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【未来ビジョン】《山極壽一さんインタビュー》ゴリラたちから学ぶ 〜人間の本質と未来の姿〜

2019.09.26

AI(Artificial Intelligence:人工知能)やVR(Virtual Reality:仮想現実)などが身近な存在となりつつあり、私たちの生活が便利になる一方、科学技術がさらに発展することで、未来に不安を感じることもある。
私たちの未来は、どうなってゆくのか。そのとき私たちは、どうあるべきなのか。ゴリラ研究の第一人者として知られ、霊長類の進化の過程から人間社会を見つめてきた京都大学総長の山極壽一さんに、私たち人類が本来持ちうる「人間らしさ」や、未来社会像などについてお話を伺った。

■科学技術と人間の現在
~科学技術が進歩するなかで「人間らしさ」は薄れてしまうのか?~

――現在、AIやVRなど、科学技術は目覚ましい進化をとげています。それによって私たちの生活も劇的に変わりつつあります。この現状をふまえ、JSTが「未来について」のアンケートを行ったところ、私たちの「人間らしさ」や「人とのつながり」が見えにくくなるのでは、といった不安を抱く方が多いという結果が出ました。科学技術の発展と「人間らしさ」は共存できるものなのでしょうか。

山極 共存できるのではないでしょうか。約700万年前、私たちの祖先は熱帯雨林を出たときに、他の霊長類と道を分かちました。そこは逃げ場となる樹木が少なく、肉食獣による危険が常につきまとう草原です。そのため、生活の多くを共同で行うための仲間が必要になりました。以来、人類は付き合う仲間を増やす方向に進化を遂げてきました。そして、言葉が7~10万年前くらいに現れ、農耕牧畜が1万2000年前くらいに始まり、食料生産力が人口を増加させました。その後に続く産業革命や情報革命は、増加する人間に対応するための技術と考えて良いと思います。AIやVR、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)などの科学技術で身体を拡張させることも、人類が古来から抱く「多様な人とのつながり」を実現するためのものですから。

――その一方で、人間の意識や感情が置き去りにされることへの不安を、多くの人が感じているように思います。

山極 たとえば、SNSを使うと、何万人もの人と連絡を取ることができます。しかし、本当に顔の見える、自分の信頼できる人間の数は、大体150人くらい。人類が言葉をしゃべり始める前から全く変わっていないといわれています。なぜなら、人類の祖先と最も近い暮らしをしている現代の狩猟採取民の人たちの集団サイズは、不思議なことに大体どこも150人くらいだからです。これは脳の大きさに起因するものだということが分かってきました。

SNSというのは、ヴァーチャルで繋がっているわけですよね。つまり頭でつながっている。でも、これまでの信頼関係というのは、実際に会って、一緒に何かをしながら、喜怒哀楽をともにし、五感で繋がってきたわけです。ヴァーチャルで完結しない、五感で感じる付き合いをもっと増やして、本当に信頼できる人々とのつながりをきちんと確保していくことが重要だと思います。

■進化の歴史に見る人間らしさとは?
~進化の過程が教えてくれる「人間の本質」~

――先生は長年ゴリラを研究していらっしゃいますが、「人間らしさ」というものをどのようにお考えですか?

山極 人間の特徴の一つは知性ですね。ではその知性はどこから来たのか。多くの人は言葉を話し始めたことで人間が知性を持ったと思っているのではないでしょうか。実際はどうか。最近の研究では、人間が言葉を話し始めたのは7万年から10万年ぐらい前だといわれています。現代人の脳のサイズは約1,400ccですが、人の祖先について化石を調べると、人間の脳は200万年前のホモ・ハビリスから600ccとなり、ゴリラの500ccを超えた。現代人の脳の大きさが1,400ccに達成したのは、約40万年前です。ホモ・ハイデルベルゲンシスの時代。言葉を話し始めるより、ずっと前です。

1990年代に多くの霊長類学者が、人間以外の霊長類の脳の大きさを調べました。その結果、群の規模が大きくなって付き合う相手の数が増え、社会的複雑さが増すにつれ、脳が大きくなることがわかってきました。

人類学者・進化生物学者の※ロビン・ダンバーが人類の頭骨の化石から脳の大きさを推定し、当時の人類の集団における平均的な人数と脳の関係を調べてみたところ、ゴリラと同程度の脳の大きさの時代はゴリラの集団の規模と同じ10~20人。ゴリラを超えた600~800ccの頃で30~50人。そして、現代人の1,400ccまで成長すると150人ぐらいの規模になる。付き合う仲間の数が増えたことに比例して、脳が大きくなったことがわかったのです。

