レビュー

若い研究者が夢を持てる日本にするには

2008.01.04

 1月1日付の科学新聞に載った対談記事で、吉川弘之 氏・産業技術総合研究所理事長と北澤宏一 氏・科学技術振興機構理事長が、日本の未来を切り開くため、という観点から縦横に語り合っている。

 両氏とも、政府の監督を受ける独立行政法人の長であるが、「アクター」として長年、研究現場にいた(る)という自負からか、その主張は明快だ。

 「イノベーション25というのは一読した限りでは失望しました」、「(教育)再生会議で、教師を親に判断させるなんて言っている。とんでもない」(いずれも吉川弘之 氏)

 「日本の公的科学技術予算は米欧に比較して、ここ10年の間に非常に見劣りする状況となってきたと言わざるを得ません」(北澤宏一 氏)

 対談記事の中から、キーワード的なものを探すと「夢、モチベーション」、「アクター」、「NPO」といった言葉になるだろうか。

 「夢、モチベーション」は、今の日本がポスドク問題を含め、あまりに若者に対して夢やモチベーションを持ちにくい国になってしまっている、という文脈の中で語られている。

 「現在のポスドク1万5000人ぐらいのほとんどが科学技術基本計画に関係して比較的集中している研究投資の対象になっている機関によって雇われている。…恐らく7割ぐらいの人たちはいわゆる任期付き研究者です。終わったらやめなければならない」

 こうした実態を挙げて、吉川 氏は、次のように厳しい指摘をしている。

 「これは若者から見れば一種の詐欺行為。…こういった制度間の矛盾が日本にはたくさん出てきて、これが基本的に若者がいわゆる社会という仕組みに対する信頼感や、モチベーションを失っている原因だと思っています」

 一方、北澤 氏は、科学技術予算が米欧に比べて見劣りしている現状を引いて「日本だけが完全に停滞時代に入って、その間に世界は動いているという状況です。国全体としても、今後への日本の努力目標を失っているように見えます」と、厳しい現状認識を示した。

 では、「先進国の中でただ1つ『若者たちが夢をなくしている』とされる日本」(北澤 氏)をどうすればよいのか?

 ここで出てくるのが「アクター」という言葉だ。いろいろな計画をしたり制度を作ったりする「デザイナー」に対し、「その制度を実際に動かしている」(吉川 氏)人々という意味で使われている。吉川 氏によると「学校教育のアクターは先生なのだから、先生が自分でやることが大事で、親がなんと言おうともやる、そういう部分がなかったら、絶対に人というのはよくならない」。研究者も教師と同様「アクター」であり、「アクターに権限を与え責任を付与する社会に変わってこなければいけない。これは教師に限らず科学技術もそういう面がある…。研究者自身が、ルールについてかなり自由な判断ができるようにした方がよい」(吉川 氏)というわけだ。

 これに対して、北澤 氏も賛同すると同時に、次のようにアクターとしてのNPOの役割の重要性を指摘している。

 「日本には、アクターで一つ足りないものがあります。…『正義感に基づいて活動する仲間集団』、例えば学協会、NPO、NGO、ボランティアグループが日本では足りないのです」

 この点について両氏の意見は一致している。「公的機関ではできないことがたくさんあり…、そこでいろいろな大学や企業の人が集まって議論していいアイデアがぼんぼん出てくる」(吉川 氏)、「行政はNPO的なセンターを支援すべきです」(北澤 氏)。

 若者にどのように夢やモチベーションをもたせるかという、より直截的、具体的な方策になると両氏の考えには違いがある。これはもともと、100点満点の答えがあるはずはない、ということの反映だろうか。

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