“科学と社会をつなぐ広場(アゴラ)”となることをうたい、毎年11月に開催されている「サイエンスアゴラ」。新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、初のオンライン開催となる今年は『Life』をテーマに、命や生活のあり方と、科学技術の接点について考えを深めるための多数の催しが実施される。その中でも注目企画となるのが、障がい者と先端技術の開発者が協力して日常生活に必要な動作を競う国際競技大会「サイバスロン(CYBATHLON)」だ。“もうひとつのパラリンピック”とも呼ばれている。この大会が目指すものとは何か。大会運営を担う主催者と、開発チームを率いて参加する研究者たちから話を聞いた。
2016年に創設、6種目の全体大会は4年ぶり
サイバスロンという名前は、コンピューターを意味する「サイバー(Cyber)」と競技を意味する「アスロン(-athlon)」を組み合わせて作られた。その歴史はスイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zürich)教授のロバート・リーナーさんが計画を発案した2013年に遡る。リーナーさんは、福祉機器のユーザーであるはずの障がい者が、その使用に伴う問題点を開発の最終テスト段階まで知ることができないといった状況を、以前より問題視していたという。
そこで、当事者を含め、多くの人が技術開発に参加できるプラットフォームとして、福祉機器を用いた競技大会を計画。2016年には6つの競技種目で構成される第1回大会が、スイスのチューリヒで開催された。
今年のサイエンスアゴラで一般公開される第2回大会※は、全種目による全体大会としては4年ぶり。日本からは、パワード車いす部門に4チーム、パワード義足部門に1チームの、合計5つのチームが出場予定だ。
※動画配信の予定。
「第1回大会から、競技における課題はすべて日常生活に直結したものとなっています」と語るのは、サイバスロン組織委員会のエグゼクティブ・ディレクターを務めるローランド・シーグリストさん。パワード車いす部門を例に取ると、マシンが走行するコースでは階段、でこぼこなど、実際の路面で遭遇する地形が再現されている他、テーブルにつく、ドアを開けるといった、日常生活における普段の何気ない動作も組み込まれている。実際の大会では、これら複数の課題を安全にクリアした数が競われる。また、同じ数の課題をクリアしたチームが複数あった場合にのみ、コース走破に要したスピードを競う。シーグリストさんは大会に期待を込める。
「過去の大会を通じて、福祉機器には幅広いニーズがあると改めて分かりました。もちろん特定の機能が必要となる場合もありますが、見た目がかっこいいとか、おしゃれなものがいいといったデザイン面でのニーズも存在します。また、同じ障がいを持っている場合でも、住んでいる国や地域によって、日常生活で直面するハードルが異なる場合もあるでしょう。将来的にはそうしたさまざまなハードルに対応する新しい技術を活用した解決策が、各国で提供されていけばと考えています。大会は、そのきっかけの一つになればと思っています」
ユーザーのニーズを開発現場へ
サイバスロンを語る上で重要なキーワードは「インクルーシブデザイン※」だ。福祉機器はこれまで規格つきの工業製品として扱われてきた。福祉機器におけるインクルーシブデザインは、見過ごされてきた各ユーザーのニーズを開発現場に持ち込む方法論を指す。多様な生活のあり方を前提とする意味では、先に紹介した今年のサイエンスアゴラのテーマ「Life」に通ずるものがある。
※インクルーシブデザインとは、商品やサービスの開発に、高齢者や障がい者、あるいは文化的背景の異なる方など、多様な人々にも関与してもらい、その知見や知識を取り入れてデザインすること。
これに関連して、本大会に、慶應義塾大学チームを率いてパワード車いす部門に参加する富田豊さんはこう指摘する。
「例えば普通の車いすでも、腹筋のない人は椅子に座っていることができず、だんだんずり落ちていってしまう。そうした場合には、座面と背もたれがより後ろ側に傾いたような形状のものが適していると思うのです。電動車いすも同様に、使う時と場合によってさまざまな工夫が必要ではないかと思います」
ひとくちに「障がい」や「障がい者」といっても、その度合いや置かれた状況はそれぞれであり、規格化された機器で必ずしも対応できるとは限らない。
「ユーザーが個々に負っている障がいによって、外に出られなかったり、会社に行けなかったりする参加制約は、技術者の問題でもあります。機器を開発する側も、社会的不利を取り除くために何ができるのか、考えることが求められるのではないかと思います」(富田さん)
