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スパコン世界一の「富岳」が新型コロナ研究で早くも威力 治療薬開発などでの成果に期待

2020.06.26

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信客員論説委員

 理化学研究所(理研)と富士通が共同で開発・整備を続けているスーパーコンピューター(スパコン)「富岳」が、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の治療薬開発や感染予防などの研究で早くも威力を発揮している。いずれも理研が神戸大学や京都大学などと連携する共同研究で、研究者らの意識やモチベ―ションは高い。富岳は今月22日には計算速度の世界ランキングで1位になった。新型コロナを克服するためにも、世界に誇る日本のスパコンの成果、活躍が期待されている。

スパコン世界一に輝いた富岳(理研計算科学研究センター提供)

コロナ禍克服に求められているスパコンの威力

 COVID-19は世界規模での感染拡大が止まらない。米ジョンズ・ホプキンズ大学の集計では、世界の感染者は25日に940万人を、死者も48万人をそれぞれ超えている。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は19日に「パンデミック(世界的大流行)が加速している。世界は危険な新局面に入った」と警戒を呼び掛けた。パンデミック終息のめどはまったく立っていない。

 こうした厳しい状況が続くうえ、新型コロナウイルスについては依然未解明なことが多い。世界中でワクチンや決定的な治療薬の開発競争が進んでいる中、多様な研究を支えるデータサイエンスやさまざまなシミュレーションに威力を発揮する高い計算能力を誇るスパコンが注目されてきた。

 東京都を中心に国内の感染者数が日々増加して緊張が高まっていた4月7日。文部科学省と理研の計算科学研究センターは、富岳をCOVID-19の研究をけん引するために試験利用すると発表した。治療薬の発見や感染予防に関するシミュレーションなどに生かすと宣言したのだ。

 富岳は昨年8月に運用が終了したスパコン「京(けい)」の後継機で、理研と富士通が開発、整備中だ。開発費は京とほぼ同じ、1100億円の見込みだ。計算速度は最終的に京の約100倍を目指している。2021年度に本格利用を始める予定で、現在は完成時の能力には至っていないが、さまざまな研究に十分貢献できると判断された。

 富岳の“先輩”京について少し振り返る。京の開発計画は政府が主導して2006年に始まった。富士通が共同で開発を進め、2012年9月に共用運用を開始した。毎秒1京回(京は兆の1万倍)計算できる能力を持っていた。国内外の大学や公的研究機関、企業などに活用され、スパコンの威力が発揮される地球環境や防災、生命科学、医学・医療といった分野の公的研究ばかりでなく、数多くの企業の開発研究に貢献した。

 京は共用運用前の2011年にスパコンの計算速度の世界ランキングで2回連続世界一に輝いた。しかしその後、中国や米国のスパコンに押されて順位を大きく落としていた。このため政府は「次世代スパコン」を開発する方針を決め、2014年度から富士通と共同で後継機開発を進めてきた。それが後に命名された富岳だった。京と同様に神戸市中央区の理研計算科学研究センターに設置され、京に勝る運用成果が期待されている。

 文部科学省によると、COVID-19研究の分野で富岳に期待しているのは(1)新型コロナウイルス治療薬候補の同定、(2)新型コロナウイルス表面のタンパク質の動的構造予測、(3)パンデミック現象や対策のシミュレーション解析、(4)新型コロナウイルス関連タンパク質に対する「フラグメント分子軌道計算」――の4課題で、今後課題の追加もあり得るという。フラグメント分子軌道計算とは、生体内のタンパク質を標的とする新薬の開発に際して活用できるとされる手法で最近注目されている。

富岳によるCOVID-19治療薬候補探しの概念図(理研/奥野恭史氏ら研究グループ提供)

