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「成人」「こども」「高齢者」に区分した年代別の新「睡眠指針」案、厚労省が公表

2023.10.27

内城喜貴 / 科学ジャーナリスト

 体や心の健康のためにぐっすり寝ることが大切であることは誰もが知っている。それでも多忙でストレスの多い現代社会では毎日、十分睡眠時間を確保することは容易ではない。そうした中で、驚異的な好成績を残している米大リーグの大谷翔平選手は、常日頃から睡眠を大事にしてよく寝ることを心掛けていると公言するなど、努力して睡眠をとる大切さを見直す機運も出ている。

 厚生労働省は心身の健康づくりのための新たな「睡眠指針2023」(仮称)案を10月初めに公表した。例えば「成人は6時間以上」「小学生は9~12時間」「高齢者は個人の体調や生活状況に合わせた時間」など、年代別に適切な睡眠時間を確保することを推奨し、質の高い睡眠のために心掛けるべき注意点を細かく示している。

 「快い眠りこそは、自然が人間に与えてくれたやさしい、なつかしい看護婦である」。これは英国の著名な劇作家・詩人シェイクスピアが戯曲の中で使った名言だ。古今東西、睡眠の大切さが説かれてきたが、日本人は世界的に見ても睡眠時間は短い。厚労省も事態を重視し、年内にも確定する新たな睡眠指針を切り札に、健康問題でもある日本人の睡眠習慣を何とか改善したい考えだ。

厚生労働省の「健康づくりのための睡眠指針の改訂に関する検討会」に提出された改訂案(厚生労働省提供)
厚生労働省の「健康づくりのための睡眠指針の改訂に関する検討会」に提出された改訂案(厚生労働省提供)

日本人の睡眠時間、世界でも短く質も低く

 経済協力開発機構(OECD)が世界の33カ国を対象に行った各国国民の時間の使い方調査(2021年版)で睡眠時間の項目を見ると、日本人は7時間22分。各国平均の8時間28分より1時間以上短い。主な調査対象国15カ国では南アフリカが最も長く9時間13分。米国も比較的長く8時間51分、英国、フランスなどの欧米主要国は全体平均時間に比較的近い。東アジアでは韓国が日本に次いで短く7時間51分だった一方、中国は9時間2分と全体平均より30分以上長い。

 この調査結果について厚労省は「調査方法や対象国の文化・地理的背景は各国で異なり、寝床にいる時間と実際の睡眠時間が明確に区別されていない」として時間の長短の単純比較には注意が必要としながらも「日本人の睡眠時間は世界各国と比較して少ない(短い)」としている。

OECDの睡眠時間調査結果を基に厚生労働省が作成したグラフ(厚生労働省「良い目覚めは良い眠りから・解説書」から)(厚生労働省提供)
OECDの睡眠時間調査結果を基に厚生労働省が作成したグラフ(厚生労働省「良い目覚めは良い眠りから・解説書」から)(厚生労働省提供)

 また、厚労省が2019年に行った「国民健康・栄養調査」によると、20歳以上の男女約5700人の中で1日の平均睡眠時間が6時間未満の人は、男性37.5%、女性40.6%だった。年代別では男女とも50歳代が最も多く、男女それぞれ49.4%、53.1%。約半分の人が寝る時間を6時間さえ確保できていなかった。

 この調査で睡眠の質に関する質問では、男女とも20~50歳では「日中、眠気を感じた」が、一方70歳代の女性では「夜間、睡眠途中に目が覚めて困った」と回答した人の割合が最も高く、質の低さをうかがわせた。睡眠の妨げになる点については男女とも20歳代では「就寝前に携帯電話、メール、ゲームなどに熱中すること」、30~40歳代男性では「仕事」、30歳代女性では「育児」と回答した人の割合が最も高かった。

「国民健康・栄養調査」から厚生労働省が作成した男女別、年代別平均睡眠時間のグラフ(厚生労働省提供)
「国民健康・栄養調査」から厚生労働省が作成した男女別、年代別平均睡眠時間のグラフ(厚生労働省提供)

「睡眠休養感」の確保を強調

 日本人の短く質が低い睡眠時間の傾向について、厚労省健康・生活衛生局は睡眠による休養が十分とれていない人の割合は増加傾向にあり、「睡眠により休養がとれた感覚」(睡眠休養感)を確保するための対策が必要、と強調している。

