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湖底に眠る年縞から過去の気候変動を探る【地面の下のたからもの】

2023.07.12

メキシコのサン・クラウディオ湖での年縞掘削。右は中川毅さん、中央の女性は北場育子さん。(右:北場さん提供)と採取された年縞(左)
メキシコのサン・クラウディオ湖での年縞掘削。右は中川毅さん、中央の女性は北場育子さん。(右:北場さん提供)と採取された年縞(左)

 特集「地面の下のたからもの」の最終回は、地中に刻まれた過去の記録である「年縞(ねんこう)」を紹介する。年縞はさまざまな条件を満たした湖の底でしか形成されないため、見つけ出すのは至難の業だが、採取できれば数万年にもおよぶ気候変動の情報を入手できることもある。立命館大学古気候学研究センター副センター長で准教授の北場育子さんは湖底に眠る年縞の魅力に引き込まれ、メキシコやグアテマラでも年縞の採取や分析に取り組んでいる。

自然界に残る遠い昔の記録

 はるか昔の時代、地球はどのような姿で、人々はどのような暮らしを営んでいたのだろうか。タイムマシンがあれば…と思ったことがある人は少なくないだろう。

 自然界にはさまざまな遠い昔の記録が残されており、断片的ではあるが昔の世界を知ることができる。最も身近なのは樹木の年輪。季節によって異なる成長の度合いが、細胞密度の違いとして色の濃淡となって現れ、通常1年に1本ずつ縞が増えていく。また、サンゴや魚類の耳石も1年間の成長が刻まれている。周期はさまざまだが、貝殻の成長線やサボテンのトゲも時の経過を示している。また、グリーンランドや南極の氷床でも、同じように縞模様が形成されるが、これは降り積もる雪に含まれる成分が季節によって異なるためだ。

 そして、精度が高く、場所によっては人々の暮らしを探る手段としても活用できる縞模様、それが湖の底に形成される「年縞」で、福井県若狭町にある水月湖の年縞は約7万年もの過去をさかのぼることができる。

自然界で形成されるさまざまな縞模様の比較(鍾乳石の画像:ハイ チェン教授提供)
自然界で形成されるさまざまな縞模様の比較(鍾乳石の画像:ハイ チェン教授提供)

厳しい条件をクリアして形成される

 では「年縞」はどこでどのようにできるのだろう。

 年縞ができるのは、湖底にたまる物質が季節によって異なるためだ。日本の場合、春から秋にかけてはプランクトンの死骸などの黒ずんだ有機物が、晩秋から冬にかけては明るい色の鉱物がたまる。こうして毎年縞模様ができ、それが積み重なっていく。

 年縞1年分の厚さはたいてい1ミリメートルにも満たない。しかし、その中には春夏秋冬の記録が残されており、例えば花粉が含まれていれば、生育していた植物から、気候を推測することもできる。

水月湖で見つかった年縞に含まれていた花粉の化石の顕微鏡画像(中川さん提供)
水月湖で見つかった年縞に含まれていた花粉の化石の顕微鏡画像(中川さん提供)

 ただし、湖底に酸素があると生物が来て堆積物をかき乱すので、年縞は形成されない。年縞ができるのは水深があり、周囲の地形が大雨や強風の影響を受けにくく、風雨によって水がかき混ぜられないだけの深さがある湖に限られる。

 そんな厳しい条件をクリアして形成されたのが、水月湖の年縞だ。この湖は周囲を山に囲まれ、断層の影響で沈降を続けている。そのため、約7万年前から現在までの年縞が残されていた。ちなみに、水月湖の年縞の採取・分析の中心となったのが、現在は北場さんと同じ立命館大学古気候学研究センターでセンター長を務める中川毅さんだ。

水月湖は年縞ができるための条件をすべて満たしている
水月湖は年縞ができるための条件をすべて満たしている

年代測定の世界標準となる「ものさし」

 「水月湖の年縞は単に過去の出来事を記録しているだけでなく、世界のさまざまな物の年代を測定する世界標準となる『ものさし』にもなっているんです。」と北場さんは紹介する。

14Cは時間の経過とともに減少していき、5730年で半減する
14Cは時間の経過とともに減少していき、5730年で半減する

 化石などがいつの時代のものか調べるためには、動植物に含まれる放射性炭素14C (炭素14)の量を計測する「放射性炭素年代測定」という手法が用いられている。上層大気中の窒素に宇宙線が当たると14C が生じ、生物はそれを体内に取り込んでいるが、命を失うと14Cの供給がなくなり、徐々に減っていく。14Cが5730年で半減するという性質を利用して、その生物が死んだ時期を推定するものだ。

 ただし、時代によって14Cの量が異なるため、何年前の14Cの量はこれぐらい、という換算表のようなものをつくる必要がある。

 代表的な「ものさし」は、樹木の年輪だ。しかし樹木でさかのぼれる年代には限界があり、現時点では1万4500年程度だという。そこで、年輪が利用できない時代で活躍したのが年縞のものさしである。年縞を使えば、14Cを検出するのが難しい5万年以上前でもさかのぼることができる。

マヤ文明の衰退の要因を探る

 世界標準の「ものさし」も、実は北半球と南半球では誤差が生じる。赤道に近い地域には熱帯収束帯という上昇気流の帯があり、それによって北半球と南半球の大気が隔てられるため、14Cの量の変動にも30年ほどのずれがある。

