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江戸のサステナビリティから未来の食を考える ~歴史学とシステム工学のタッグが生み出す新たな指針~

2019.11.28

江戸のサステナビリティから未来の食を考える ~歴史学とシステム工学のタッグが生み出す新たな指針~
立命館大学 食マネジメント学部准教授の鎌谷かおるさん(左)と野中朋美さん(右)

国連食糧農業機関(FAO)の調査によると、世界の人口増加により将来も増え続ける食料需要を満たすには、2050年までに食料生産を60%程度増やす必要があるという。この切迫した状況に対し、現在、先端生命工学を駆使した「培養肉」や「ゲノム編集魚」、植物性タンパク質による食肉代替品など、未来の食のあり方がさまざまな形で提示されている。そのような中、豊かな自然環境に育まれ、社会や経済の発展とともに花開いたといわれる江戸時代の食文化にヒントを得て、そこから未来の食のあり方を考えようという新たな取り組みが始まっている。江戸時代の食文化は私たちの食の未来にどんな示唆を与えてくれるのだろうか。

江戸時代の人気レシピを再現する

 「EdoMirai Food System Design Lab(江戸未来フードシステムデザインラボ)」――立命館大学食マネジメント学部に所属する2人の研究者、歴史学を専門とする鎌谷かおる准教授と、システム工学を専門とする野中朋美准教授が2019年に立ち上げた研究プロジェクトだ。

EdoMirai Food System Design Labのロゴ© 2019 EdoMirai
EdoMirai Food System Design Labのロゴ
© 2019 EdoMirai

 「歴史学とは、古文書などの史料をもとに、その時代がどんな社会だったかを類推して組み立て、それを評価、検証する学問です」と鎌谷さん。そして、野中さんはシステム工学についてこう説明してくれた。「対象をシステムとして捉え、その構造や要素間・外部との関係を分析します。どうすれば効率や付加価値を高められるかを工学的なアプローチで研究する学問です。世の中のあらゆるものが対象になりえます」

 このように専門分野の異なる2人がタッグを組んで、地域に根付いた食の歴史や食文化を発掘し、未来に役立つシステムに構築し直すことで未来の食のあり方を提案するのが、EdoMirai Food System Design Labの目的だという。このラボではどのような研究が行われているのか、2人が解説してくれた。

 まず紹介してくれたのは、「江戸時代の調理レシピ研究」である。鎌谷さんによると、江戸時代には数多くの料理書が出版され、庶民の間で広まった。ラボの研究の手始めは、江戸時代の中頃、1782年に出版された『豆腐百珍』である。100種類の豆腐料理を集めたこの本は、その後に出版された『蒟蒻(こんにゃく)百珍』や『甘藷(かんしょ)百珍』などいわゆる「百珍ブーム」の火付け役となったと言われている。

 この『豆腐百珍』に紹介されている「ふはふは豆腐(ふわふわどうふ)」という料理を再現するところから、研究が始まった。

 くずし字で書かれている『豆腐百珍』を現代語に訳してみると、当時のレシピは「材料の分量や調理法の情報がかなりあいまいに記述されている」ことがわかったと野中さんは話す。

 「例えば『豆腐と卵を同量混ぜる』とか、『ふわふわに煮る』というように、大まかな情報しか書いてありません。『同量』とは何グラムなのか、『混ぜる』とはどの程度なのか。レシピに書かれた情報だけでは、調理方法をひとつに特定できず、料理を再現することが難しいことに気づきました」

『豆腐百珍』(国立国会図書館デジタルコレクションより)
『豆腐百珍』
(国立国会図書館デジタルコレクションより)

 そこで、野中さんが採ったのは、自身の専門であるシステム工学の経験を生かし、レシピの中に直接書かれていない分量や加熱時間といった記述があいまいな情報(条件)に着目し、条件同士の関係性を分析してレシピを再構築していくアプローチである。情報の不完全さを補うため、さまざまな条件設定を試しながら、どんなふわふわ豆腐ができるのか再現してみたのだ。例えば、「ふわふわに煮る」を再現する場合、「材料の混ぜ方」「火加減」「加熱時間」「調理器具」などの条件設定をいろいろ変えてみて、「ふわふわ」の状態に近づく条件の組み合わせを探っていった。

