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仏教と暮らしの関わりから社会福祉を考える 郷堀ヨゼフさん【海を越えてきた研究者たち】

2023.01.11

郷堀ヨゼフさんの職場である淑徳大学は、創立と同時に社会福祉学部が設置されるなど、長く社会福祉に力を入れている
郷堀ヨゼフさんの職場である淑徳大学は、創立と同時に社会福祉学部が設置されるなど、長く社会福祉に力を入れている

 特集「海を越えてきた研究者たち」では、出身国を離れて日本に長く在住し、独自の視点で研究成果をあげてきた研究者をクローズアップする。第1回で紹介する淑徳大学教授の郷堀ヨゼフさんはチェコ出身で、日本を拠点としてアジア諸国における社会福祉(ソーシャルワーク)の実態を調査。仏教と暮らしの関わりから社会福祉を考え、「仏教ソーシャルワーク」という新しい概念を立ち上げて、アジアにふさわしいソーシャルワークを確立しようとしている。

ホスピスでの社会奉仕活動が転機に

 生きている限り絶対に訪れる「死」。それを自らが望む形で迎えたいというのは、多くの人々に共通する願いだ。しかし、人々の生活様式や家族構成、価値観の変化などによって、各個人の意思と現実とのギャップが広がりつつある。

日本人が最期を迎える場所については、理想と現実に大きな開きがある
日本人が最期を迎える場所については、理想と現実に大きな開きがある

 そんな現代社会において、ヨゼフさんは仏教や寺院の役割に注目している。ヨゼフさんが生まれた頃のチェコはチェコスロバキア共産党による一党独裁で、ヨゼフさんは無宗教の中で育った。その独裁政権が1989年の革命で崩壊し、社会構造が激変する中で思春期を過ごしたヨゼフさんは「それまでの歴史の解釈や市民教育が根底から覆され、『今までの社会は何だったんだ?』と社会、政治、教育に対して大きな疑問を持つようになりました」と当時を振り返る。

チェコはヨーロッパのほぼ中央に位置する。1992年までは東隣のスロバキアと連邦国家を形成していた
チェコはヨーロッパのほぼ中央に位置する。1992年までは東隣のスロバキアと連邦国家を形成していた
2歳の頃のヨゼフさん(ヨゼフさん提供)
2歳の頃のヨゼフさん(ヨゼフさん提供)

 そして、カレル大学に在籍していた22歳の頃、ホスピス病棟で2年間の社会奉仕活動に従事。そこでターミナルケアの現状を見たことがヨゼフさんの大きな転機となる。「多くの医療スタッフに囲まれながらも、患者は孤独な状態で亡くなっていく。家族を呼んでもなかなか見舞いに来ないし、病院のスタッフはご遺体をまるで“もの”のように扱っていました。その背景には、約40年の独裁政権時代に宗教や死後の世界が人々の生活から完全に排除されていたことがあると思います。家族も医療スタッフも死にどう対処すればいいかわからず、誰ひとり救われない状況に憤りを覚えました」

高齢化で医療福祉が進んだ日本に興味

 そこで高齢化で医療福祉が進んでいた日本に興味を持ち、日本語の勉強を始めた。日本から学ぶには日本語が必須だと考えたのだ。研究者として対象言語を習得することの重要性について、ヨゼフさんは次のように語る。「言語には使い手の考え方や価値観が反映されています。言語は単なるツールではなく、相手の感覚や価値観を理解するためのものであり、世界を見る眼鏡のようなものだと思います」

 そして、課題を解決に導くヒントを日本でのフィールドワークから得るべく、新潟県上越市の上越教育大学に留学して日本での研究をスタートさせた。26歳の時だった。

 上越は昔ながらのコミュニティーが残っている地域だ。高齢者の社会的ネットワークを研究するには、急激な経済成長でコミュニティーのあり方が劇的に変わった都市部よりも「研究対象の高齢者が多く、各家庭に古くからの習慣が残る中山間部がいい」と考えたヨゼフさんは、それからずっと上越を拠点として研究に取り組んでいる。

先祖や故人との関係性に取り組む

 そんなヨゼフさんが仏教に着目したのは、来日後にフィールド調査をしていたときの出来事がきっかけだった。福祉施設や病院に入った高齢者の人間関係がどのように変化するのかを聞き取り調査する目的で個人宅を訪問すると、驚きの光景を目にした。

 「調査のお礼にと持参したお菓子がまず仏壇に供えられるんですね。それだけでも驚きですが、その家の方が『ねぇねぇ、おじいちゃん、大学の人が来て研究のために話を聞きたいと言うんだけど、私にそんな難しい話ができるかしらねぇ』と、まるでそこに亡くなった配偶者がいるかのように仏壇に向かって話しかけたんです」

 日本人にとっては違和感のない場面だが「日本の社会や文化の中で、すでに亡くなっている人との関係性が影響力を持っているという事実は、大きな気づきでした」とヨゼフさんは振り返る。それ以来ヨゼフさんは、仏教や仏壇を媒体にした先祖や故人との関係性についての研究にも取り組むようになった。

