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「富岳」 コロナ対策などで成果続々、省エネ性能も世界最高峰【探訪 メガサイエンス】

2023.08.09

プロジェクションマッピングで富士山の映像が映った「富岳」本体
プロジェクションマッピングで富士山の映像が映った「富岳」本体

 「探訪 メガサイエンス」の第2回では、日本が誇る理化学研究所のスーパーコンピューター「富岳」を紹介する。2020年春、猛威を振るいだした新型コロナウイルスの感染シミュレーションでベールを脱ぎ、3年あまりの間に数々の成果を残してきた。今なお世界トップクラスの性能を誇る「富岳」の驚異的なスペックと、それを支える設備の実態に迫る。

大谷選手の変化球解明や線状降水帯の予測に活躍

 米大リーグの二刀流スーパースター、大谷翔平選手。その投手としての活躍を支えている大きく曲がる変化球「スイーパー」の秘密を、「富岳」が解き明かした。東京工業大学などの研究チームによる分析の結果、回転軸の傾きのためにボールが下に落ちづらく、横に大きく流れることが分かった。

 また、気象庁は6月から「富岳」で集中豪雨をもたらす線状降水帯の予測に向けたシミュレーションによる予報実験を始めた。期間は10月まで。同庁は去年から線状降水帯の発生を予測する情報を提供しているが、従来のスパコンを用いた手法では予測精度は今ひとつ。「富岳」を用いて解像度の高い観測データをもとに計算することで、精度の向上を目指している。

 その「富岳」があるのは、神戸市の沖合に位置する人工島ポートアイランドの一角だ。神戸の中心地・三宮からポートライナーで15分ほど揺られると計算科学センター駅に到着。駅から歩いてすぐの場所に理研計算科学研究センターがあり、「富岳」はそこで稼働している。先代のスパコン「京」に置き換わる形で設置された。

計算科学研究センターの外観。手前に立つオブジェは、そろばんの珠で「京」の計算速度の桁数を示している。「富岳」は最大でその100倍以上の計算速度を誇る。
計算科学研究センターの外観。手前に立つオブジェは、そろばんの珠で「京」の計算速度の桁数を示している。「富岳」は最大でその100倍以上の計算速度を誇る。

完成前に飛沫感染のシミュレーション

 この「富岳」を日本中で有名にしたのが、ウイルスを含む飛沫(ひまつ)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のシミュレーションだ。この結果はテレビ番組などで何度も紹介され、それによって「富岳」の名を知った人も多いだろう。同センター複雑現象統一的解法研究チーム坪倉誠チームリーダー(神戸大学大学院システム情報学研究科教授)らの研究成果だ。

 この他にもコロナ禍の経済影響を予測するシミュレーション、治療薬候補の探索、ウイルスが細胞に感染する仕組みの解析など、いろいろな角度からCOVID-19に関する研究を行い、科学の世界にとどまらず、社会的に大きく貢献した。計算科学研究センターのセンター長を務める松岡聡さんは「感染を抑えつつ、国内総生産(GDP)の大幅な落ち込みを防ぐことができました」と胸を張る。

 実は、これらの研究は「富岳」が完成前の試験運用期間に行われた。「京」の後継機として、2019年12月から製造や設置が進んでいた。2020年初めのCOVID-19流行で物流などがストップしたが、それでも同年2月の段階では全体の6分の1が既に動作しており、その時点で既に「富岳」の性能は日本一だった。その段階で、対COVID-19のプログラムを緊急にスタートさせたのである。

 世界的な危機に完成前から対応できたのは、「富岳」の上で動かせるいろいろなサイエンスやアプリケーションを事前に研究開発していたからだと松岡さんは説明する。「今までのスパコンでは、多くのアプリはマシンが完成してからマシンへの適用が始まり、本格的に動くのは完成から1〜2年後という感じでした。しかし、『富岳』は日本のスパコンとして初めて、科学の非常に広い分野でマシンとアプリを同時に準備したのです」

 事前に準備していたアプリの中にCOVID-19対策に転用できるものがあったから、いろいろな研究にいち早く着手できた。この取り組みは国内だけでなく世界的にも注目され、飛沫感染の研究はスパコンを用いた優れた科学技術分野の研究を表彰するゴードン・ベル賞でCOVID-19研究特別賞を2021年に受賞した。

ゴードン・ベル賞COVID-19研究特別賞の授賞式の様子(向かって左から2人目が坪倉さん、3人目が松岡さん、理化学研究所計算科学研究センター提供)
ゴードン・ベル賞COVID-19研究特別賞の授賞式の様子(向かって左から2人目が坪倉さん、3人目が松岡さん、理化学研究所計算科学研究センター提供)

1秒間に50京回以上の計算が可能、汎用性も両立

 2021年3月から本格的な運用を始めた「富岳」は1秒間に50京(京は1兆の1万倍)回以上の計算ができる。これはスマートフォン2000万台分にあたる性能だという。日本人全員が一斉に休みなく計算しても100年以上かかる計算を、たった1秒間で行ってしまうほどの性能だ。しかも、同時に汎用性(はんようせい)を重視したため、スマホと同じプログラムが動く。このように性能と汎用性を両立させたのが「富岳」の新たな特徴だ。

 コンピューターと聞くと、机の上に乗っているものやノート型のものを思い浮かべる人も多いだろう。だが、「富岳」は建物1棟を使っている。「富岳」が設置された計算機棟は地下1階、地上3階になっていて、メインシステムは3階の計算機室にある。

