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福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書要旨

掲載日:2012年3月2日

「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調、委員長・北澤宏一・前 科学技術振興機構 理事長)が2月28日に発表した調査・検証報告書の要旨。

 

◇ 第1部「事故・被害の経緯」

 

第1章:福島第一原子力発電所の被災直後からの対応

事故(昨年3月11日)の直接の原因は、津波に対する備えが全く不十分で、電源喪失による多数の機器の故障が発生したことに尽きる。設計で用意された原子炉注水手段から代替注水へと、速やかに切り替えることができなかったことが決定的な要因となり、放射性物質の放出を抑制することができなかった。

  • 津波、シビアアクシデントに対する備えの不足、事前の対策が不十分であった。
  • 連絡系統の一部に混乱が見られた。
  • 複合災害の影響で、通信や輸送の手段が限られた。
  • 隣接するプラント(1-4号機)の事故の影響を受け、作業が困難だった。
  • 関係者全員の「安全」に関する考え方が不十分であった。

 

第2章:放射性物質の影響とその対応

政府は比較的早い段階から、今回の事故による被ばくはX線撮影やCT検査、航空機による海外旅行と同程度といった比較を提示していたが、自主的な被ばくと事故による被ばくの違いを考慮していなかった。また十分な放射能の量が提示されていなかった状況なので、より不信感を招いた。記者会見での「直ちに健康への影響はない」との表現も、国民に「それでは、いつかは影響があるのか」という疑念を抱かせた。

  • 科学的知見があいまいな中での避難指示や自主避難などについて、国民に対する責任を国や東京電力はどうするのか、十分な議論は行われていない。
  • 政治判断の妥当性は検証されつつあるが、確定できない確率的事象について判断を迫られる「科学」と社会の問題の検証は行われていない。このようなリスク不明の中で政策を決定しなければならない難しさを、当事者がどのように判断したのか疑問だ。

 

◇ 第2部「原発事故への対応」

 

第3章:官邸における原子力災害への対応

官邸の初動対応は危機の連続だった。専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、次々と展開する危機に場当たり的な対応を続けた。決して洗練されたとは言えない、稚拙で泥縄的な危機管理であった。少なくとも3月15日に政府と東京電力の福島原発事故対策統合本部が設立されるまでの間、官邸の現場への介入が原子力災害の拡大防止に役立ったかどうか明らかではなく、場面によっては無用の混乱と、事故がさらに発展するリスクを高めた可能性も否定できない。

官邸が不慣れなアクシデント・マネジメントへの関与を深めていった背景要因には、(1)マニュアルの想定不備と官邸側における周知・認識不足、(2)東京電力および原子力安全・保安院に対する官邸の強い不信感、(3)原子力災害の拡大に関する強い危機感、(4)菅首相(当時)のマネジメントスタイルの影響(重要な意思決定のプロセスや判断に主導的役割を果たそうとするトップダウン型へのこだわり、強く意見を主張する傾向) – があった。

 

第4章:リスクコミュニケーション

政府は国民の不安に応える確かな情報提供者としての信頼を勝ち取れなかった。リスクに関するあいまいな説明、政府内や東京電力との間での発表情報の混乱、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)など政府が持っている情報の開示の遅れなど、政府の情報発信に国民の不安や失望感が深まった。海外にも脆(ぜい)弱な情報発信しか行われなかった。

 

第5章:現地における原子力災害への対応

  • オフサイトセンター:福島第一原発から約5キロメートルと近く、コンクリート構造ではあったが、被ばく放射線量を低減するための換気設備を設置していなかった。地震被害も大きく、通信回線の問題、放射能による避難範囲の拡大などにより、施設として機能しなかった。
  • 自衛隊・警察・消防:官邸の指示で、各機関個別に原子炉建屋への放水・注水活動を強いられた。しかし各機関には、東京電力から施設の配置や放水目標などの必要な情報提供がなかった。官邸主導の政府・東電対策統合本部からは、現地の被害状況、各機関の対応状況が把握されないまま指示が出されたことで、各機関の役割分担や指示事項が明確にならず、十分に機能しなくなった。
  • SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム):仮定の放出源情報に基づく計算結果であるとして、3月11日以降になされたSPEEDIの予測データは官邸トップに上がらなかった。さらに原子力安全・保安院と原子力安全委員会、文部科学省にも「避難に役立てる発想」や情報共有の意図はなかった。原発が最も危機的な状況だった同11-16日の対策には全く活用されず、屋内退避など住民に対する予防的行動を検討することにも活用されなかった。
  • 避難指示:事故発生後から24時間に4回、異なる指示が出された。これが不安や混乱の原因となり、安全圏にいる人までもが避難し、あるいは幾度も避難所の移動を強いられることになった。政府が20-30キロメートル圏内の住民に要請した「自主避難」は、防災指針には存在しない概念で曖昧で、住民に不安を与えた。事故後40日以上も経ってから30キロメートル圏外の飯館村方面に「計画的避難区域」が設定された。見直しは早く行うべきであり、同方面への放射能拡散は3月12日の時点にSPEEDIで予測されていた。

