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重さ、長さ…はかることの“計り知れない”価値 メートル条約150年

2025.05.19

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 日常生活から先端技術に至るまで、単位を活用した正確な計量は欠かせない。その国際普及を目指した「メートル条約」が1875年に締結されて、20日で150周年を迎える。これに合わせ、計量の基準の普及や国際協力に取り組む産業技術総合研究所が、国内で長年、質量や長さの基準となっていた「日本国キログラム原器」と「日本国メートル原器」を報道陣に公開した。両者の同時公開は初めて。担当者は「計量の基準は人類の共通言語のようなもので、科学技術がもたらした一大成果だ」と強調する。

暮らしや産業、科学技術…支えてきた2つの「原器」

 「私たちの諸先輩は細心の注意を払って、これを守り続けてきました。現在の管理者として大変、誇りに思っています」

 茨城県つくば市にある産総研の一室。計量標準総合センター首席研究員の倉本直樹さんはこう語ると、鍵のかかる重厚な扉の奥へと、記者たちを招き入れてくれた。金色の銘板に「大日本帝國度量衡原器」と刻まれた歴史を感じる金庫が正面に置かれ、その内側は桐で覆われている。内部に置かれた二重のガラス容器の中に、直径、高さとも3.9センチの銀色の分銅がある。これがキログラム原器で、白金とイリジウムの合金1キロだ。

奥の金庫に厳重に保管されたキログラム原器について説明する倉本さん。金庫内の上段中央にあるのが、キログラム原器=12日、茨城県つくば市の産業技術総合研究所
奥の金庫に厳重に保管されたキログラム原器について説明する倉本さん。金庫内の上段中央にあるのが、キログラム原器=12日、茨城県つくば市の産業技術総合研究所

 桐を使うことで湿度を調整し、カビを抑制。金庫のある部屋は、湿度をほぼ0%に保っている。各国に配られたキログラム原器は約40年ごとに集められチェックを受けるが、日本のものは他国に比べ、質量の変化が極めて小さい。他国では、単にロッカーに入っている状態の例もあるのだとか。そう聞くと、冒頭の倉本さんの言葉が実感を帯びてくる。計量の基準を厳密に守ることは、暮らしや産業、科学技術のために欠かせない。キログラム原器の良好な保存状態は、近現代を通じ、日本人がこうした認識を強く持ってきたことを物語っているようだ。

 倉本さんは「キログラム原器は近代国家の道を歩み始めた日本が、欧米の学問や科学技術を導入して発展していくための、重要な知的基盤でもありました。アジアで極めて早くメートル条約に加盟したことからも、日本の戦略がうかがえます」と話す。

 メートル原器も別室で公開された。断面が「X」の形をした長さ1メートル2センチの棒状で、こちらも白金とイリジウムの合金。表面の窪みに目盛が刻まれており、その両端の間隔が1メートルだという。Xの形は曲がりにくく、かつ表面積が大きく温度に馴染みやすいため採用された。筆者を含む記者は一様に、両端の微小な目盛の撮影にてこずっていた。

メートル原器。「X」の形の断面は、曲がりにくく、表面積を大きくして温度に馴染みやすくするためという
メートル原器。「X」の形の断面は、曲がりにくく、表面積を大きくして温度に馴染みやすくするためという

 メートル原器、キログラム原器とも、既に定義の見直しにより基準ではなくなっており、それぞれ2012年と22年に国の重要文化財に指定されている。

定義は変遷を経て「普遍的な基準」採用

計量標準の必要性を説明する森岡さん
計量標準の必要性を説明する森岡さん

 「計量の升の大きさが地域によって違っていたら、地域の中では良くても、遠くの人と交流すると大きな問題になります。あるいは不作の年に升を小さくして年貢を徴収したら、その領主さんは(農民の味方として)名前が残るかもしれないが、良いことばかりではなかったでしょう。国や地域ごとにバラバラだった単位を統一して世界的に普及させようと、150年前にメートル条約が締結されたのです」。産総研で国際計量室長を務める森岡健浩さんは、計量標準の必要性の基本をこう説明する。

 質量や長さの定義は科学技術の進展につれて変わり、信頼性を高めてきた。18世紀末のフランスで、1キログラムは水1リットルの質量と定められ同国内で使われたが、メートル条約締結後の1889年、「国際キログラム原器」を製作した。これをフランスの国際度量衡局が管理し、キログラム原器の複製を日本など条約加盟国に配布した。