 すると興味深いことに、材料の混ぜ方によって、クレープのようになったり、スクランブルエッグのようになったり、ホットケーキのようになったりした。つまり、同じ材料を使っても、条件の組み合わせが違えば見た目や食感が多様になったのだ。さらに、近赤外線分光分析法で栄養成分を測定すると、栄養成分にも違いが出ることがわかった。

・江戸レシピ再現において、不完全情報を設計変数として、条件を組み合わせたレシピを調理
・同じ名前の食材を用いても、現代の開発・加工工程の違いにより、成分や状態が異なることが多く、仕上がりも多様になる
※画像・図版提供:立命館大学
・江戸レシピ再現において、不完全情報を設計変数として、条件を組み合わせたレシピを調理
・同じ名前の食材を用いても、現代の開発・加工工程の違いにより、成分や状態が異なることが多く、仕上がりも多様になる
※画像・図版提供:立命館大学

 不完全なレシピ情報によって思いもかけず生み出されたであろう江戸時代の料理の多様性は、現代の私たちに多くの示唆を与えてくれると野中さんは話す。

 「不完全な情報を含むからこそ、同じ名前の料理でも、各家庭や地域での創意工夫や、試行錯誤しながら作る楽しさを生み、さらには『おふくろの味』や『郷土料理』と呼ばれる食文化を育んでいったと考えられます。こうした料理の地域性は、大量生産・大量消費による食の画一化が進みやすい現代でこそ、見直されるべきだと思います」

「もったいない」から「ちょうどいい」への転換で生み出す未来の食文化

 鎌谷さんと野中さんは、そもそもなぜ「江戸時代」に着目したのだろうか。

 江戸時代と聞くと、モノが壊れても修理して徹底的に使い切る、人の排せつ物までも肥料として有効利用するなど、究極のエコ社会をイメージする人も多いだろう。食材を余すところなく使い切る食品ロスの少なさも、江戸時代の特徴とされている。

 「エコや食品ロスの少なさは、日本人の『もったいない』という精神の象徴と考えられていますが、本当はそれだけではなかったと考えています」。こう問題提起するのは、江戸時代を専門に研究する鎌谷さんだ。現代人の視点で見るだけでは、江戸時代に生きた人たちの本当の姿は見えてこないと鎌谷さんは指摘する。

 「当時の人たちが、『もったいない』と思って節約に励んでいたかというと、そうではないと思います。当時の古着文化にしても、リサイクルが目的というより、金銭的に『ちょうどよかった』から古着屋さんで服を買っていただけ。よほどの豪商でない限り、花嫁道具一式も古道具屋で買うのは普通のことでした。当時の人たちが大切にしていたのは、身体や心になじむ『ちょうどいい』という感覚でしょう。私たちもこの考え方を引き継いで、人や地域や環境になじむ『ちょうどいい』食生活を、未来の食の幸せとして提案していきたいと考えているんです」

 江戸時代はまた、東廻り航路・西廻り航路など海路の開拓や、東海道や中山道など五街道の整備による交通の発達により、各地域(藩)で独自に醸成されてきた食文化が全国に広がった時代でもある。経済・社会・環境がともに循環しながらバランスよく発展することを「サステナビリティ」と呼ぶが、経済や社会の発展とともに食文化も発展を遂げた江戸は、まさに「サステナブルな社会」だったと言える。それが、鎌谷さんと野中さんが江戸に着目した理由だ。2人は、あらゆるものが循環しながら発展していった江戸時代のあり方を、「江戸サステナビリティ」と表現する。

 野中さんは、江戸で発達した屋台文化を例に挙げ、次のように説明してくれた。

EdoMirai Food System Design Labのロゴ
© 2019 EdoMirai

 「屋台の始まりは、全国から江戸に集まってきた職人や土木作業の人たちに食事を提供したことでした。それまでは食事は家でするのが当たり前でしたが、屋台をきっかけにさまざまなサービス産業が盛んになり、そばや天ぷらなどの江戸前料理も生まれました。このように経済性と社会性、環境性をバランスよく備えながら発展した江戸は、究極のサステナブル都市だったと言えます」

 未来の食のあり方を考えるうえで、江戸時代や江戸から学べることは多い、と熱く語る鎌谷さんと野中さん。SDGsをはじめ、世界中でサステナビリティに注目が集まる中、「EdoMirai」と名付けられたプロジェクト名に、「江戸のサステナビリティを世界に発信したい」という2人の想いが込められている。