 

◇ 第3部「歴史的・構造的要因の分析」

 

第6章:原子力安全のための技術的思想

  • 原子力施設の「安全」確保に対する一義的な責任は電気事業者にある。
  • 国際原子力機関(IAEA)による「深層防護」の意味や重要性について、原子力関係者の間ですら正しく理解されていなかった。
  • 福島第一原発事故では、津波によって全交流電源と直流電源を喪失したことから、事故の拡大を抑止できなかった。同原発と同じ沸騰水型軽水炉(BWR)について、米原子力規制委員会(NRC)は1987年に、外部電源やディーゼル発電機の信頼性の低さから、全交流電源喪失事故のリスクが高いことを指摘していた。福島第一原発でも米国の動向に学び自主的に発電機を追加したが、わが国固有の津波によるリスクを考慮していなかった。
  • 経年劣化対策の観点から、プラント全体の旧式化への対策を強めていれば、全電源喪失の危険性に意識が向けられた可能性は否定できない。

 

第7章:福島原発事故にかかわる原子力安全規制の課題

  • 「規制の役割」は、電気事業者が安全確保の責任を十分に果たしているかを、規制機関が適切に監督することだ。
  • 原子力防災指針には、自然災害や武力攻撃などと原子力災害とが複合した場合の対策は明示されていない。福島第一原発事故では、関係機関が「備え」がないまま手探りで対応せざるを得ず、避難指示などでの混乱につながった。
  • 地震や津波などの外部事象のリスクに対する認識が、規制関係者に不足していた。
  • 原子力安全・保安院は、2003年に規制支援機関の原子力安全基盤機構(JNES)が設立されて以降は、技術的な専門性が完全にJNES任せとなり、原子力安全・保安院とJNESとの間で乖離(かいり)が進む結果となった。
  • 原子力安全・保安院と文部科学省(旧科学技術庁)の対立は、実効的な規制政策を行う上で障害となってきた。
  • 原子力安全・保安院と原子力安全委員会のダブルチェックの必要性は薄れ、その体制の有効性も疑問だ。
  • わが国の原子力安全規制システムにおいて、「安全文化」が十分に醸成されていなかった。

 

第8章:安全規制のガバナンス

  • 安全規制ガバナンスは、政府が原子力安全を目的に基準を策定し、法制度を定め、それを電気事業者に履行させることで成立する。
  • わが国の原子力行政は長い間の文部科学省(旧科技庁)と経済産業省(旧通産省)の「二元推進体制」、および原子力委員会と原子力安全委員会の「二元審査体制」によって、原子力推進と規制の区別が曖昧となり、2001年の省庁再編で原子力安全・保安院が成立されて、安全規制ガバナンスの「無責任状態」が生まれた。
  • 原子力安全・保安院は「プロ集団」と言うにはほど遠く、人材の脆弱さが今回の原発事故の危機対応が遅れる直接の原因となった。電力会社とは、資源エネルギー庁時代からの「もたれあい」関係が続いていた。
  • 原子力安全基盤機構(JNES)は2007年以降、日本の沸騰水型軽水炉(BWR)は溢(いっ)水した場合に炉心損傷の確率が高いこと、日本の原発は津波のリスクが高く炉心損傷の発生の可能性があることなどを報告していた。原子力安全・保安院は安全規制に反映しなかった。
  • 原子力安全委員会は、平時の安全規制を司る機関であり、法的な権限や規制の実効性を担保する手足を持たない存在だった。安全委員長は、危機時の首相への助言者となるが、権限や役割の明確な規定はなく、原子力災害対策本部の本部員ですらない。
  • わが国の原子力行政は、国が政策を推進し、電力会社が原発を商業運転するという「国策民営」体制で進められてきた。東京電力は業界のリーダーとして、国の政策決定にも深く関与してきた。
  • 東京電力は2000年7月に、原発13基の自主点検記録の改ざんが明らかとなった。このトラブル隠し事件(2008年8月に調査結果公表)を教訓に、東電と国はこれまでの規制や組織を改革したが、逆に原発の安全向上とは反対の方向に向かい、福島第一原発事故の遠因にもなった。