個々のユーザーの都合に対応した、いわばオーダーメイドな福祉機器の開発が求められる理由は、まさにここにあると言えるだろう。
マシンの本当の「使いやすさ」に気づく
競技としてのサイバスロンで忘れてはならないのが、実際のマシンに搭乗するパイロットと呼ばれる障がい者たちの存在だ※。マシンの使いやすさでパイロットのパフォーマンスは決まる。また大会規定では、パイロットの乗り心地に関わるマシンの振動について、ルールも定められている。従って、ただ単に路面を走ったり、階段を上り下りしたりするだけに留まらないマシン開発が求められるというわけだ。
※大会の規定では、パイロットは歩行困難者であることとされる。
「(パワード車いす競技における)6個の課題を、全てコンプリートできるような車いすの開発は難しかった」と振り返るのは、慶應義塾大学チームのもう一人の代表、石上玄也さん。試行錯誤の末たどりついたのは、トラクターやショベルカーなどで見られる「クローラー型」という駆動の仕組みだった。これにより、マシンの俊敏性と安定性という、本来トレードオフ※の関係にあるものを両立することが可能になったという。
※トレードオフ(Trade-off)とは、何かを達成するために何かを犠牲にしなければならない関係のこと。
石上さんは、これまで宇宙や火山地帯といった極限環境で稼働する、いわば「人間が乗らない」ロボットの開発に携わってきた。そんな石上さんにとって、サイバスロンに向けたマシン開発は、大きな挑戦であると同時に、新しい気づきをもたらすものでもあったという。
「チームのパイロットを務める野島弘(元パラアルペンスキー日本代表)さんが初めていらっしゃった時に、同じチームの富田先生が、片膝をついて会話されていたことが印象的で。技術的なことではないのですが、目線を合わせて会話する重要性に、私もチームの学生も、その時に初めて気づかされました。また、パラアスリートとしての豊富な経験を持つ野島さんの生の声は、マシンを開発する上でとても勉強になりました」(石上さん)
大会で披露した技術が製品化した事例も
各マシンの設計コンセプトは、そのまま各チームの個性になっている。和歌山大学の中嶋秀朗さんが率いるチームは、現実の舗装路面での燃費と高速性能を念頭に置き、四輪で動くマシンを開発。先端についたタイヤを動かすことで、まるで四足歩行する動物のように段差を昇り降りする機能も持たせた。2016年の第1回大会にも参加した中嶋さんは、サイバスロンへの参加を意識した開発について語ってくれた。
「研究にしっかりつなげていくことが重要な点のひとつです。サイバスロンという場を活用して、学術的にも新しい動きやアルゴリズムを投入していくことを考えた結果、階段をよじ上るような動作にたどり着きました。また、競争ばかり意識するのではなく、“誰もが使えること”という大会の意義を考えて開発に取り組んでいます」(中嶋さん)
大会への参加がきっかけで、幅広い年齢層が実際に使用することを想定するようになり、誰もが使える機械の開発を意識するようになったという中嶋さん。現在、チームのパイロットは60歳前後の方が担い、より日常の暮らしに根付いた動きに注目しているという。
海外では、サイバスロン大会で披露された技術が実際の製品開発につながった事例もある。サイバスロンは未来のアシスト技術の可能性を探る重要な機会になっているとも言えそうだ。
人を動かし、技術を進める
それでは、サイバスロンでマシン開発の先頭に立つ研究者が考える未来の福祉機器の姿はどんなものだろうか。
和歌山大学チームの中嶋さんは、実際の開発の経験から「機械が予想通り、確実に動いて安心感があることと、知的に動くことは相反している部分もあります」と指摘した。
「未来においては、恐らく福祉機器は便利で、バラエティに富んだものになっていくのだろうと思います。何をやるかの選択肢は広がっていくと思いますが、マシンを使う側からすると、同時に(機械としての)不安定性が増すことにもつながると考えます。そこを取り除くのがすごく難しいと感じています」(中嶋さん)
慶應義塾大学チームの石上さんはサイバスロンの掲げるスローガン ”Moving People and Technology”(人を動かし、技術を進める)を引用し、技術面の向上だけでなく、人間側の変化も期待する。「福祉機器が現代におけるメガネのような、ありふれたものに変わっていく。多くの人の意識で、そうした変化が起きてほしい」と希望を語ってくれた。
今年は新型コロナウイルス感染症の流行を受け、サイバスロン大会も初のオンライン開催となった。シーグリストさんは、新型コロナウイルス感染症が大会運営に与えた影響を認めた上で、「コミュニティーとしてのサイバスロンの勢いを止めてしまうことは望ましくないと考えました。その為、世界各地に点在する会場で各チームにコースを設営してもらい、それぞれの場所で競技を実施してもらう、という新たなフォーマットでの開催を決定しました」という。
