日本の科学技術を支え、世界トップレベルの成果を出している巨大な施設が、国内にはたくさんある。現地取材でその実態に迫る企画「探訪 メガサイエンス」の第1回は、世界のビッグスリーの1つに数えられる大型放射光施設「SPring-8」と、併設されたX線自由電子レーザー施設「SACLA」。理化学研究所放射光科学研究センターが運用し、物質の細かな構造や現象などミクロな世界の根源に迫るための共同利用施設だ。さまざまな大学や研究機関、企業が利用しており、科学や産業の進歩に貢献している。
緑の中で異彩を放つドーナツ型の建物
山陽新幹線を相生駅(兵庫県相生市)で降り、路線バスに揺られて急坂を上ることおよそ30分。長いトンネルを抜けると車窓の風景は一変し、近未来を思わせる緑豊かな街が広がる。兵庫県たつの市、上郡町、佐用町にまたがる播磨科学公園都市だ。
このエリアは「人と自然と科学が調和する高次元機能都市」というコンセプトで1980年代から開発が進められており、学校や研究施設、医療機関などが建ち並ぶ。その中でひときわ異彩を放っているのがSPring-8だ。標高341メートルの三原栗山を取り囲むようにして建てられたドーナツ型の建物で、直径はおよそ500メートルで東京ドームの2.5倍。1周すると1500メートルほどの距離になる。
SPring-8は1997年から稼働しており、豊富な実績を有する。近年では、日本の小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウから持ち帰ったサンプルを非破壊でCTスキャンして分析し、その内部構造や磁硫鉄鉱などの鉱物分布を明らかにした。それによってこれらの鉱物が原始太陽系の外縁部で形成された可能性が示唆され、注目を集めた。
今年4月には福井県立大学が、国内で見つかった恐竜「フクイラプトル」の化石に残された骨組織を可視化することに成功したと発表。同じくSPring-8の非破壊CTスキャンを活用した。手間暇かけて化石の薄片を作り、顕微鏡で観察する従来の手法に匹敵する結果が得られた。数の限られた貴重な標本を扱う研究に大変有効だという。
こうした非破壊分析に威力を発揮するのが「放射光」という特殊な光だ。ドーナツ型になっているのはこの放射光を生み出すためである。SPring-8では、8ギガ(ギガは10億)電子ボルトという巨大なエネルギーにまで電子を加速させ、ほぼ光速で進む電子の軌道を磁場によって曲げることで、高強度の放射光を発生させている。電子の軌道が円状になるように電磁石を設置し、強力な放射光を次々に出せるようにしている。
熱膨張を抑えて精密に測定、57本のビームラインが稼働
放射光は赤外線、可視光線、紫外線、X線、ガンマ線と幅広い波長領域を網羅しているが、SPring-8では主にX線を利用して、いろいろな物質の姿をとらえている。このX線は健康診断などで使われるレントゲンの1000万倍以上の強さをもち、顕微鏡でも見られないナノサイズ(1メートルの10億分の1ほどの大きさ)の微細な構造を確認できる。
SPring-8の建物の中に入ると、たくさんの機器が目に飛びこんでくる。実験ホールと呼ばれるゾーンは円の内側と外側に壁があるが、円周方向には壁がないので、遠くを見れば建物が曲がっているのがよくわかる。大きな施設で精密な測定を行うため、炎天下での熱膨張や湿度による変化を抑える工夫がなされている。
実験ホールには大きな壁がない代わりに、四角い部屋がいくつもある。これらは実験室になっていて、それぞれの部屋に放射光が引き込めるようになっている。研究者はこの部屋に実験装置を設置して、それぞれの目的に沿って実験を進めていく。
SPring-8では現在57本のビームラインが稼働していて、最大で57種類の実験を同時に実行できる。それによって、生命科学や環境・エネルギー、新材料の開発など、さまざまな分野の研究の進展に寄与している。
高性能タイヤ開発やインフラの維持にもお役立ち
実験ホールの内周側には厚さ1メートルの壁を設け、その壁の内側にはリング状の真空チャンバーと電磁石を組み合わせた蓄積リングが設置してある。この蓄積リングこそがSPring-8の本体といえるものだ。
アルミ合金でできた真空チェンバーの内部は空洞になっていて、そこを光速の99.9999998%にまで加速された電子が通る。電子の数はおよそ100億個。それらをビーム状に絞り込んだ状態で、1周1436メートルの蓄積リングを1秒で20万周もグルグルと回す。それによって非常に強い放射光を生み出すわけだ。
