービス業のイノベーションとは」第6回(2010年11月9日)「スモール・イズ・ビューティフル」参照)。

福島第一原子力発電所事故の発生と、その後の東京電力の対応を見て似たような思いを抱いた人はいないだろうか。実際に北澤宏一・科学技術振興機構理事長などは、原子力発電所の事故は原子力工学者たちが「部分最適化」ばかりを追求してきた結果ではないか、という感想を漏らしている。北澤氏は、日本学術会議が急きょ立ち上げた「東日本大震災対策委員会」のエネルギー政策の選択肢分科会委員長を務めている。

西成氏は「無駄をそぐ」という多くの科学者が尻込みしそうなテーマに挑み、さまざまな提言や実践を続けている。氏の主たる武器は数学だが、理論だけではなく現場を必ず見て現場の人と議論するという研究姿勢があちこちから頼られる理由に見える。高速道路の渋滞を解消する方策、国際空港化した羽田空港の物流渋滞解消策、メッカ巡礼時の混雑解消策、東京大学事務部門の無駄そぎ策など、かかわった仕事は数多い。

部分だけ最適化したところで全体がよくなるわけではないというのは、こうした一連の研究、社会実装の実績から得られた重要な知見のようだ。「部分最適化」が足を引っ張る分かりやすい例としては、自分の工程を一生懸命やろうとしてあるところだけが生産性を上げても、工程間のスピードがずれて途中の在庫増をもたらすだけ、といったことを挙げている。こうした場合、どうすればよいのか。どこか遅れている工程があったら、自分の所も作らなければよいというのだ。そういうことが見通せるのは「周辺視野」を持っているからで、現実は自分のところだけ見ている「中心視野」の人があまりに多い。他の工程が見えている本当の職人ほど周辺視野が発達している、という。

原子力発電所の安全確保に関する考え方はどうだったのだろうか。原子力発電所の部分部分を比較したら、日本の原発技術は世界一と威張れる可能性があるようだ。では、原子力発電所全体の安全とは何かを実際によく知る「周辺視野」を持つ人、具体的には今回のような破壊的事態を避ける最後の手もしっかり打っておくことができる。そんな原子力専門家が東京電力や原子力安全・保安院、原子力安全委員会などになぜ、いなかったのだろうか。

今回の事故では、天下りの問題も蒸し返された。国民投票をしたら多分、天下りはよくない、という意見が多数を占めるに違いない。天下る側の役所とそれを受け入れる側の企業・団体の部分最適化にすぎない、と感じる人の方が多いと思われるからだ。一方、次のような意見もある。

「日本は『自己責任』『小さな政府』など、部分最適を一段と強化する方向に向かっている。合成の誤謬を排して社会全体の効率性を高めるためには政府の適切な介入が不可欠なのだが…」(大和総研ホールディングス 情報基盤統括部、高橋 正明氏「全体最適の北欧・部分最適の日本」)

氏の言う合成の誤謬とは何か。「日本は各企業が個別に効率化を進める『部分最適』なので、社会全体では『合成の誤謬』をおこし、結果的には非効率になってしまう。一方、北欧は社会全体での効率化を優先した『全体最適』なので、企業単位では非効率に見えても、社会全体では合成の誤謬が避けられているため、非常に効率的なのである」

冒頭に紹介した西成 活裕・東京大学先端科学研究センター 教授は、次のように言っている。「『ここだけは日本の技術として頑張ろう。そうしないと中国や韓国に勝てない』とトヨタや日産、ホンダが連携していかないと危ない」

日本にとっての全体最適を求めるにはどうすればよいのだろう。大企業同士が連携するだけでも相当の効果がある、と考えるべきなのか。あるいは行政機関が大きな役割を果たさないとできない、と…。

福島第一原子力発電所事故は、あらためてこうした議論を巻き起こしつつあるように見える。

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