このように化石の年代と照らし合わせていくと、言葉を話し始めるようになったから脳が大きくなったわけではないことがわかります。脳が大きくなった結果、人間が言葉を話すようになった、という順番がどうやら正しいようです。

※ロビン・ダンバー
オックスフォード大学の認知・進化人類学研究所所長。進化人類学教授。霊長類が互いを認知し、安定した集団を形成できる個体数には上限があると、1993年に提唱。大脳新皮質(分析・思考・言語機能などをつかさどる部位)が脳に占める割合と群れの構成数には深いつながりがあるという仮説に基づき、ヒトの集団サイズは平均150人程度と述べている。

Dunbar(1996)を参照
Dunbar(1996)を参照
人気者のゴリラ「ニンジャ」。 ※画像提供:山極壽一
人気者のゴリラ「ニンジャ」。 ※画像提供:山極壽一

大脳新皮質が脳に占める割合を表した図。新皮質とは、合理的で分析的な思考や、言語機能をつかさどる大脳の部位のこと。
グラフでは、新皮質が増えるにつれて集団規模が拡大している。霊長類の大脳の発達と社会(集団)の規模の拡大は互いに関係し合い、比例している。脳が大きくなったため、人間は言葉を話すようになったことがわかる。

サルやゴリラの観察、化石として発見される古い人類や現代人の脳の研究などから、集団の規模によってコミュニケーションの種類が異なることがわかり始めている。言葉の誕生(7~10万年前)より前から、150人という集団の規模はほぼ変わっていない。
サルやゴリラの観察、化石として発見される古い人類や現代人の脳の研究などから、集団の規模によってコミュニケーションの種類が異なることがわかり始めている。言葉の誕生(7~10万年前)より前から、150人という集団の規模はほぼ変わっていない。

――脳の大きさのほかに、人間と類人猿にはどのような違いがあるのでしょうか。

山極 人間がほかの類人猿と大きく違う点は多産だということです。人類の祖先は草原に出たことで、捕食されるリスクに備えて子供をたくさん産む必要が出てきた。ゴリラは5年に1回、チンパンジーは5、6年に1回、オランウータンは9年に1回しか子供を産めません。授乳期間が長いからです。人間は多産型に進化する過程で母親の授乳期間を短くし、子供を産んだ1年後にもまた出産することができるようになりました。ただ、そうなると母親や父親だけで育児を行うのは難しいので、みんなが力を合わせて共同保育をしないと、子供を育てられないということになります。他の大人たちがケアするようになったことで、現代の“コミュニティー”にもつながる“共同体”が形作られていったわけです。

また、二足歩行も人間の大きな特徴の一つです。化石で見つかっているルーシーにしてもアルディピテクス・ラミダスにしても身長は1m20cmぐらいしかなかった。アウストラロピテクス・アファレンシスは男女の体格差がすごくあったといわれていますが、それでも、基本的に人類の祖先は小柄だった。では、熱帯雨林から危険な草原に出て、どうやってその小さな身体で生き延びたのか。実は、この謎は未だに解けていません。

ただ、古人類学者の※オーウェン・ラヴジョイ は直立二足歩行が有利に働いたのではないかといっています。二足で立って歩くことは、長距離をゆっくり歩いて、食料を集めて運ぶのに適しています。また、自由になった手で栄養価が高い食物を集めて運んでいたとも考えられます。

※オーウェン・ラヴジョイ
C・オーウェン・ラヴジョイ【C. Owen Lovejoy】(1943- )
人類学者。ケント州立大学教授。人類進化の決定的な分岐点が、約600万年前に起こった一夫一婦制の開始にあると仮説を唱える。ラブジョイは、人類が二足歩行を得たことで、両手が自由になり、より多くの食料をメスに届けられるようになったことと、一夫一妻制には密接なつながりがあると言っている。

しかし、ここにパラドックスがあります。実は脳が大きくなるよりもずっと前に、人間は直立二足歩行を完成させてしまっていた。人類がチンパンジーとの共通祖先から別れたのが約700万年前ですが、その頃に人類は直立二足歩行をし始めたと言われています。直立二足歩行によって骨盤が皿状に進化したことで産道は小さくなり、大きな頭の子供を生むのが難しくなったのです。だから類人猿とさほど変わらない頭の大きさの子供を産んで、生後、脳を急速に成長させる必要が出てきました。成長期の子供は摂取エネルギーの45~80%を脳の成長に回さなくてはならない。じゃあ、どこからそのエネルギーを持ってくるのか。