 

第9章:「安全神話」の社会的背景

  • 「安全神話」を作り出す主体となったのは「原子力ムラ」と呼ばれる集団だ。
  • 「原子力ムラ」には大きく3つの含意がある。1つは、原子力行政・原子力産業における推進体制としての「中央の原子力ムラ」、もう1つは、原発や関連施設の立地自治体の「地方の原子力ムラ」、さらにこの2つの「ムラ」による原子力推進体制に関心や批判的な目を持つことなく、結果的に「安全神話」を追随することになった「一般国民」だ。
  • 福島第一原発事故を目の当たりにしても、「中央の原子力ムラ」は早々と「事故収束宣言」を出し、定期検査によって停止している原発の再稼働を進めようとしている。原発立地自治体の選挙結果に見られるとおり、「地方の原子力ムラ」も、今回の原発事故によって多くの人が避難し、厳しく困難な生活に直面していることを知りつつも、原発と共存することを選んでいる。
  • 2つの「原子力ムラ」の強固さにより、人々の意識や精神の中に「安全神話」が取り込まれ、「原発は安全であること」を信じることが社会を構成する基盤となっている。
  • 「原子力ムラ」が生み出した「安全神話」は、福島第一原発事故の遠因となった諸事象の基盤をなす「遠因の遠因」だ。

 

◇ 第4部「グローバル・コンテクスト」

 

第10章:核セキュリティへのインプリケーション

  • 福島第一原発事故は、電源喪失が深刻な事態をもたらすことなど、原発におけるセキュリティ上の脆弱性を示す結果になった。

 

第11章:原子力安全レジームの中の日本

  • 国際社会への情報発信については、外務省主催のブリーフィングが毎日開催されたが、内容や方法については課題を残した。
  • 事故後に原子力安全・保安院や東電からの外務省や国際原子力機関(IAEA)への情報量は次第に改善していった。しかし、提供された数字などの情報をどのように解釈し、具体的な政策や措置に反映させていくのか、科学コミュニケーションの能力が欠如していた。
  • 日本はアジアの「原子力先進国」として、原子力規制レジーム(規範、慣行)における「優等生」を自負し、原子炉の運転上の問題などについては、他国と指摘し合うような環境になかった。原子力の国際体制の観点から見ると、日本は国際レジームとの整合性に配慮しながらも、独自の理論の中で発展していった「ガラパゴス」のような状態にあった。

 

第12章:原発事故対応をめぐる日米関係

  • 米政府は事故後の最初の数日間は情報収集に努め、日本側の事故収束策を見守り支援要請を待つ姿勢を維持した。しかし事態の悪化とともに、情報共有がなされていないことに対してフラストレーションを募らせた。その一方で、日本は当初、米側からの支援申し入れに慎重な姿勢だった。
  • 米政府は3月16日に、無人偵察機グローバル・ホークによる観測で、原子炉がメルトダウンを起こしていると判断した。日本側に積極的に関与する姿勢に転換するとともに、米原子力規制委員会(NRC)も一転、原発周囲50マイル(80キロメートル)圏内の在日米国民に避難指示を出した。

 

最終章:福島第一原発事故の教訓 – 復元力をめざして

  • 福島第一原発事故では“最後の頼みの綱”の冷却機能が失われたのに、その対応が12日早朝までなされなかったことで「人災」の性格を色濃く帯びている。その「人災」は東電が全電源喪失過酷事故に対して「備え」を組織的に怠ってきた結果だ。
  • 3月15日が「運命の日」だった。放射能を「閉じ込める」堤防はここで決壊し、どこの住民をいつまでに、どこへ逃がすかなど、その対応を判断するためにSPEEDIは使われなかった。SPEEDIもオフサイトセンター同様、結局は原発立地を維持し、住民の「安心」を買うための「見せ玉」にすぎなかった。
  • 原子炉への海水注入に関する吉田昌郎・福島第一原発所長の“独走”は、東電本店の意思決定力の弱さと「ガバナンスの貧困」の裏返しだ。東電本店は、現場の起案に明確な方針も的確な対案も示さず、ただ“迷走”していた。
  • 危機に直面した政府は、「想定外」を放置したままの穴だらけの原子力災害マニュアルでは、事故に対応できなかった。有事対応も「最悪のシナリオ」も全く用意せずにこのようなマニュアルを放置してきた、歴代政権の政治的責任も問われなければならない。
  • 国民も危機管理に責任を負う。「小さな安心」の消費者としてだけではなく、「大きな安全」の建設者として、社会と政治に参画する責任である。

 

(了)
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