SPring-8は民間企業も多く利用している。代表的な事例が高性能タイヤの開発だ。住友ゴム工業と東京大学の共同研究では、X線分析によってタイヤの内部構造を詳細に把握。この内部構造を改良することで、従来に比べて転がり抵抗を39%減らし、燃費性能を6%高めたタイヤを商品化した。
また、さまざまな角度からX線で撮影し、得られた画像をコンピューター処理で3D化するX線CTは、医療用X線の1000倍の精度を誇る。高速道路の改修時に採取したサンプルをX線CTで撮影し、高速道路の劣化を詳しく分析。スーパーコンピューター「富岳」でのシミュレーションを経ていち早く補修を進めるなど、インフラの維持管理にも役立っている。
原子や分子の瞬間的な現象をキャッチ
SPring-8の隣には全長700メートルの細長い建物があり、この中には2012年3月に運用を開始したX線自由電子レーザーのSACLAが設置されている。700メートルというとサッカーコートを縦方向に7つ並べたくらいの長さで、脇に立っても端の方まで見渡すことはできない。
SPring-8と同じく、建物の中にはたくさんの機器が置かれている。壁沿いに目をやると、建物に沿って加速管と呼ばれる長いパイプが伸びている。電子銃と呼ばれる装置で発生させた高品質な電子ビームを、加速管の中で光速の99.9999998%まで効率よく加速する。
加速器の端には壁があるが、電子の通るパイプはその向こうまで続いている。先にはアンジュレータという磁石を多数備えた装置が並んでいて、加速された電子ビームはこの装置の中で何度も蛇行し、X線のレーザー光をつくる。SACLAで発生する放射光はSPring-8のものよりも10億倍も明るい。
しかも、100兆分の1秒という極めて短いフラッシュでの観察もできるので、動きの速い原子や分子もぶれることなく撮影できる。そのフラッシュ撮影した画像をつなぎ合わせることで瞬間的な現象を動画として記録し、これまで観測が不可能であった化学反応の途中の原子・分子の動きまで捉えることができる。
この特性を生かした成果は数多い。例えばSACLAを利用して植物の光合成の様子をとらえ、その仕組みを分子レベルで解明したことは、人工的な光合成を実現するための貴重な知見となることが期待される。また、燃料電池の中で発生する水の動きを調べることで、より小型で効率的な燃料電池の開発による水素自動車の進歩にも貢献している。
消費電力半分のSPring-8-Ⅱでデータサイエンスと融合
SACLAとSPring-8はつながっていて、SACLAでつくった電子ビームがSPring-8に送られている。以前は別の光源や加速器を使っていたが、2021年からSACLAの加速器で加速した電子ビームを直接SPring-8の蓄積リングに送って使用するように改修した。
光源を共用化した理由はエネルギー消費の節約のためだが、それだけではない。SPring-8の後継となるSPring-8-Ⅱへの大幅改修計画が念頭にある。SPring-8は運用を開始してから四半世紀を過ぎた今なお、世界一強いX線をつくる観測装置として世界の中でも存在感を示しているが、新時代に対応するためには絞り込んだSACLAの電子ビームが欠かせない。
放射光科学研究センターでセンター長を務める石川哲也さんは、「SPring-8-Ⅱでは、消費電力を半分にして、SPring-8よりも100倍明るいX線をつくり出すことを目標にしています」と構想を語る。消費電力が半減すれば、費用を抑えつつ二酸化炭素の排出量を削減できるのは言うまでもない。
しかも、SPring-8-Ⅱが完成すれば、SPring-8で3年程度の期間が必要だった実験を5日で終わらせることも可能になるという。すると施設を使用できるチームの数が増え、中小企業なども気軽に使えるようになり、研究やものづくりの高度化がさらに進むだろう。
改修はもう1つ大きなメリットをもたらすと石川さんはみている。「それは、データサイエンスとの融合です。ビッグデータを詳しく分析することで、思いもよらない科学的知見を得る可能性があります」
SPring-8-Ⅱで短時間に大量のデータを取得できれば、「富岳」などと連携して解析することで、高精度なシミュレーションや新しい科学研究を生み出すことができるかもしれない。「科学の研究は社会で暮らす人たちの幸せに寄与することが重要だと考えています。そのための研究基盤をしっかりと整備し、運用していきます」と石川さんは力強く語る。
関連リンク
- SPring-8 × SACLA ホームページ
- SPring-8 × SACLA施設見学について
- 文部科学省 「量子ビーム」ホームページ