異分野のコラボから生まれる化学反応

 この共同研究がユニークなのは、歴史学者とシステム工学者という異色のタッグから生まれていることだ。

 2人が所属する立命館大学食マネジメント学部は、食を総合的な学問として研究・教育する日本初の学部として、2018年4月に創設された。「食の課題は単独の学問分野で解決できるものではない」という考え方のもと、医学、心理学、経済学、経営学、文化人類学、そして歴史学、システム工学など幅広い分野の専門家が集結しているのが特徴だ。

 専門分野がかけ離れた2人が一緒に研究を始めたきっかけは、食マネジメント学部が創設された年の6月、大学の授業の一環で出掛けた1泊2日のフィールドワークで、偶然にも宿泊部屋が一緒になったことだ。その時、学問に関係するしないにかかわらず、いろんな話で盛り上がったという。当時のことを野中さんはこう話す。

野中朋美さん
野中朋美さん

 「実は私は高校生の頃から歴史が大の苦手だったのですが、鎌谷先生の歴史の話は教科書に載っていないことばかりで、すごく面白かったんです。また、工学分野では当たり前と思っていたことが、歴史学ではそうではないという視点の違いも新鮮でした」

 視点の違いとは、例えばこういうことだ。システム工学では、将来予測やシミュレーションに過去のデータを用いる場合、さかのぼるのは長くても過去50年程度であることが多い。しかし、歴史学では、ある一定の時期の内容について分析する場合でも、その時期を含む100年、200年単位の時間軸で物事をとらえて検討する。時間的な視野の広がりがまったく違うのだ。

 また、物事の理解の仕方も異なる。歴史学では、史料から丁寧に拾い上げた事実をもとに、過去を類推していく。一方、システム工学では、物事を構成する要素の構造や関係性に着目して、全体像を把握しようとする。そのため、「歴史学では見えなかったことも、システムとして構造を考えると見えてくることもあります」と鎌谷さんは言う。

鎌谷かおるさん
鎌谷かおるさん

 お互いに、初めから共同研究が念頭にあったわけではない。「江戸時代はこうだったよ」「それって、システム工学で考えるとこういうことじゃない?」と話が盛り上がるうちに、気になった食に関する疑問を一緒に研究するようになった。それが、EdoMirai Food System Design Labに発展していったのだという。

 現在、共同研究では、冒頭で紹介した「江戸の調理レシピ研究」のほか、江戸時代に発展した酒造文化から未来の食システムを考える「日本酒のシステムデザイン」、地域に根差した納豆文化を発掘する「納豆再生プロジェクト」、東西の出汁(だし)文化を研究する「発酵・うまみ再構築」などが進行中だ。

 また、研究と並行して、食関連のイベントやセミナーに積極的に参加し、「江戸」の循環型社会の価値について発信していく活動も行っている。その試みのひとつとして米国テキサス州オースティンで2019年3月に開催されたイベント「SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)」への参加がある。立命館大学の学生3名を伴い渡米し、「未来の食を提案する」というテーマで、日本の企業とのコラボレーションによるプレゼンテーションと展示を行った。今後も、こうした日本のサステナビリティを世界に向けて発信する活動を積極的に行い、そこで得られるダイレクトな反応を研究に生かしていきたいという意向もあり、2020年もこのイベントへの参加を予定している。

2019年3月にアメリカの「SXSW」に浴衣姿で参加した時のお二人。企業と共同研究中の日本酒100%ゼリーを提供した
写真:集合写真家 武市 真拓
2019年3月にアメリカの「SXSW」に浴衣姿で参加した時のお二人。企業と共同研究中の日本酒100%ゼリーを提供した

写真:集合写真家 武市 真拓
https://sshonpo.com/

 2人はほかにも、通常の講義とは別に学生向けに食の歴史や文化と食科学・技術の発展を学ぶイベントなども開催している。取材当日も、鎌谷さんと食マネジメント学部客員教授の新村猛さんによるプレゼンテーションを中心とした「東西の出汁の歴史と科学」について考えるワークショップが開催されていた。参加した学生たちは、「食マネジメント学部は、理系、文系のしきりに縛られず、食を多様な側面から学べるのが面白い」と、まさに野中さん、鎌谷さんが実践している、江戸のサステナビリティの一面としての食の多様性を学ぶ場となっているようだった。