コロナ禍だからこそ、福祉機器の開発の歩みを遅らせてはならないという強い意志が感じられる。新しい様式のサイバスロン大会で、どんなマシンがどんなパフォーマンスを見せてくれるのか、みんなで見届けよう。
ローランド・シーグリスト
サイバスロン組織委員会エグゼグティブディレクター。
スイス連邦工科大学チューリヒ(ETH Zürich)で人間運動工学と教育学(体育)を学ぶ。2009~2014年に、サイバスロンの創始者であるロバート・リーナー教授のSensory-Motor Systems Labで運動学習について研究し、博士号を取得。その後、第1回サイバスロン(2016年)のコンペティション・ディレクターに就任。2019年からエグゼグティブディレクター。
富田豊(とみた・ゆたか)
慶應サイバスロン電動車いす開発チーム監督。
1975年慶應大学大学院工学研究科計測工学専攻修士課程修了。同年東芝入社。1977年慶應大学医学部助手、1981年同大理工学部助手。講師、助教授を経て、2000年同学部教授。2011~2015年藤田保健衛生大学七栗研究所教授。慶應義塾大学名誉教授。工学博士、医学博士。2016年からチーム監督。
石上玄也(いしがみ・げんや)
慶應義塾大学理工学部准教授。
2008年東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻修了。同年米マサチューセッツ工科大学(MIT)博士研究員。2010年宇宙航空研究開発機構宇宙科学研究所研究員。2013年慶應義塾大学理工学部機械工学科専任講師、2017年から現職。宇宙探査をはじめとしたフィールドロボティクス、テラメカニクス、自律移動制御の研究開発を専門とする。博士(工学)。
中嶋秀朗(なかじま・しゅうろう)
和歌山大学システム工学部教授。
JR東日本、千葉工業大学を経て、2015年から現職。その間、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員(2013年~2014年)、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zürich)客員教授(2020~2021年)を兼任。日本ロボット学会理事ほか歴任、ドイツ・イノベーション・アワード「ゴットフリード・ワグネル賞2017」ほか受賞。
「サイエンスアゴラ2020」で国際競技大会サイバスロン(東京会場)を応援しよう!
サイエンスアゴラは、「科学」と「社会」の関係をより深めていくことを目的として、あらゆる立場の人たち(市民、研究者・専門家、メディア、産業界、行政関係者など)が参加し対話するオープンフォーラムです。2006年から毎年JSTが主催してきました。
今年は11月13日(金)と14日(土)に、「サイバスロン2020グローバル大会」(国際競技大会サイバスロン/東京会場)としての場を提供。世界大会の様子は、ライブ動画にて配信されます。また、「サイエンスアゴラ2020」における11月15日(日)には、サイバスロンに出場した日本チームらによる講演会も開催。詳しくはウェブをご覧ください。
〈サイエンスアゴラ2020〉
【11/13(金)】
国際競技大会サイバスロン(東京会場)
https://www.jst.go.jp/sis/scienceagora/2020/planning/planning_1301.html
【11/14(土)】
国際競技大会サイバスロン(東京会場)
https://www.jst.go.jp/sis/scienceagora/2020/planning/planning_1401.html
【11/15(日)】
トークセッション・実演「サイバスロンとパラスポーツから探る、"障害"がない社会のつくりかた」
https://www.jst.go.jp/sis/scienceagora/2020/planning/planning_1511.html
「サイバスロン公式」動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=G8GrgjOzDUg
「CYBATHLON 2020 Global Edition」動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=CJAmsKuUhYE
【お問い合わせ】
サイエンスアゴラ事務局
TEL: 03-5214-7493
Email: agora@jst.go.jp
※アゴラ(agora)は古代ギリシャ語で「広場」の意味