 その後、地域社会における寺院の役割に注目したヨゼフさんは、文部科学省の私立大学戦略的研究基盤形成支援事業として2015年から2020年まで実施された国際共同研究で、日本を含むアジアの10カ国以上をフィールドとして、現地の研究チームと一緒に調査を行った。

カンボジアでのフィールドワークの様子(ヨゼフさん提供)
カンボジアでのフィールドワークの様子(ヨゼフさん提供)

スリランカでは寺院がコミュニティーの中心

 対象国のひとつであるスリランカでは、人が亡くなる前後の家族の負担を軽減するために、寺院を中心とするコミュニティーが金銭的・精神的な支援を行っている。「寺院が担うセンター的な機能は、そのコミュニティーを支える重要な社会的資源です。葬儀のためお寺にお金を払う日本とはずいぶん違います」とヨゼフさんは指摘する。

 ところが、現地の人たちにとっては当たり前なのでこれを資源だと認識しておらず、福祉や医療の分野では北欧モデルや日本モデルに基づいた専門職員育成や制度づくりが行われている。「それはそれで必要ですが、全く違う文化、社会で培われてきた方法を当てはめようとしても、うまくいかないでしょう。すでに持っている寺院の諸機能を活用しない手はありません」というのがヨゼフさんの見解だ。

 このように「外からの目線」を持っているからこそ、当事者が気づかないことにも気づくことが多くあるのだ。

人々が幸せになることが目的

 こうした例が示すように、ソーシャルワークの構築にあたって大切なのは、その地域の社会的、歴史的、政治的、宗教的なバックラウンドを踏まえて、その地域に合ったやり方を見つけることだ。「そのプロセスがまさに研究者の貢献できるところであり、面白いところです」とヨゼフさんは語る。

 アジア諸国では、寺院を含む地域全体で社会福祉を実践しようという取り組みが始まっている。そのためには福祉や医療に関する、僧侶向け教育プログラムの開発や寺院と他施設をつなぐ多職種連携の仕組みが必要であり、ヨゼフさんたちの研究チームも次の展開と考えている。

 また、政教分離が憲法に明記されている日本でも、地震や津波といった災害やコロナ禍による貧困など非常事態への対応において、寺院の果たす役割が再び注目されつつある。「日本の現状や今後の見通しなども、仏教ソーシャルワークの研究で発信していきたいと考えています」とヨゼフさん。そのため、東日本大震災の被災地にも足を運び、現地で得た情報を活用して地域にふさわしい施策を模索している。

 このように、成果を福祉制度や教育制度などに反映させ、社会の中で生かすことが研究のゴールであるべきだとヨゼフさんは考えている。「人々の暮らしが幸せになること。それは、文系であろうと理系であろうと、すべての科学が目指すところだと思います」

内外両方の見方の共有を

 淑徳大学で職を得てからは、週の半分ずつを上越と千葉で過ごす二拠点生活を送っているヨゼフさん。研究のかたわら、自宅の近くに1枚※の田んぼを所有し、米を自給自足する農家の顔も持つ。「あんたも田んぼをやってみたら、自然と共生する私らの生活がどれだけ大変かわかるよ」と言われたことがきっかけだった。その暮らしぶりはすっかり現地に溶け込んでいる。

 ※多くの場合、田んぼ1枚の大きさは1反(300坪=約992平方メートル)

家族と稲刈りをするヨゼフさん(ヨゼフさん提供)
家族と稲刈りをするヨゼフさん(ヨゼフさん提供)

 その一方で、日本人の研究者と同じ視点でものを見ないことも心がけているという。「チェコ人としての目線を持ち続けることが大切だと考えています。また、日本で暮らす研究者としてチェコやヨーロッパの社会や文化を見ると、以前とは違って見えてきます。私にとって日本で研究することは、日本を外から見るだけでなく、ヨーロッパを日本視点から見ることができるというメリットもあるのです」とのことだ。

 ヨゼフさんは日本社会の良さについて「人と人とのつながりを大切にする価値観を持っていることです。医療福祉の現場においては、つながりこそが生きていくうえで最も大きな財産だと思います」と語る。すなわち、日本人が当たり前のように思っていて、時として負担に感じるようなことも、外からの視点で見ると長所として捉えることができるのだ。

 互いに気づかないことを出し合うと新しい世界が見えてくる。一方で、複数のコミュニティーに共通する見えない基盤もあるはずだ。そして、内からの見方と外からの見方を共有すれば、複数の地域の共通点や相違点がよりクリアになり、具体的な実践へのヒントが得られる。それが国や分野を超えて研究を進めることの大きな意義であり、イノベーションや人々のWell-beingに結びつくに違いない。

郷堀ヨゼフ

郷堀ヨゼフ
淑徳大学アジア国際社会福祉研究所教授
カレル大学哲学部日本研究学科修士課程修了。2007年に来日し、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科(配属大学:上越教育大学)修了。博士(学術)。
国際日本文化研究センター特別利用共同研究員、東北大学リサーチフェロー、上越教育大学専修研究員、淑徳大学アジア国際社会福祉研究所准教授を経て、2020年より現職。

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