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残念…観望が期待された紫金山・アトラス彗星、「崩壊中」と米研究者

2024.07.17

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 今秋に肉眼で観望できるとの期待が高かった「紫金山・アトラス彗星(すいせい)」が、既に崩壊しつつあると米天文学者が報告した。査読前論文によると、3月下旬から顕著に断片化するなどしており、太陽に最接近する前に崩壊するという。夜空に尾を描き美しく見応えがある彗星は、天体ショーの花形。国内で十分楽しめる“肉眼彗星”は長らくご無沙汰であるだけに、楽しみにしてきた人々の落胆は大きい。

5月10日に京都大学岡山天文台せいめい望遠鏡(口径3.8メートル、東アジア最大)が撮影した紫金山・アトラス彗星(同天文台、東京大学提供)
5月10日に京都大学岡山天文台せいめい望遠鏡(口径3.8メートル、東アジア最大)が撮影した紫金山・アトラス彗星(同天文台、東京大学提供)

太陽系の果てから、期待高めつつ接近

 紫金山・アトラス彗星は昨年1月、中国科学院紫金山天文台がまず発見した。いったん行方不明となり、翌月に小惑星地球衝突最終警報システム「ATLAS(アトラス)」が再発見した。識別のための符号はC/2023 A3。紫金山は「しきんざん」とも、中国語に沿って「ツチンシャン」とも読まれる。故郷は太陽系のはるか遠く、小さな天体が無数に分布して太陽を球殻状に囲う領域「オールトの雲」。楕円軌道で76年周期の「ハレー彗星」などとは違い、放物線軌道を持つため、地球に近づくのは一度きりだ。

 軌道が判明し、今年9月27日に太陽にわずか0.39天文単位(1天文単位は太陽と地球の間の距離で、約1億5000万キロ)、10月12日には地球に0.47天文単位まで近づくなどと分かると、非常に明るく、天体望遠鏡がなくても肉眼で見えるようになるとの期待が高まった。ただ彗星の見え方の予想は難しく、研究者や天文ファンらが、推移を固唾(かたず)をのんで見守ってきた。各地の科学館や光学機器メーカー、メディアなども期待を込め、それぞれに企画を進めてきたようだ。筆者も、昨年末の記事で「来年は何といっても…」と紹介し、この夏休みには読み物の執筆を心積もっていた。

「ヤバそう」うわさの中、第一人者から“決定打”

 観測データの分析から新たに予測を報告したのは、米天文学者のズデネク・セカニナ氏。公開された査読前論文(今月9日版)は「紫金山・アトラス彗星の避けられぬ終局」と、タイトルからして悲観を前面に出したものだ。「この論文の目的は、肉眼で見えることを楽しみにしている観測者を失望させることではなく、期待を裏付けるようにみえないという科学的議論を提示することだ」と断りつつ、「太陽最接近前の崩壊の予測は非常にリスクが高いが、今こそそれを実行する時だ」と、自信をみせている。

 セカニナ氏は予測の根拠として、具体的にまず、彗星の明るさの変化を挙げた。太陽からの距離が3.3~3天文単位だった今年3月21日~4月15日にかけ、急激に増光しているが、これは彗星の本体「核」が激しく分裂したためとみられる。それ以降も部分的な分裂が起きているという。このほか、分裂が進んで噴き出す塵(ちり)が既に少なくなったこと、軌道が変化していることなどを説明。「太陽に最接近する前に崩壊する」と予想している。

 彗星などの小天体に詳しい、国立天文台の渡部潤一上席教授は「実は観測者などの間で『距離が近づいているのに(核を球状に覆うガスである)緑色のコマが見えてこない』『明るさが減っている』と、うわさにはなっていた。ヤバそうだね、と話していたところ、彗星研究の第一人者であるセカニナ氏の論文が出たのが決定打となった。崩壊すると断言まではしにくいのだが、彼が言うのならと、世界中の人が諦めていると思う。生き残ったとしても肉眼で見るのは難しそうだ」と残念がる。