「一日も早いパンデミックの終結に貢献する」

 「富岳の最も重要なミッションの一つは、国民の安全安心を強大な計算能力で守ることだ。新型コロナウイルスによる国難に対して、診断・治療から感染拡大防止などにおける科学をベースとした対応に、稼働準備中の富岳の能力を大幅に前倒しして速やかに提供し、一日も早いパンデミックの終結に貢献する」。富岳にはもともと画期的な創薬につながるシミュレーション成果が期待されていたが、COVID-19の研究に本格導入するに際して理研計算科学研究センターの松岡聡センター長は4月にこのようにコメントしていた。

 富岳は、石川県かほく市にある富士通ITプロダクツで製造され、大きな装置は分散して72台もの大型トラックにより計算科学研究センターに順次運ばれ、5月13日に搬入を完了した。6月16日に報道陣に公開されたばかりだが、既に課題研究が精力的に進められ、松岡センター長の期待に応えるように早くも成果を挙げ始めている。

 まず「新型コロナウイルス治療薬候補の同定」の課題。分かりやすく言うと、新型コロナウイルスが持つタンパク質の分子レベルの動きを、スパコンの威力で精密にシミュレーションして治療薬の候補を探す試みだ。

 この研究は京都大学大学院医学研究科の奥野恭史教授がリーダーだ。新型コロナウイルスには増殖に欠かせない働きをするタンパク質がいくつかある。これらのタンパク質に結合して働けないようにする薬を探すことができれば、ウイルスの増殖を抑えることができる――。こうした発想に基づいている。

 奥野教授らによれば、富岳のずば抜けた計算能力を使えば、国内外の臨床試験が行われている抗ウイルス薬だけでなく、既存の薬剤を含め2100以上の薬の中から治療候補薬を探すことができるという。複数の薬について同時に計算できるために2つ以上の薬を同時に投与した場合の抗ウイルス効果を調べることも可能。さらに、分子レベルでタンパク質と薬剤の結合の様子が分かれば、薬がどのようなメカニズムで効果をもたらすかも解明が見込める。

 この研究グループによると、どの薬がどのタンパク質にどのように結合するかを正確に計算することは京でも難しく、せいぜいタンパク質と結合してからの振る舞いを計算するのが限界だった。しかし富岳では、薬とタンパク質が出合うところから再現できるという。

新型コロナウイルスと化合物の結合シミュレーション(理研/奥野恭史氏ら研究グループ提供)

ウイルスの挙動に迫る

 新型コロナウイルスについてはまだまだ未解明なことが多い。ウイルスそのものの挙動もよく分かっていない。この課題研究は重要だが、富岳を活用して「ウイルス表面のタンパク質の動的構造の解明予測」も行われている。理研生命機能科学研究センターの杉田有治チームリーダーが代表を務める。

 新型コロナウイルスは増殖するために人体内の細胞に侵入しなければならない。細胞にはレセプター(受容体)タンパク質があり、そこにウイルス表面のタンパク質が結合することでウイルスは細胞内に入る。ウイルスが「合鍵」を使って細胞の「鍵」を開けるようなものだが、この鍵を使えないようにすればウイルスの侵入を防ぐことができる。細胞の鍵となるレセプタータンパク質の立体構造は、特殊な電子顕微鏡により明らかになりつつあるが、タンパク質は常に動いていて構造は少しずつ変化する。このためウイルスの合鍵がどのタイミングで細胞の鍵を開けるのかはよく分かっていない。

新型コロナウイルス表面のタンパク質(理研/杉田有治氏ら研究グループ提供

 杉田チームリーダーらによると、この研究では、細胞の鍵を作っている多数の原子の動きを富岳で計算(分子動力学計算)し、実験では難しかったレセプタータンパク質の形の変化を明らかにし、ウイルスの合鍵との結合状態を解明する。そしてこの結合を阻害する薬の開発につなげるという。

 室内環境でのウイルス飛沫感染の予測と対策についての研究も注目されている。神戸大学大学院システム情報学研究科の坪倉誠教授がリーダーを務め、理研のほか、豊橋技術科学大学や京都工芸繊維大学、大阪大学、鹿島建設と共同で研究を続けている。

