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共感する脳の働きを解明、自分と他者の情報併せ持つニューロン発見 ASDの理解増進へ

2023.08.07

内城喜貴 / 科学ジャーナリスト

 他者の感情を共有する「共感」。共感のしやすさは「共感力」と呼ばれ、共感力は多様な人々と円滑で良好なコミュニケーションを交わしながら社会生活を営む上でとても大切だ。心の問題と考えられてきたこの共感をする脳の働きや仕組みを神経細胞(ニューロン)レベルで解明する研究が進んでいる。

 東京大学・定量生命科学研究所の奥山輝大准教授は、この分野で世界でも先端的研究を続けてきた。奥山さんらの研究グループは7月、自分と他者の情報を併せ持つニューロンをマウスの脳の「前頭前野」で見つけたと発表した。新しい実験手法を駆使し、共感する脳の働きを解明した研究成果だ。奥山さんはこの成果を、共感性に難しさを抱える発達障害の一つである自閉スペクトラム症(ASD)の理解増進や治療、改善戦略につなげたいと意気込んでいる。

共感の核となる情動伝染のイメージ図(奥山輝大さん提供)

核となる「情動伝染」をAI活用し自動解析

 家族や親友などの身近な人間が、例えば悲しんでいるのを見ると自分のことのように悲しくなることがある。このような「情動」が人から人に伝染する現象は「情動伝染」と呼ばれ、共感の核とされる。情動伝染の現象は実は人間だけでなく、マウスを含めた多くの動物で見られる。

 これまでの研究では、マウスに電気ショックを与えて恐怖を感じさせ、隣合わせたマウスがうずくまって震える「すくみ行動」を観察する「観察恐怖行動実験」で神経のメカニズムを解明してきた。

 世界のいくつかの研究グループにより、仲間のマウスの恐怖を見て起きたとみられるすくみ行動に、痛みの認識に関わる脳内の「前帯状脂質(ACC)」や情動を司る「基底外側扁桃体(BLA)」と呼ばれる脳領域が関与していることが明らかにされてきた。

 しかし、従来の実験方法では仲間の恐怖に反応する逃避、観察、移動といったさまざまな行動に関係する神経メカニズムはよく分からなかった。そこで奥山さんのほか、東京大学大学院医学系研究科博士課程の黄子彦さんとジョン・ミョンさんらの研究グループは、マウスの耳や尻尾も含めた体の13カ所を人工知能(AI)の深層学習も活用して自動的に追跡し、マウスの全ての行動を解析できるシステムを開発した。

 このシステムを開発したことで仲間の恐怖に反応するマウス(観察マウス)が示す複雑な行動を客観的に自動的に分類、解析できるようになったという。

研究成果を発表する右から奥山輝大さん、黄子彦さん、ジョン・ミョンさん
情動伝染を調べる観察恐怖学習行動実験(奥山輝大さん提供)

光を使って2種類のニューロン集団が判明

 奥山さんらが開発したこの新しい行動観察システムにより、情動伝染に関係する脳領域のニューロンの解明が進んだ。研究グループは人間の共感に関係するのではないかと考えられながら詳しい機能は分からなかった「腹内側前頭前野(vmPFC)」に着目。vmPFCが他者の感情と自分の感情をどのように情報処理しているかという謎の解明に取り組んだ。

 奥山さんらはこの解明に当たり、「光遺伝学」という光を使って脳のニューロンを操作する手法と、「カルシウムイメージング」というニューロンの活動を光の変化にして観察できる手法を組み合わせた実験に臨んだ。観察マウスに情動伝染が起きている時のvmPFCのニューロン活動を微小脳内内視鏡で観察しながら、そのニューロンへの情報入力をさまざまな実験目的に沿って人為的に操作できるのが特徴だ。

 このように新たな研究アプローチを続けた結果、電気ショックで恐怖を感じたマウスを見た観察マウスのvmPFCに、「他者(恐怖マウス)の感情」に関する情報と、情動伝染して怖いと感じる「自分の感情」の両方の情報を同時に持つ2種類のニューロンの集団が存在することが判明した。