 渡部氏によると分裂が進んだのは、太陽に近づいたことによる熱が主な原因。加えて、核が小さいため元々、水などの揮発成分が少なく、それらが蒸発して枯渇してしまったとも考えられるという。水より揮発性の高い一酸化炭素や二酸化炭素などが早くから蒸発したせいで、まだ彗星が遠くにあるうちの観測により、明るい彗星になると“過大評価”されていた可能性もある。

彗星の構造の模式図(国立天文台提供)
彗星の構造の模式図(国立天文台提供)

待たれる、次の肉眼彗星は…

 彗星は太陽系の小天体の一種。太陽に近づくと熱を受け、塵を含んだ氷の塊である核が徐々に解けてガスや塵が出て、コマや尾を形成する。見かけの特徴から箒(ほうき)星とも呼ばれる。核の直径は数キロから数十キロ。尾は2種類に分かれている。ガスが太陽の紫外線などでイオン化し、太陽からの陽子や電子の流れである太陽風に吹かれて青白い「イオン(プラズマ)の尾」となる。また、塵が太陽光の圧力で流されて黄色い「塵(ダスト)の尾」になる。いずれの尾も進行方向と関係なく、太陽の反対側に延びる。

 太陽接近時に特に照らされ、条件がよければ夜に地上で観察できる。地球の自転によって見かけ上、周囲の星々と共にゆっくり移動。また彗星自体の移動によって日を追って、星空の中で見える位置が変化していく。一方、同じ小天体でも、ガスや塵を出していないのが小惑星だ。

 国内で一般の人が広く、悪天候にも邪魔されず楽しめた直近の肉眼彗星は、1997年の「ヘール・ボップ彗星」という。それ以降は四半世紀あまり、北半球で肉眼で見えた彗星は極めて少ない。例えば2007年に「ホームズ彗星」が見られたものの、明るくなったのが急で、また地球からの角度の問題で尾が見えなかった。2013年に「アイソン彗星」に期待が集まったが、多くの人が肉眼で楽しむ前、太陽への最接近時に崩壊した。2020年の「ネオワイズ彗星」は全国的に悪天候と重なり、見られた人はごく少なかった。そんな中で、紫金山・アトラス彗星はまさに“期待の星”だったのだ。

彗星の軌道に帯状に残された塵に地球がさしかかって、流星群が起こる(国立天文台提供)
彗星の軌道に帯状に残された塵に地球がさしかかって、流星群が起こる(国立天文台提供)

 なお彗星は、流星(流れ星)とは全く異なる。流星は宇宙空間の塵が地球の大気圏に突入して燃え尽きる際、成分が光って一瞬、夜空に筋を描く現象。彗星が軌道に多くの塵を帯状に残しており、地球が毎年そこにさしかかる際にこの塵が大気に次々飛び込むと、流星が多発する「流星群」が起こる。流星群の時期は決まっているが、個々の流星の発生時刻や位置は予測できない。ただ彗星と流星は、条件が良ければ肉眼で十分に楽しめ、見応えがある点で共通しているともいえる。

 筆者は1996年、「百武(ひゃくたけ)彗星」を東京・高尾山で見上げた。その日はあいにくの雨で、湿気のせいでぼんやりしていたが、優美な姿に感動。いずれまた好天の下で…と誓ったものの、それから彗星を拝めていない。仮に今後、新発見の肉眼彗星が出現しないとすると、次に確実なのは37年後、2061年のハレー彗星なのだとか。紫金山・アトラス彗星は自ら崩壊することで、天文ファンに長寿という目標を与えてくれるのかもしれない。

(左)1997年のヘール・ボップ彗星、(右)2016年のペルセウス座流星群で、約4時間半の間に出現した明るい流星を合成した画像。彗星と流星は全く異なるものだ(いずれも国立天文台提供)
(左)1997年のヘール・ボップ彗星、(右)2016年のペルセウス座流星群で、約4時間半の間に出現した明るい流星を合成した画像。彗星と流星は全く異なるものだ(いずれも国立天文台提供)

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