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日本、5カ国目の月面着陸に成功 実証機「スリム」太陽電池は働かず

2024.01.22

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 実証機「スリム」が20日午前零時20分、月面への着陸に成功した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発表した。日本の月面着陸は史上初で、旧ソ連、米国、中国、インドに続き5カ国目。独自技術で目指した、史上最小100メートル級の位置誤差の「ピンポイント着陸」も達成した模様だ。ただ着陸後に機体の太陽電池で発電できず、月面での活動時間が大幅に短縮する恐れがある。着陸した姿勢が計画通りにならず、太陽光が当たらなかったため。日本の科学技術史に残る一大成果となり、宇宙技術を世界に示したものの“ほろ苦さ”を帯びた月面デビューとなった。

スリムが着陸したとみられる時刻の管制室。チームのメンバーが固唾(かたず)をのんでモニターを見つめた=20日午前零時20分、相模原市中央区のJAXA宇宙科学研究所(JAXA提供)

ピンポイント着陸「ほぼ確実に成功」

 スリムは昨年9月7日に地球を出発。JAXAの発表や中継されたデータによると、先月25日に月周回軌道に投入され、段階的に軌道を変更し高度を下げた。今月20日午前零時、月の高度15キロあまりから減速して降下。月面を撮影してクレーターの地図と照合し、機体の位置や高度を逐次、把握する「画像照合航法」で移動した。同16分頃、着陸地点上空の高度6キロ付近から垂直に降下を開始。月面の低緯度の平原「神酒(みき)の海」にある「シオリクレーター」付近の、半径100メートルの円内の傾斜地を目指し、同20分に着陸した。

月面を目指し航行するスリムの想像図(JAXA提供)

 着陸後に地上との通信は確立したものの、太陽電池が発電しなかった。そのため搭載したバッテリーのみを電源とし、降下中や着陸後のデータを地上へ送信した。データを詳しく検証する。月面での活動は数日を計画していたが、バッテリー寿命が近づいたため午前3時頃、電源を切ったという。

 管制室のあるJAXA宇宙科学研究所(相模原市中央区)で20日未明に会見した國中均所長は「残された時間で(発電の)手立てを打つより、現状を維持して地上にデータを送信し、科学的成果を最大化することを考えたい」と説明した。JAXAは22日、分析の結果、電池が太陽光と反対の西を向いていることが分かったと発表した。今後、太陽光が西から当たるようになれば、発電して活動を再開できる可能性があり、準備を進めるという。

 これまで各国の月面着陸は位置の目標誤差が数キロ以上だったが、スリムは桁違いの100メートル級のピンポイント着陸を目指した。世界初というこの技術の成否の確認には1カ月ほどかかるものの、國中氏は「機体が予定通りのコースを描いたことから、個人的にはピンポイント着陸ができたと考えている」との見方を示した。

矢印の先がスリムの着陸計画地点。右写真の中央の大きな白いクレーターがシオリクレーター(NASA提供)

 JAXAの山川宏理事長は「着陸ができ、わが国の技術による月面へのアクセスが開けた。仮にピンポイント着陸が実現できていれば世界初。今後は『クレーターのどの辺りに降りたい』といった高精度が要求されるだけに、重要技術となる。わが国が競争力を獲得し、国際協力も進められる」と意義を強調した。

会見するJAXAの(左から)藤本正樹宇宙科学研究所副所長、國中均所長、山川宏理事長=20日午前、JAXA宇宙研

 日本にとって、惑星や衛星のような重力が十分ある「重力天体」への初着陸となった。探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」は物質採取のため小惑星に着地したが、重力は地球の数万~数十万分の1しかなく、ほぼ無重力。一方、月の重力は地球の約6分の1と大きく、表面に激突するリスクがあるなど事情は全く異なる。逆噴射の制御などが大きなハードルとなるが、スリムはこれを見事にクリアした。

 スリムは小型ロボット「レブ1」「レブ2」も搭載し、いずれも計画通りに着陸直前の高度2メートルで分離した。中央大学などが開発したレブ1は地上で電波を受信し、月面での活動を確認。タカラトミーなどのレブ2の状況は、データの分析を進めて判断するという。

独自の「2段階着陸」不調か

 太陽電池が働かない原因について、國中氏は「着陸前は太陽電池を含めて健全だった。他の部分は着陸後も正常。着陸段階で太陽電池だけが壊れることは考えにくい」として故障を否定。機体には太陽電池が1面にしか貼られておらず、計画と違い、その面に太陽光が当たらない向きで着陸してしまったことが、22日に分かった。

 スリムは独自の「2段階着陸方式」を採用した。まず1本の「主脚」で月面に接地し、次に残り4本の足も使い、15度の傾斜地に、上り坂に向かって倒れ込んで静止するよう設計したもの。“わざと転倒させる”仕組みだが、この転倒の勢いが想定と異なるなどし、機体の向きが計画を外れたことが考えられる。

スリム独自の「2段階着陸方式」。うまくいかなかった可能性がある(JAXA提供)

 スリム計画ではかつて、円筒形の機体側面の全周を太陽電池で覆う形が想定されたが、設計変更により機体の形状が直方体に近くなり、電池はカメの甲羅のように1面だけに貼る形に落ち着いた。國中氏は「円筒形だと一部の電池にしか光が当たらず、効率が悪い。1面だけに貼れば電池をフルに生かせる。今回は2段階着陸との兼ね合いでこれを選択した」と、効率重視の設計思想によるものだと説明した。

スリムは構想や計画の過程で複数回、機体の形状が変更された。左は2015年頃に公開された想像図(JAXA提供)。右は実際に開発された機体(逆さの状態)。太陽電池の貼り方や足の形状などが変わっているのが分かる(JAXA、三菱電機提供)