 同省はこうした考えを基に、2014年に設けた「健康づくりのための睡眠指針2014」を最新の科学的知見を基に改訂することにした。指針では睡眠について正しい知識を身につけ、定期的に睡眠の仕方を見直してもらうことなどを目指す「睡眠12箇条」を定めている。

 新しい睡眠指針案(改訂案)ではこの12箇条はそのまま踏襲する方針で、新たに「成人」「こども」「高齢者」という年代別3区分ごとに推奨する睡眠時間を設定し、日々の生活で注意すべきことを網羅する。

健康づくりのための睡眠指針2014で定めた「睡眠12箇条」(厚生労働省提供)
健康づくりのための睡眠指針2014で定めた「睡眠12箇条」(厚生労働省提供)

大人は6時間以上寝て、労働時間管理を

 「成人版」では、まず大人は慢性的な睡眠不足傾向にあると指摘し、毎日の睡眠時間を6時間以上確保し、睡眠不足が影響する病気を予防することを掲げた。この中で睡眠時間が極端に短いと高血圧、糖尿病、心疾患、脳血管疾患のほか、認知症やうつ病など、さまざまな病気の発症リスクを高めることが近年の研究で分かっている、としている。

 10月2日に開かれた厚労省の「健康づくりのための睡眠指針の改訂に関する検討会」に提出された資料によると、日本の男性労働者約2300人を14年間追跡した調査では、睡眠時間が1日あたり6時間未満の人は7時間以上8時間未満の人と比べて高血圧、心筋梗塞や狭心症といった心血管疾患を発症するリスクが5倍近く増加するとの結果が出たという。

 改訂案は「労働者が適正な睡眠時間を確保する上で重要なのは労働時間の管理」で、交替制職場の場合、夜間勤務中の仮眠や昼間に睡眠をとる場合は遮(しゃ)光などによる睡眠環境の整備が大切とし、睡眠休養感の確保のために適正な生活習慣が必要と強調している。生活習慣の見直し例として、就寝間際の夜食を控えることや適切な嗜好品摂取、寝室の環境整備などを示した。

 また、大人の睡眠の不調や睡眠休養感の低下の背後には病気が潜んでいる場合があると注意を呼びかけ、閉塞性睡眠時無呼吸や更年期障害などを例に挙げた。閉塞性睡眠時無呼吸は心筋梗塞や脳梗塞の発症リスクにもなるという。

子どもや高齢者も昼間は体を動かす

 「こども版」では年齢別に細かく推奨する睡眠時間を定めた。1~2歳児は11~14時間、3~5歳児は10~13時間、小学生は9~12時間、中学・高校生は8~12時間。「生まれてから乳幼児期、学童期、思春期、青年期へと発達段階が進むにつれて睡眠、覚醒リズムが劇的に変化し同時に睡眠習慣も変わる」と指摘した。

こどもにおける年齢別の推奨睡眠時間(厚生労働省提供)
こどもにおける年齢別の推奨睡眠時間(厚生労働省提供)

 また、「こどもは夜更かしや朝寝坊しやすい。気づかないうちに睡眠不足になりやすい」とし、保護者、家族など周囲の人間に注意を呼びかけている。大人版同様、睡眠の質に関係する生活習慣での注意点も例示。起床後から日中にかけて太陽の光を十分浴びることや、朝食をしっかりとること、ゲーム・スマホ利用などのスクリーンタイムを減らして体を動かすことなどを挙げた。

 「高齢者版」では、高齢世代になると自宅で過ごす時間が増え、家庭内での役割も徐々に減る傾向になるとし、睡眠不足よりもむしろ長時間睡眠(長寝)による健康リスクが高まるとの研究例を示し、昼寝は30分以内をめどに短時間にし、昼間はなるべく活動的に過ごすことを推奨した。

 そして長寝や長い昼寝は睡眠休養感の低下をもたらすとして、個人の健康具合、体調や年齢に応じた生活状況に合わせた適切な睡眠時間や床上時間(寝床で過ごす時間)を見つけることが大切としている。

加齢に伴う日中の覚醒と夜間の睡眠の変化を示すグラフ(厚生労働省提供)
加齢に伴う日中の覚醒と夜間の睡眠の変化を示すグラフ(厚生労働省提供)

