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ヒトiPS細胞から卵子と精子のもとを大量作製 京大、生殖医療研究進めるも倫理上の議論必要

2024.05.22

内城喜貴 / 科学ジャーナリスト

 命の誕生をめぐる研究が基礎研究から生殖医療研究に向けさらに踏み出した。ヒトの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を利用して卵子と精子のもとになる生殖細胞を大量に作製することに成功したと、京都大学の研究グループが20日付の英科学誌「ネイチャー」電子版に発表した。培養当初の細胞数を100億倍以上も増やすことができるという。精子や卵子ができる仕組みや不妊症の原因などの解明、生殖医療を進めるうえでの研究成果と期待される。

 ただ、ヒトの卵子や精子を実際につくって生殖に使う段階までには技術的、倫理的に重要な課題が多くあり、生殖医療応用までにはまだ距離がある。現在iPS細胞を使った受精卵操作は国の指針で禁止されている。今後さまざまな観点から議論が予想される。

 研究グループは、京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi)の斎藤通紀教授・拠点長や村瀬佑介特定研究員、横川隆太博士課程学生らがメンバー。

iPS細胞の塊の顕微鏡画像(山中伸弥氏/京都大学・科学技術振興機構提供)
iPS細胞の塊の顕微鏡画像(山中伸弥氏/京都大学・科学技術振興機構提供)

10数年以上の研究の蓄積の上で

 iPS細胞は皮膚や血液などの体細胞に人工的に遺伝子を導入するなどし、さまざまな細胞に変化できる能力を持たせた細胞のこと。京都大学の山中伸弥教授が2006年にマウスで、07年にヒトでの作製を報告し、12年のノーベル生理学医学賞を受賞した。iPS細胞はけがや病気などで失われるなどした組織や臓器を修復する再生医療に応用されて注目されてきた。最近では新薬を探す取り組みも進む。

 今回の斎藤教授らの研究成果は、山中氏の画期的なiPS細胞研究の成果を受け、さらに10数年以上にわたる独自の研究や成果の蓄積があってのことだ。斎藤教授の専門は発生生物学、細胞生物学。1999年京都大学大学院医学研究科博士課程を修了し、2009年には同研究科教授に就任。11~18年は科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業「ERATO」の研究総括を務めている。

 斎藤教授らによると、卵子や精子はできる前にまずそれらのもとになる「始原生殖細胞」が受精2週後ごろにでき、6~10週後に胎児の中の精巣や卵巣で精子の手前の「前精原細胞」と卵子の手前の「卵原細胞」に分化する。

 斎藤教授らは、2012年にマウスのiPS細胞を利用して卵子を作り、通常の精子と体外受精させてマウスを誕生させることに世界で初めて成功している。その後15年にはヒトのiPS細胞に薬剤などを加えて「初期中胚葉様細胞」と呼ばれる細胞を作製。さらにこの細胞にある種のタンパク質を作用させて始原生殖細胞を高い効率でつくることに成功し、同年7月に米科学誌「セル・ステム・セル」に発表した。卵原細胞もヒトのiPS細胞からつくることに成功し、18年9月に米科学誌「サイエンス」に発表して注目を浴びた。しかし、できた卵原細胞は少なかった。

2016年1月、名古屋市内のホテルで講演する山中伸弥氏(筆者撮影)
2016年1月、名古屋市内のホテルで講演する山中伸弥氏(筆者撮影)
iPS細胞から卵原細胞を作製するための実験手順(京都大学/斎藤通紀教授らの研究グループ提供)
iPS細胞から卵原細胞を作製するための実験手順(京都大学/斎藤通紀教授らの研究グループ提供)

「ヒト生殖細胞の発生機構を解明できた」

 斎藤教授らの研究グループは今回、ヒトiPS細胞から始原生殖細胞に似た細胞(ヒトPGCLCs)を独自の方法で作製。ヒトの体内にあって骨形成にも関わるとされるタンパク質の一種「BMP2」をこのヒトPGCLCsに投与して培養した。

 その結果、約2カ月で卵原細胞と前精原細胞を作り出すことに成功した。さらに染色体数を安定させ続けるなどの条件下で約4カ月培養を続けると細胞数は100億倍増えたという。今回の研究成果で大量に前精原細胞や卵原細胞を作製できる手法が確立した。大量にできることで実験が飛躍的にしやすくなった。このため生殖細胞研究が進展すると期待されている。

ヒトPGCLCsにBMP2を投与、培養して卵原細胞と前精原細胞を作り出すことに成功した実験イメージ(京都大学/斎藤通紀教授らの研究グループ提供)
ヒトPGCLCsにBMP2を投与、培養して卵原細胞と前精原細胞を作り出すことに成功した実験イメージ(京都大学/斎藤通紀教授らの研究グループ提供)

 研究グループによると、ヒトの生殖細胞が分化する過程では「エピゲノムリプログラミング」と呼ばれる反応が起きる。「エピゲノム」とはゲノムの塩基配列にない遺伝子制御に関する分子の化学構成や構造の変化のことで、エピゲノムリプログラミングは親世代のエピゲノムに関する情報をいったん消去する生体内の反応。生命誕生をめぐる重要な反応とされるが、詳しくは未解明だった。

 研究グループは卵原細胞などの作製過程でエピゲノムリプログラミングも再現できたとし、今回の一連の研究により「ヒト生殖細胞の発生機構を解明できた」としている。メンバーの横川氏は「我々が開発した技術は生殖医療の未来を大きく変革する可能性を秘めている」などとコメントしている。

ヒトiPS細胞を利用して卵子と精子のもとになる生殖細胞を大量に作製することに成功したと発表した京都大学の研究グループ。左から横川隆太氏、斎藤通紀氏、村瀬祐介氏(京都大学提供)
ヒトiPS細胞を利用して卵子と精子のもとになる生殖細胞を大量に作製することに成功したと発表した京都大学の研究グループ。左から横川隆太氏、斎藤通紀氏、村瀬祐介氏(京都大学提供)

iPS細胞やES細胞からの受精卵作製は禁止

 ヒトの卵原細胞などの生殖細胞をつくる研究は2010年に国(文部科学省)の指針が改正されて可能になったが、ヒトiPS細胞や胚性幹細胞(ES細胞)からできた卵子と精子で受精卵やヒト胚を作製することは引き続き禁止されている。

 生殖医療の倫理上の問題については国(内閣府)の生命倫理専門調査会がさまざまな課題について幅広く議論している。これまで2021年に、受精卵から核を取り出し、核を抜いた他人の受精卵に移植する「核移植」を基礎研究に限って可能とする文科省などの指針改正案を容認した。昨年6月にはiPS細胞から作製可能になったヒトの受精卵に似た細胞の塊を扱う研究の規制などの在り方を議論することを決めている。

 そして今年3月にはヒトiPS細胞などを使ってヒトの受精卵(胚)を再現した「胚モデル」の人体内への移植は「科学的合理性がなく倫理的に許容されない」と禁止し、引き続き人の命の誕生につながる研究は制限すべきだとの見解を出している。

 一方、今回の研究成果は今後の生殖医療を進展させる可能性が高いため、同調査会では具体例な研究進展例として議論で取り上げられそうだ。

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