 計算機室に入ると、サッカーコート半分ぐらいの広い部屋に幅85センチ、奥行き140センチ、高さ220センチほどの四角い箱のようなものが整然と並べられていた。これが「富岳」の本体となる筐体(きょうたい)だ。計算機室に432台が横12列、縦36列にきれいに設置されている。筐体と筐体の間隔はどこも同じくらいだ。

筐体が整然と並ぶ計算機室
筐体が整然と並ぶ計算機室

 1つの筐体には基盤を192個も積み重ねている。1つの基盤にはCPU(中央演算装置)のチップを2個取り付けているので、1つの筐体の中には384個のCPUチップが入っている。さらに、CPUチップの中には48個の個別のCPUを集積。CPUは1つだけでもコンピューターとして立派に働くことができるものだが、「富岳」はそれらを一つのチップに多数集積し、さらにそれらを超高速ネットワークで接続して、全体を一台のスパコンとして動かしている。

40倍のスピードでも消費電力は2倍

 世界のスパコンの性能は半年に一度発表されるランキングによって示される。「富岳」は試験運用段階だった2020年前半から2021年前半まで「TOP500」、「HPCG」、「HPL-AI」、「Graph500」の4つのランキングで1位に輝いた。2023年前半の段階でも、「HPCG」と「Graph500」で1位、「TOP500」で2位、「HPL-AI」から名称を変更した「HPL-MxP」で3位と、世界最高レベルの性能を維持している。

 高性能であるがゆえに、4人家族の使用する電力の約4年分にあたる20メガワットを1時間で使用する。ただし、「京」の最大で100倍以上のスピードを誇る「富岳」の消費電力は、実際の運用では「京」の2~3割増しほどで済んでいる。「富岳」は省エネ性能も世界最高峰なのだ。

 「富岳」が高速で計算を進めると、1つ1つのCPUに大量の熱が発生する。計算機本体のある計算機室は空調によって室温がセ氏20度程度に保たれているが、それだけではCPUを冷やせない。そこで、計算機全体に水冷のパイプをわたし、それぞれのCPUに密着した冷却用のヒートシンクに15度程度の冷水を流して冷やす水冷方式を採用している。

熱源機械棟の1階には巨大な冷凍機がずらりと並ぶ
熱源機械棟の1階には巨大な冷凍機がずらりと並ぶ

 空調機器やCPUを冷やす冷却水をつくって送る設備、電圧を変換する変圧器などは、計算機棟の下の階や隣の熱源機械棟に設置され、「富岳」の安定運用を支えている。熱源機械棟にはガスタービンで電気をつくる発電設備があり、「富岳」で使用する電力の一部をまかなっている。「災害などによって停電しても、この設備から電気が供給されるので、ファイルシステムにある『富岳』の計算結果などを失わないようになっています」と、案内してくれた計算科学研究センター施設運転技術ユニットの松下聡さんは説明する。

建物と地盤を切り離した免震構造

 さらに計算機棟は、700トンもの「富岳」を含む重い設備が大地震でも損傷を受けないように、建物と地盤を切り離した高層ビルと同じ免震構造を備えていて、阪神・淡路大震災級の地震からも「富岳」は守られている。

地震対策のため、本体設置床面の間に十分な空間がある
地震対策のため、本体設置床面の間に十分な空間がある
地下の免震構造について説明する松下さん。左はU型鋼製ダンパー、右は鉛ダンパー。大地震があっても「富岳」の機能に支障が出ないよう、揺れを吸収できる造りになっている
地下の免震構造について説明する松下さん。左はU型鋼製ダンパー、右は鉛ダンパー。大地震があっても「富岳」の機能に支障が出ないよう、揺れを吸収できる造りになっている

次世代はAI「科学者」が人間の相棒に

 「富岳」は今この瞬間も計算を行っていて、新たな成果を出し続けている。アプリも多く用意され、スパコンの専門家でなくても「富岳」の計算資源を簡単に使える仕組みも整備された。さらに、既に「富岳」の先のスパコンについても考えられている。松岡さんは「これからは科学研究を進めていくために、スパコンを用いた高度なAI技術を科学に大いに取り入れていくことが大切です」と話す。

 昨今のChatGPTのように、大規模スパコンは同時に、人間の知性を模倣するかのAIの形成を可能にしてきている。そのような高度なAIは、従来のシミュレーション同様に、科学技術の発展に大いに貢献する可能性があり、その研究が進み始めている。例えば、人間では処理しきれない大規模な観測データから何かを発見したり、スパコンでも「重い」シミュレーションをAIによる近似に置き換えて高速化したりというように。

 科学を前に進めるためには、科学研究にそのようなスパコンを用いたAIを、シミュレーションと密に結合して取り入れる必要があるというのが松岡さんの考えだ。「『富岳』の次の世代のスパコンではAIの『科学者』が構築され、人間のよい相棒として新しい発見をする手助けをするかもしれません」

ドイツ ハンブルクで開催されたHPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング)に関する国際学会「ISC2023」の展示会場に設置された巨大模型前で「富岳」の説明をするセンター長の松岡さん
ドイツ ハンブルクで開催されたHPC(ハイパフォーマンス・コンピューティング)に関する国際学会「ISC2023」の展示会場に設置された巨大模型前で「富岳」の説明をするセンター長の松岡さん

 まるでアニメや映画の話のように聞こえるかもしれないが、10年後にはAI技術を当たり前のように使う世の中になっている可能性は大いにあり、科学技術はその最先端の活用をしていくであろう。「富岳」からスパコンがどのように進化していくのか、注目していきたい。

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