 新型コロナウイルスはせきやくしゃみ、発声による飛沫(ひまつ)のほか、微小な飛沫によるエアロゾルによっても感染が広がるとされている。感染のリスク評価をするためには飛沫やエアロゾルの飛散経路を正しく推定する必要があるが、飛散経路は空気の流れや湿度、温度などに複合的に影響を受ける。このため飛散経路の推定のために膨大な計算が求められる。そこで期待されているのが富岳に実装した超大規模熱流体解析ソフト「CUBE」という。

 坪倉教授らの研究グループが「CUBE」などを駆使した飛沫の動きをシミュレーションする研究では既にいくつも貴重なデータが得られている。結果は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためには混雑した電車内や向かい合った形で会話することを避けることが重要なことなど、これまで既に指摘されてきたことだったが、スパコンの計算結果と一致したとなるとがぜん説得力が出てくる。

 いくつかのシミュレーション結果を紹介しよう。

◎「電車内で窓を開けると閉めた時より換気量を2~3倍増やすことができるが、混雑した車内では換気にむらができるため、乗客間に十分な隙間を確保する必要がある」。換気には一定の効果があるものの、とにかく満員電車を避けて時差通勤を徹底することの大切さを示している。

列車内の飛沫・エアロゾル感染リスク評価(理研、神戸大学、坪倉誠氏ら研究グループ提供)

◎「オフィスでのパーティションは高さが120センチだと効果は限定的。140センチだと効果があり、飛沫が10分の1に抑えられる」。これは机や椅子を横一列に並べにくいオフィスの飛沫対策に参考になりそうだ。このほか不織布マスクの効果についても、顔との間に隙間があると飛沫は40~50%漏れることなど、参考になる具体的な結果が得られたという。

4人着席時の感染リスク評価。左は高さ120センチのパーティション。右は同140センチのパーティション。青い部分が飛沫の拡散状況を示している(理研/神戸大学/坪倉誠氏ら研究グループ提供)

富岳を運営する研究者の責任と自負

 富岳は、COVID-19の感染拡大による社会・経済への影響を推定する研究にも活用されている。この研究には理研のほか、筑波大学、東京工業大学、兵庫県立大学、琉球大学、早稲田大学など多くの大学や研究機関や企業が参加している。例えば、活動自粛により特定地域で一定期間、経済活動が止まった場合の1日あたりGDP(国内総生産)に与える影響予測では、活動自粛が2カ月間続くとGDPが最大7.8ポイント低下するとの結果が出たという。

 富岳は計算速度の世界ランキング「TOP500」で1位に輝き、先代の京以来8年半ぶりに日本のスパコンが首位を奪還した。計算速度は毎秒41京5530兆回。心臓部の中央演算装置(CPU)を15万個つなげて動作させる設計でずば抜けた高速化に成功。2位に約2.8倍の性能差を付けた。

 富岳は計算速度部門のほかに、実際に企業などがアプリケーションを使う場合の性能に注目した部門、ビッグデータを扱う能力を見る部門、人工知能(AI)で活用される計算能力を評価する部門でも1位になった。世界初の4冠だ。今回の朗報から突出した計算速度に注目しがちだが、多様な分野への応用が可能である3部門でもトップに立ったことの意義は極めて大きい。

 理研計算科学研究センターの松岡センター長は23日、オンラインでの記者会見で「富岳は圧倒的な差をつけて1位になったが、まだ100パーセントの機能を発揮していない。今後は国民が高い関心を持つさまざまな社会の問題や世界の問題を解決していく」などと語った。

23日にオンラインで会見する松岡聡センター長

 松岡氏の4月のコメント「一日も早いパンデミックの終結に貢献する」とともに「新型コロナウイルスによる感染症克服のために科学や科学技術は何ができるか」という世界中の科学者、研究者に突き付けられた重い命題に正面から向き合う覚悟を感じた。そして、多額の国費が使われたスパコンを運用する担当者としての責任と成果に対する自負もうかがえた。期待したい。

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