 搭載バッテリーにより、データは問題なく地上に送信でき、検証が可能だ。一方、太陽光発電がないと、着陸後に数日かけて行う予定だった、分光カメラの科学観測がほぼできないことになる。地下のマントルから月面にむき出しになった「かんらん石」の組成を分析することで、月の起源の謎に迫れるなどと期待されていた。

紆余曲折経て「世界と並んで戦えるチケット、手中に」

太陽電池を上に向け、正常に着陸を果たしたスリムの想像図。この通りにならなかったとみられる(JAXA提供)

 スリムは月面へのピンポイント着陸を小型軽量の機体で実現し、効果的で高効率の月・惑星探査につなげる狙いで計画された。機体は高さ2.4、幅2.7、厚さ1.7メートル。燃料を含む重さは700キロほど。名前は「Smart Lander for Investigating Moon(スマート・ランダー・フォー・インベスティゲーティング・ムーン=月を調べるスマートな着陸機)」の頭文字「SLIM」に由来する。開発費は約149億円(打ち上げ費用の一部と初期運用費用を含む)。2015年に政府が了承し、翌年に計画が正式スタート。当初は18年度にも打ち上げる計画だったが、機体の設計や搭載ロケットの変更の必要などに迫られ延期を繰り返した末、ようやく実現した。

 月の探査が進んで科学研究の狙いが高度化し、今後の探査機は安全な広い平原ばかりでなく、クレーターの近くなど、さまざまな地形の場所への着陸が求められていく。また月の極域のごく限られた場所に、将来の資源利用が期待される水の氷があるとの見方もあり、ピンポイント着陸が鍵となる。他国に先駆けて実現すれば優位の技術となり、宇宙分野の国際協力でも役立つと期待されてきた。

 日本の宇宙科学にとって、月面着陸は悲願そのもの。これまで何度も検討されながら、見送られてきた苦難の歴史がある。2007~09年に探査した周回機「かぐや」は、開発の初期に着陸機を載せる計画だったが見送られた。04年に米ブッシュ共和党政権が有人月探査を含む、後に「コンステレーション計画」と呼ばれる構想を提唱し、日本国内でも月探査が盛んに議論された。しかし10年にオバマ民主党政権が同計画の中止を発表して小惑星重視へといったん転換すると、日本の議論も沈静化。こうした中、紆余(うよ)曲折を経て実現にこぎつけたのがスリムだ。

 一方この間、国際協力による大規模な月探査「アルテミス計画」がトランプ共和党政権下で加速し、日本が2019年に参加を表明するなどして、月への関心は再び高まりをみせている。米航空宇宙局(NASA)は同計画で、アポロ以来の有人月面着陸を26年に再開するとし、日本人の着陸の期待も高い。トヨタは年内にも、有人月面探査車「ルナクルーザー」の本格開発を開始する。日本とインドが共同で月の南極域に探査機を送る「ルペックス計画」も進行中。こうしたタイミングで日本が月面着陸を達成したことで、月の科学研究や開発利用に向け、関心や機運がさらに高まりそうだ。

ルペックス計画の想像図(JAXA提供)

 昨年4月には宇宙ベンチャー、アイスペース(東京)の月面着陸機が高度計測の問題で着陸に失敗している。米民間ロケットで打ち上げられたもので、成功すれば世界初の民間月面着陸と期待されていた。

 太陽系探査に詳しい惑星科学者の寺薗淳也氏は「着陸は必ず必要になる技術。日本は、世界と並んで戦えるチケットを手にした。太陽電池の問題で手放しで喜べないにせよ、着陸を素直に評価してよい。得られるデータの分析から発展する科学や技術があり、それに期待したい。ただ、日本には1990年代後半から月面着陸構想があったのに、非常に時間がかかった。このことにJAXAは真摯(しんし)に向き合ってほしい。今後は企業も取り組むだろうが、JAXAが月に対し継続的にアプローチしなければならないことは多い」と指摘している。

「ぎりぎり合格の60点」笑顔なき成功

 スリムの着陸後の会見には長年、計画を率いてきた坂井真一郎プロジェクトマネージャの姿はなく、山川氏と國中氏、宇宙研の藤本正樹副所長の3人が、神妙な面持ちで登壇した。報道陣からは「着陸に成功したのだからもっと喜んでいいのに、表情が硬い」との声も。これに藤本氏は「何が起きているのか、次にどうしたらいいのか。予定が決まらない今の状態は、かなりしんどい」と応じ、複雑な心境を吐露した。着陸の点数を問われた國中氏は「ぎりぎり合格の60点」と、実に控え目だった。

会見後、撮影に応じる(左から)藤本氏、國中氏、山川氏。報道陣から「笑顔で」と促されると、少し表情が和んだ=20日午前、JAXA宇宙研

 スリムはいわゆる探査機ではなく、ピンポイント着陸技術を確立する工学実証の目的でスタートした。太陽電池が働かず、分光カメラの観測がほとんどできないとすれば残念ではあるが、ピンポイント着陸ができれば計画の主目的は達成している。米国で、例えばスペースX社の巨大ロケット「スターシップ」が試験飛行の末に爆発してさえ、「データが取れた」と同社に大歓声が響いたのとは、全く対照的だ。完璧を求める日本のお国柄、国民性という要因もあるのかもしれない。

 日本最古の物語「竹取物語」をはじめ日本人は古来、文学作品に描くなどして月に親しみ、繊細な感性や情緒を養ってきた。明治初期まで太陰暦により、月の満ち欠けをカレンダーにして暮らした。そして21世紀の今、ついに使者を遣わしたことで「月と日本人」の新章が始まった。これから、数多の文学作品に劣らず子々孫々まで読み継がれる、科学技術の物語を紡(つむ)いでいかねばならない。

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