「良い睡眠」のためのコツをアドバイス

 睡眠指針の改訂案では「良い睡眠をとるための基本方策(コツ)」を「参考情報」として7項目にわたり具体的なデータや研究結果を基にアドバイスしている。まず「睡眠時間」については、成人は7時間前後の人が生活習慣病やうつ病の発症リスクのほか、死亡リスクも最も低いとの調査報告を紹介。「6~8時間が適正と考えられる」とした。

 「環境づくり」では、日中に日光を浴びることでホルモン・メラトニンの分泌量が夜間に増えて入眠が促進されるが、寝る前2時間以内に強い照明やスマートフォンの強い光を浴びると分泌量は抑制されるとの研究成果を引用した。また寝室は暑すぎず、寒すぎない温度を保ち、就寝1~2時間前に入浴してから寝床に入ることをアドバイスしている。

 「運動、食事」の項目によると、ウォーキングやジョギングのような有酸素運動は寝つきを良くし、深い睡眠を増加させ、睡眠休養感を高めるという。ここでは朝食は体内時計の調節に寄与するため、朝食抜きは睡眠休養感を低下させることが最近の調査研究で明らかになったと明記した。

 「嗜好品」では、カフェイン摂取量は1日400ミリグラムを超えないことを推奨。アルコールについても、一時的に寝つきを促進するが睡眠後半の眠りの質を低下させるとし、寝るためにお酒を飲むこと(寝酒)は控えるようアドバイスしている。このほか「妊娠、子育て」の項目では、月経周期が睡眠に与える影響や妊娠中の睡眠が胎児の健康に影響することなどを丁寧に解説している。

筑波大など国内でも盛んな睡眠研究

 人間は、人種や年齢により差はあるものの生涯の時間の約3分の1を睡眠に費やしている。それだけに「眠り」に関する探究は古くから行われてきたが、科学的に本格的に睡眠研究が始まったのは20世紀初頭に「脳波」の存在が確認されてからとされる。その後、脳内物質などが明らかにされ、脳内の神経細胞の研究も進んで睡眠研究は大きく進歩した。

 世界中の研究により、睡眠が健康に密接な関係があることが具体的に明らかにされるにつれて研究は各国で拍車がかかっている。日本でも多くの大学や研究機関がさまざまな分野から研究が盛んだ。中でも注目されているのがノーベル生理学・医学賞候補とも言われ、睡眠研究で世界的に知られる柳沢正史氏がリーダーを務める筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(IIIS)だ。

茨城県つくば市にある筑波大学IIISの建物(IIIS提供)
茨城県つくば市にある筑波大学IIISの建物(IIIS提供)

 睡眠研究の国内推進を目指して日本学術会議は2002年に「睡眠学の創設と研究推進」を提言した。筑波大学のIIISはこうした動きも受け、世界のトップレベルの研究者を集めて2012年に設立された。1998年ごろに神経伝達物質オレキシンが睡眠覚醒を制御していることを発見した柳沢氏が初代機構長に就任。以降同機構は多くの研究実績を残している。

 IIISは神経科学、創薬科学、実験医学の3つの研究領域を融合し「睡眠医科学」の分野を確立して、研究活動を行っている。ホームページでは「睡眠障害がもたらす経済損失は約15兆円にも上る」とし、「睡眠の謎を解き明かし、睡眠障害の治療法を開発することで人類の健康増進に貢献していく」と宣言している。

「眠気の実体は全く分かっていない」と柳沢氏

 「睡眠覚醒調節の根本的な原理、つまり『眠気』の神経科学的な実体は何か、なぜ我々は眠らなければならないのか全く分かっていない」と柳沢氏は強調する。同氏は自ら研究を主導、多くの後輩らを率いて精力的に研究を続け、多くの研究成果を発表している。同氏のほか、最近では今年3月に同機構の林悠教授らのグループが、肉体疲労後に眠くなる正体を解明する研究成果を発表するなどIIISの研究者らのモチベーションは高い。

 IIISなどの研究成果もあり、国内の睡眠研究・対策が生活習慣病対策と連動して進められている。厚労省が年内にも正式に策定する新しい睡眠指針はこうした動きに対し、国民一人一人に睡眠管理の大切さを改めて考えてもらうための重要な手引きになるだろう。

柳沢正史IIIS機構長(IIIS提供)
柳沢正史IIIS機構長(IIIS提供)

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