次に現れた人間の特徴は、道具を高度に使いだした点ですね。250万年前に登場したオルドワン式石器によって、肉食動物が食べ残した肉を切り取っていた証拠が見つかっている。つまり最初の石器は武器ではなく、調理器具だったんです。それによって、人間は、従来食べていた植物に比べて、肉という非常に巨大なエネルギー源を手に入れた。そのおかげで脳を大きくすることができたわけです。

Yamagiwa(2015)を参照
Yamagiwa(2015)を参照
Yamagiwa(2015)を参照

――人間と類人猿とで、「仲間との関わり方」に大きな違いはあるのでしょうか。

山極 人類の祖先が熱帯雨林を出てからは、食物を安全な場所に運んで食べるようになりました。そして、その食物を仲間同士で分配していました。しかし、最近の研究ではゴリラもチンパンジーも、南米のタマリン、マーモセットなども食物を分配することが分かっています。もとは、手のかかる子供に大人たちが離乳期に食物を与え、それが普及して大人同士でも食物を分配するようになったと考えられます。

それまで、霊長類や人類の祖先にも、共通の1日の重要課題というものがあって、それは「いつ、どこで、何を、誰と、どうやって食べるか」でした。ところが道具の使用や食物の運搬などによって、これまでとは全然違う世界が生まれるわけです。

一般的に霊長類は植物を採取してその場で食べるのですが、共同保育を始めた人類は仲間がいる安全な場所まで食物を持って行くようになりました。待っていた者たちも仲間が持ってきた食べ物を信じて食べる。そこで仲間に対する期待というものが芽生える。食べ物を持って帰ってくる者も、仲間の期待を想像するようになる。そういう“ストーリー性”というものが人間の中に加わったことで、時間、空間を超えてきちんと解釈・共有するために言葉が生まれたわけです。私は、脳が大きくなって言葉が話されるようになるよりもずっと前に、ストーリーというものが人間の身体の五感によって蓄えられていたんだろうと思います。

また、ストーリー性を考える力が、さらに物事を類推する能力を生みだしていきました。その結果、脳は記憶量を増さなければならなくなった。このようにして、人間の脳は大きくなったと思うんですね。

果実トレキュリア・アフリカーナを分配して食べるゴリラ。 ※画像提供:山極壽一
果実トレキュリア・アフリカーナを分配して食べるゴリラ。 ※画像提供:山極壽一

――熱帯雨林を出たことによって、仲間を増やす必要性が生まれ、仲間を信じてストーリーを持つようになった。結果、言葉が生まれ、脳が大きくなった。これが人類の進化のきっかけになったということですね。

山極 そうですね。捕食者という敵から自分たちを防御するために多産になり、手のかかる子どもが増えたことで、子供を仲間同士で育てるようになり、集団が大きくなっていった。その時に、私は“家族”(見返りを求めず奉仕し合う関係)と“共同体”(互いに義務や権利を果たし合う関係)という「二重構造」が生まれたのだろうと考えています。この二重構造というのが実は非常に重要な特徴であって、家族に似たような構成というのは霊長類の集団には見られるのですが、家族が複数集まって共同体を作っている種は人間以外見当たりません。ゴリラには家族的な小さな集団はありますが、共同体のようにまとまった集団はありません。

人間が家族と共同体という二重構造を持つことができたのは、共感能力が高かったおかげだと思います。相手の気持ちを理解する能力を手に入れたおかげですね。

人間独自の信頼関係を作るために共感能力を増して、そして家族と共同体という二重構造をつくり、強い社会性をもった。そして、これまで人間が出ていけなかった地域へと進出し、さらに食料生産を始めて連帯・団結を強めてきました。これこそ、人間が進化の過程で獲得した「人間らしさ」の一つの側面といえると思います。

■未来の社会をどう生きるか
~自ら人生をデザインできる時代に~

――このまま情報化社会が進むと、どのような未来社会が来ると予想されますか。

山極 これからの未来社会は、ヒトの移動が加速するか、あるいはモノの移動が加速するか、どちらかだと思います。人の移動が加速すると大転換が起こります。人が移動する回数も距離も飛躍的に増えるということです。つまり、定住が基本の農耕・牧畜・工業社会から、逆に狩猟採集時代へ戻るわけです。狩猟採集時代、人は移動しながら生活していました。移動型社会になると、“所有”することの価値が薄くなります。多くの物を持って移動するわけにいきませんから。