【「東西の出汁の歴史と科学」のワークショップ】

食マネジメント学部客員教授で、和食・寿司店等を経営するがんこフードサービス株式会社副社長の新村猛(しんむら・たけし)さん
食マネジメント学部客員教授で、和食・寿司店等を経営するがんこフードサービス株式会社副社長の新村猛(しんむら・たけし)さん
日本の出汁と西洋のスープの違いや共通点、アミノ酸を組み合わせることによる「味の相乗効果」などについて試食しながら学ぶ学生たち※画像提供:立命館大学
日本の出汁と西洋のスープの違いや共通点、アミノ酸を組み合わせることによる「味の相乗効果」などについて試食しながら学ぶ学生たち

※画像提供:立命館大学

 「私たちは今まさに、未来の食のあり方を選択する岐路に立っています」。野中さんは、未来を作るのは自分たちであると、学生やセミナーの参加者たちに語り続けてきた。

 「食料供給が大幅に不足する問題に対してどうアプローチするかは、培養肉などの新しい技術や食品ロスなどの社会システムにおける課題解決など、いろんな方向性があっていいと思います。ただし、どんな食の未来を作っていくかは、システムデザインの観点でいえば、意思決定の問題です。私たちが望む社会を議論し、それを皆で目指していく。投資の意思決定や技術開発は、未来を方向付けていくのです。だからこそ、何を食べること、どのように暮らすことが今の自分にとって、また将来の家族や社会にとって『ちょうどいい』ことなのか。研究者だけでなく、企業も消費者も、子どもも大人も、皆が考えていくことが大切です」

 食料不足が深刻化する2050年まで、私たちにはそれほど長い時間は残されていない。私たちはどんな食の未来を築いていきたいのか。江戸時代の食文化から学ぶことは、視野を広く持って考えるための一助になるはずだ。

日本酒のシステムデザイン

 日本酒造りは、古くから灘・西宮・池田など阪神地域で盛んだったが、それらの日本酒が全国に流通するようになったのは江戸時代のことだ。この現象を、構造や関係性に着目しながらとらえると、三つの技術の進歩が大きく関係していると野中さんは指摘する。まず、日本酒造りの技術。それまで造られていた「にごり酒」とは違い、にごりのない清酒を大量に造れるようになった。次に、容器の技術。江戸時代の少し前、薄い板を円形や楕円(だえん)形に曲げて、それに底板を付けることで容器を製造する「曲げ物」と言われる技術が発達し、江戸時代にはそれが広く社会に浸透した。それまで容器として使われていた瓶に代わり、木だるに詰めて大量輸送が可能になった。最後に、交通の発達である。東廻り航路・西廻り航路など海路の開拓や、東海道や中山道など五街道の整備によって、大規模輸送や長距離輸送ができるようになったのである。この知見をもとに、野中さんは次のように話す。「これまで製造業では、一つのコア技術の発展が将来の方向性に大きな影響を与えると考えるアプローチが多くとられてきました。江戸時代の日本酒発展の裏に複数の技術の発展があったことは、未来の食をデザインするうえで新しいヒントを与えてくれると思います」

『日本山海名産図会』(国立国会図書館デジタルコレクションより)江戸時代の伊丹での酒造りの様子を紹介している
『日本山海名産図会』(国立国会図書館デジタルコレクションより)江戸時代の伊丹での酒造りの様子を紹介している

野中朋美(のなか・ともみ)

立命館大学 食マネジメント学部准教授

慶應義塾大学環境情報学部卒業後、企業勤務ののち慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(SDM)に入学。神戸大学大学院システム情報学研究科特命助教、青山学院大学理工学部助教などを経て、現職。博士(システムエンジニアリング学)

専門分野:
生産システム工学、サービス工学。従業員満足や生産性などの人の情報を起点とした生産システム設計の研究に従事。現在、持続可能な食・食サービスのシステムデザイン研究に取り組んでいる。

鎌谷かおる(かまたに・かおる)

立命館大学 食マネジメント学部准教授

神戸女子大学大学院文学研究科修了後、神戸女子大学、甲南大学、関西学院大学等非常勤講師、総合地球環境学研究所特任助教を経て、現職。博士(日本史学)

専門分野:
歴史学(日本史) 。日本の山野河海の生業史研究。近江国(現滋賀県)の地域史研究。近年は、江戸時代の社会が気候変動にどのように応答したのかを解明するための農業生産分析に取り組んでいる。

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