 1990年頃には、表面の汚れなどで国際キログラム原器の質量がわずかに変動した可能性が判明した。これを受け、人が作ったモノに依存しない普遍的な物理定数を定義に用いることになった。光が持つエネルギーの最小単位の「プランク定数」を基準とすることになり、産総研などによる定数の精密な測定を経て、2019年に採用された。こうしてキログラム原器は定義からは外れたが、現在も国内最高精度の分銅の一つとして活用されている。

(左)二重のガラス容器の中に、キログラム原器が収められている。(右)メートル原器の端。中央の窪みに微小な目盛が引かれている
(左)二重のガラス容器の中に、キログラム原器が収められている。(右)メートル原器の端。中央の窪みに微小な目盛が引かれている

測量への妨害、逮捕…苦難の歴史も

 一方、1メートルはまず1795年、「北極と赤道の間の子午線の弧の1000万分の1」と定められた。メートル条約締結を経て、1889年に「『国際メートル原器』の2本の目盛線の、温度零度の時の距離」と改訂。配布された複製の一つが、日本のメートル原器だ。その後は質量と同様、人が作ったモノに依存しないとの考えから、1960年に光の波長、具体的には「一定条件下のクリプトン86の波長の165万763.73倍」に変わった。さらに83年には「光が真空中を2億9979万2458分の1秒に進む距離」へと改められ、現在に至る。

18世紀末、メートル定義のための測量は「困難を極めた」と語る堀さん
18世紀末、メートル定義のための測量は「困難を極めた」と語る堀さん

 メートルの歴史で実に興味深いのは、1795年の定義だ。フランスで「どこでも使える単位系を」との機運が高まり、子午線を基準とすることになった。実際には北極と赤道の間ではなく、10度の緯度差がある2地点間の距離を測って9を乗じたそうだ。それでも、この2地点間は1100キロほどあった。「フランス革命(1789~99年)という背景もあり、測量は困難を極めました。政治的な疑いにより妨害を受けたり、逮捕されたりして6年かかったそうです」と、産総研計量標準総合センター研究グループ長の堀泰明さんが解説する。

 当時の人は一体どうして、こんな大がかりな測量の手間をかけたのだろう。メートル原器のような小さなものを採用できなかったのだろうか。堀さんに尋ねると、こんな答えが返ってきた。「非常にチャレンジングだったと思います。しかし人工物ではなく、地球のような自然物を基準とする考えがありました。また当時は測量技術が非常に発展し、特にフランスは注力していました。革命の高い志もあり、このようなプロジェクトが成功したのだと思います」。科学史のドラマチックな一幕だ。

計量基準の普及「科学技術の一大成果」

 メートル法は計測の基盤を整え、単位系の世界共通化を進めようと1875年5月20日、17カ国がパリで締結した。これにより、度量衡(長さ、体積、質量)の基準を国際的に普及するための加盟国の総会や、国際度量衡局が設立された。 日本は10年後の85年に条約に加盟。1959年、土地や建物の表記を除きメートル法を完全実施した。 同条約には現在、準加盟を含め101カ国が加盟する。

 メートル条約が成立した1875年には日本国内でも、地域ごとに違った長さや体積、質量の基準を統一しようと、長さの単位の「尺」や質量の「匁(もんめ)」を定めた度量衡取締条例が公布された。これが現在の計量法の前身。この年は偶然にも、世界と国内がそれぞれ、計測共通化の第一歩を踏み出す時となった。

「計量基準の普及は科学技術の一大成果」と話す臼田さん
「計量基準の普及は科学技術の一大成果」と話す臼田さん

 1971年までに国際度量衡総会が国際単位系(SI)として秒、メートル、キログラム、アンペア、ケルビン、モル、カンデラの7つの基本単位を起点とする単位系を確立。99年には、メートル条約締結の5月20日が世界計量記念日と定められた。条約150周年の今年は当日、パリで記念式典が開かれる。

 産総研計量標準総合センター長で、国際度量衡総会の下に設置された委員会の幹事を務める臼田孝さんは「計量の基準は時代や文化、国を超えて意思疎通する共通言語のようなもの。『必ず正確だ』という信頼があって、人々に受け入れられてきたことは、科学技術の一大成果。メートル条約は、最も成功した国際条約の一つだろう」と語る。

 私たちは日々、通勤や通学が「駅徒歩何分」と気にしたり、お菓子の容量が減って“ステルス値上げ”に落胆したり、ガソリンや米の価格の高騰を嘆いたり…暮らしは単位や計量に満ちている。条約150周年の機会に、身近な測る(量る、計る)作業から暮らしや社会を見つめ直すと、面白そうだ。

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