言葉や文化はあまり変わらないと思うので、その土地に行ったら、その土地の文化やしきたりというのは、訪れる人にとって大きく重要な要素となります。そのような中で移動性を高めるということは、人々が複数の自分や、複数の居住地を持って、違う人生を同時に歩むことが盛んになるわけです。

その時に、何事も一人では活動ができませんから、おそらくいろんなグループが生まれると思います。それぞれの土地によって、あるいは活動によって、他者と協働していく。そんな生活を自らデザインできる人、つまりプランナーでありプレイヤーでもあることが、人生の生きがいになっていくのではないでしょうか。

――いわば、パラレルな生き方ができるようになるということなのですね。では、その時にはどのようなことが必要になってくるのでしょうか。

山極 そのためには様々な知識を持たなくてはなりません。そして、知識を得るためには学ぶ場が重要になります。そこで改めて、大学という場所が地域のコミュニティーの中心になっていくのではないかと私は考えています。知識集約型社会ではどんどん新しい知識を手に入れていかなくてはいけないし、それを皆の間でやりとりしながら、創造力を高めていかなくてはなりません。そうすると、単純に経済的な利益だけを追求しない大学が、コミュニティーとしては非常に良い条件になるわけです。しかも、学ぶことは、別に年齢の定まった人たちに限ったことではない。人生のどの時期でも、大学に入ったり、戻ってきたり、学べるし、教えることもできる。

歴史学者※ユヴァル・ノア・ハラリが昨年出版した『ホモ・デウス』でも、21世紀の人間が最後に求めるのは幸福だろうといっています。しかし、幸福というのはすごく定義がしにくい。一人だけでは得られないし、機械的には得られない。これは大変難しいものですね。人間の定義に関わる問題だと思います。

人間は、地球の生態系の中の一つの生物なわけです。それが化石燃料や原子力など、人間以外の生物が利用しない力を新たに作り出し、地球上の哺乳類の9割以上が人間と家畜になり、陸地の3分の1は農地になってしまっています。これでは地球のバランスが崩れるのは当たり前で、人間どころか、地球までも滅ぼしかねません。だから、持続可能な開発のための地球の限界値・指標である※プラネタリー・バウンダリー(地球の境界)が定義した9つの指標のうち4つが、限界値を超えてしまっているといわれています。我々が自らの活動を抑制しなければ、もう先は見えているわけですよね。本当に今、地球の転換期に来ています。人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった現代を表す年代として※人新世(Anthropocene:アントロポセン)といわれるのも、当然だと思いますね。

※ユヴァル・ノア・ハラリ
ユヴァル・ノア・ハラリ【Yuval Noah Harari】(1976- )
歴史学者。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻して博士号を取得。現在、エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教える。ITとバイオテックがもたらすディストピア(ユートピアの正反対の社会)の未来を回避するための試みを著した『サピエンス全史』(2016)や『ホモ・デウス』(2018)は世界的ベストセラーにもなっている。

※プラネタリー・バウンダリー(地球の境界)
人類が豊かで安全に暮らすことのできる地球環境・資源の限界を示した指標。9つの指標(気候変動・海洋酸性化・オゾン層破壊・窒素循環とリン循環・淡水利用・土地利用・生物多様性の損失・大気エーロゾルの負荷・化学物質による汚染)が設定されている。

※人新世(Anthropocene:アントロポセン)
地質の時代区分の一つ。完新世(氷期後、農耕や牧畜が始まった約1万年前から現在まで)後の人類の急速な大発展(農業や産業革命)を通じて、温暖化などの地球規模の環境変化をもたらした時代とされる。20世紀半ばから人新世が始まったという説が有力とされる。じんしんせい、ひとしんせいと呼ぶ。

――科学技術の進歩を止めて、原始的な生活に戻るべきなのでしょうか。

山極 技術というのは、元へ戻れないですよね。言葉もそう。我々は言葉を話さなかった時代をなかなか想像できない。情報通信機器も同じで、スマートフォンやインターネットを持ってしまったら、あまりにも便利すぎて手放せない。だけど、その利点・欠点というのをよく理解して、賢く使うべきだと思います。

――そこで重要になるのは、どのような生き方でしょうか。

山極 我々のコミュニケーション手段であるICT機器(情報通信技術)は、人類が付き合う人数を増加させるように進化してきたことと同じ方向で進化しています。もっといろんな人と付き合いたい、付き合う人の範囲を広げればビジネスの範囲も広がる、知識も増える、そして、自分の豊かさも増すに違いないという考えです。しかし、人間が共感によってつながる人の数には限界があります。グローバルな世界でそれを前提にしながら、コミュニティーの規模に応じた適切なコミュニケーションやルールを使っていく必要があります。