 また、赤道付近の、季節的な気温変化がほとんどないようなところでは、樹木に明瞭な年輪ができない場合が多く、過去をより正確に知るには、別の「ものさし」が必要となる。かつてマヤ文明が栄えたメキシコ南部からグアテマラ、ホンジュラス、ベリーズ、エルサルバドルのあたりも、これに該当する。

マヤ地域および周辺の地図(北場さん提供)
マヤ地域および周辺の地図(北場さん提供)

 マヤ文明は今からおよそ3000年前から2000年以上にわたって繁栄し、往時をしのばせる壮大な遺跡が各地に残されている。精密な天体観測に基づいて高度な暦を作っていたこともわかっているが、16~17世紀にスペインの侵入によって征服されてしまった。

 しかし、実はそれ以前から地域の中で盛衰を繰り返していたと考えられている。9世紀前後には、それまで繁栄していた都市の多くが放棄され、それ以降は別のエリアで都市が繁栄したことが明らかになっている。

 では、なぜ人々は住んでいた都市を離れていったのか。戦争や森林伐採、気候変動の影響などさまざまな説が出されているが、決定的な証拠は見つかっていない。

 そこで、マヤ文明の衰退の要因を探るために着目されたのが年縞だった。このあたりは雨期と乾期がはっきり分かれていて、雨期にはプランクトンの死骸などが含まれていて黒っぽい縞が、乾期には石灰質の白っぽい縞が積もる。

大冒険を経てたどり着く

 北場さんがマヤ地域でのプロジェクトに加わったのは、グアテマラで発見された年縞の分析を頼まれたのがきっかけだった。北場さんはその後、メキシコの南東部での年縞の探索にも携わるようになる。

 しかし、この年縞探しが非常に大変だったという。地図や航空写真を頼りに湖を目指しても、そこに近づくための道があるとは限らない。土地の所有者との交渉も必要だ。さまざまな壁を乗り越えて掘削が実現しても、このあたりは大河の流路が変わって形成された浅い湖が多く、空振りが十数回続いた。

 そして、2年に及ぶ大冒険を経てたどり着いたのが、グアテマラとの国境近くに位置するサン・クラウディオ遺跡の中にあるサン・クラウディオ湖だった。ここは石灰岩質の地層が地下水の侵食によって陥没してできた湖で、ここなら年縞があるのではないかと思った北場さんたちは、掘削の準備を整えて翌年再訪。掘り出されたのは、縞模様の泥だった。縞の枚数を数え、そこに含まれる葉の放射線炭素年代を照合した結果、年縞であることが確認された。2019年のことだった。

サン・クラウディオ遺跡(左)とサン・クラウディオ湖。湖の直径はおよそ300メートル、深さは乾期で27メートルほど(北場さん提供)
サン・クラウディオ遺跡(左)とサン・クラウディオ湖。湖の直径はおよそ300メートル、深さは乾期で27メートルほど(北場さん提供)

 翌2020年の3月、多国籍で編成されたサン・クラウディオ年縞調査チームによる約2週間をかけての本格的な掘削調査が行われ、全長およそ6.5メートルの堆積物が採取された。「年縞はマヤ文明が盛衰したほぼすべての時代をカバーしていて、サン・クラウディオに都市を築いた人々が経験した気候変動を調べられるようになりました」と北場さん。

サン・クラウディオ湖で年縞を発見したチームと、掘り出されたばかりの年縞(北場さん提供)
サン・クラウディオ湖で年縞を発見したチームと、掘り出されたばかりの年縞(北場さん提供)

人々の暮らしがよみがえる

 採取した年縞に含まれる元素を調べていくうちに、予期しない発見があった。かつてこの地で暮らしていた人々の排せつ物の痕跡だ。「この痕跡から、湖の周辺に人々が暮らした時期を特定することができました。西暦900年頃、ほかの都市が衰退したのと時期を同じくして、彼らは街を捨ててしまったようです」と北場さんは解説する。

分析のため、年縞の表面を削る北場さん
分析のため、年縞の表面を削る北場さん

 また、年縞に含まれる元素を詳細に調べた結果、人々が街を離れたのと同じ時期に極端気象が増加した可能性が高いこともわかった。「マヤの人たちはさまざまな気候に適応できたのですが、短期間に繰り返し起こった極端気象には対処しきれず、街を捨てることになったのではないかと考えられます」と北場さん。

 「今はマヤ地域に特化した『ものさし』を作っている段階です。これが完成すれば、何年前の夏に人々が大干ばつや大雨を経験したというような、昔の人々が見た景色が目の前によみがえってきます。それが読み取れるところに、年縞の素晴らしく限りない魅力があるんです」と北場さんは語る。

 いつかマヤ地域ならではの精密な「ものさし」が完成し、気候の変化を年単位で、あるいはもっと細かく把握できれば、マヤ文明の盛衰の背景が明らかになるかもしれない。それは謎を解き明かすと同時に、気候変動に直面する現代人が貴重な知見を手に入れることにもなり得る。北場さんたちが手に入れた年縞という「地面の下のたからもの」には、大いなる可能性が秘められているのだ。

北場さんが持っているパネルは、2022年の掘削調査のさまざまな場面の写真を組み合わせて作られた冒険の記録だ
北場育子

北場育子

立命館大学古気候学研究センター 副センター長/准教授
2011年神戸大学大学院理学研究科地球惑星科学専攻博士後期課程修了。神戸大学自然科学系先端融合研究環内海域環境教育研究センター学術推進研究員、同特命助教などを経て、2014年より現職。2018年より副センター長。

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