AIやロボットの発達によって、これまで人間の担ってきた仕事は無くなるかもしれない。そうすると働くことが人生の価値ではなくなって、別の価値を見つけなければならなくなるわけです。自分が生きている価値を見つけ、どういう活動をすべきかを考えなくてはいけない。そこで生活のデザインができるプランナーとしての一面を持つことが大切になってくるわけです。

先ほどお話しした複線的人生とは、普段は都会で企業に勤めて、月の半分は田舎で農業や漁業を行うとか、複数の自分を持って複数の人生を歩むということ。これまでのような単線的な人生ではなく、パラレルな人生が可能になっていけば、より楽しく幸せに暮らしていけるようになるのではないでしょうか。

【コラム】
■研究者はおもろい仕事。
~研究者の仕事は最高に「おもろい」。世界は未知であふれている~

――山極さんはどのような少年時代を過ごされたのでしょうか。

山極 僕らの子どもの頃は、未知のものが世界に溢れているというのが当たり前でした。だから、探検記が流行ったんです。『十五少年漂流記』とか、『ロビンソンクルーソー』とかね。

そんな本たちの影響で僕は探検家になりたかったんです。やっぱり『ドリトル先生航海記』、あれが僕のバイブルだね。動物と話ができるから動物の苦境を救うことができて、凄くカッコイイじゃないですか。

とにかく、当時はまだまだ人間の見ていない場所が地球上にも、宇宙にもあった。世の中の大半のことが「謎」で満ちていたように思います。宇宙でいえば、月にだって到達していなかったわけだし。未知への探検をやってみたいという希望が満ち溢れていましたよね。

――科学技術が進歩して、現代社会では謎が少なくなってしまったのでしょうか。

山極 一見、未知のものが少なくなったように思えますけれども、事実は逆で、科学の世界は一つの謎が解明されると、それ以上に謎が増えていくものです。未知の世界を探るために一番重要なのは、いい質問を考えること。常識を疑って問い始める、問いを作ることから、科学の入口に一歩踏み出すことができると思います。

人間が日常的に当たり前と思っていることも、他の動物と比べてみると、とても不思議な行動がたくさんあるわけですよ。たとえば、我々人間の日常の行動だって、いろいろ疑ってみたらいい。なぜ、人間は、1日に1回ぐらいしか排便をしないのだろうとか。だって、ゴリラを見ているとびっくりするくらい、1日10回以上するんですよ。ゴリラと人間って、形態的には近いはずなのに、なんでこんなに違うのだろうとか。

時には突拍子もない問いも考えてみたらいいと思うけれど、なるべくいい問いを考えることが大切。いつも問いを考えることが必要で、それを友達同士で話をして、問いを出し合う。それが、とても面白いんですよ。

そもそも何かに気づかなければいけないわけですが、気づきと問いは表裏一体です。問いを出したら気づくことがあるし、気づいたところから、また新たな問いが生まれるし。それが、“科学の神髄”です。

本当に日常的なところから科学は始まる。科学の出発点は、そんなに大層なものではないんです。だけど、実はものすごく偉大な発見につながるかもしれない。そこが、科学や研究の “おもろい” ところです。

1975年の大学院生時代。屋久島にて。※画像提供:山極壽一
1975年の大学院生時代。屋久島にて。※画像提供:山極壽一
1975年の大学院生時代。屋久島にて。※画像提供:山極壽一
1975年の大学院生時代。屋久島にて。※画像提供:山極壽一

山極壽一(やまぎわ・じゅいち)
1952年東京生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科修士課程修了、同大学院理学研究科博士後期課程研究指導認定、退学。京都大学理学博士。

(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学院理学研究科助教授、教授を経て、2014年より京都大学総長を務める。

大学時代、スキー部の合宿で訪れた志賀高原で野生の猿を調査している先輩を見かけたのが、サルの研究を始めたきっかけ。博士課程に進学して以降、約40年間にわたってゴリラ一筋の研究を行い、「人間とは何か?」「社会とは何か?」を問い続ける。曰く「ゴリラは人間の本当の姿を映し出す鏡」。京都大学総長としての座右の銘は「ゴリラのように泰然自若」、“おもろい京大”を掲げている。

趣味はリンガラ・ポップスを聞きながら踊ること。 野外で採集した食材で料理を作り、お酒を飲むこと。著書に「ゴリラからの警告、「人間社会、ここがおかしい」」「ゴリラの森、言葉の海」『おはようちびっこゴリラ』(絵本)、など多数。

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