 さらに観察マウスの脳内の前帯状脂質(ACC)、基底外側扁桃体(BLA)のそれぞれからvmPFCに情動に関する情報が入力され、観察マウスの中で他者マウスが怖がっているという情報と自分も怖いと感じる情報の両方の処理を司っている仕組みも分かったという。

 奥山さんは、この2種類のニューロンがvmPFCの中でバランスを取りながら反応し、共感に関わる情報の統合処理を行っており、情動伝染時の脳の働きの鍵を握っていると説明している。研究論文は7月3日に英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズに掲載された。

観察マウスのvmPFCに「他者(恐怖マウス)の感情」の情報と、情動伝染して怖いと感じる「自分の感情」の両方の情報を同時に持つニューロンが存在する(奥山輝大さん提供)
2種類のニューロンがvmPFCの中でバランスを取りながら反応し、共感に関わる情報の統合処理を行っていることを説明する概念図(奥山輝大さん提供)

始まりは「メダカの恋愛」、次いでMIT留学

 奥山さんの専門は「社会性神経科学」だ。他者を認識して頭の中で「表象」する「社会性記憶」が脳の中でどのように働くかという研究テーマに専念してきた。表象とは頭の中で記憶した他者を思い出して表現することだという。

 研究の始まりは東京大学の大学院生だったころに、早くも研究成果を上げた「メダカの恋愛」のメカニズムの解明だった。メスのメダカには自分の周囲の見知ったオスを好んで配偶相手に選ぶ性質があることを見つけ、論文が2014年に米科学誌サイエンスに掲載された。

この研究論文をまとめた直後の13年に米国に渡り、米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授でノーベル医学生理学賞受賞学者の利根川進博士の研究室の門をたたいた。そこでも他者に対する記憶のメカニズムの研究を続け、利根川博士とともに他者を記憶するための神経のメカニズム解明などを進めた。

 そして奥山さんと利根川博士らは他者を記憶するための脳の海馬の仕組みを解明し、論文は16年9月に米科学誌サイエンスに掲載された。この論文では「誰が、いつ、どこで、どうした」という情報のうち、それまで未解明だった「誰が」の記憶が海馬の中の「腹側CA1」という領域に保持されていることをマウスの実験で明らかにしている。

 面白いことに、マウスはよく見知っている相手より見知らぬ新しい相手に近づいていくという性質がある。このためマウスの行動をテストすることで「相手のことを覚えているか」という社会性記憶を調べることができるという。奥山さんらの研究グループは当時、海馬の腹側領域、特に腹側CA1の興奮を阻害した時に社会性記憶に障害が出ることを確かめて研究成果をまとめたという。

病気というより「特有の性質」、神経回路同定に挑む

 奥山さんは2017年に東京大学の分子細胞生物学研究所(当時、現・定量生命科学研究所)に戻り、ASDのモデルマウスは腹側CA1のニューロンの活動に異常があることを明らかにしている。「今回発表した『自分と他者の情報を併せ持つニューロンの発見』もASDの理解の解明につながる」と語る。現在、ASDに関わる新しい神経回路を同定する研究に挑んでいる。

 ASDは以前、自閉症やアスペルガー症候群と呼ばれていた。他者とのコミュニケーションが上手にとりにくく対人関係が苦手で強いこだわりといった特徴がある発達障害の1つ。奥山さんによると、米国では36人に1人の割合で見つかっており、全米の経済損失が毎年26兆円に上るという見積もりもあるという。

 厚生労働省の健康情報サイトは「原因はまだ特定されていないが多くの遺伝的要因が複雑に関与して起こる、生まれつきの脳の機能障害が原因と考えられている」としているが、多くの専門家は「病気というより持って生まれた『特有の性質』(特性)と考えるべき」と指摘する。実際、優れた才能を発揮する人も増えている。その一方で社会生活に支障を来すケースもあり、周囲や社会の支援が必要とされている。

現在の研究が自閉スペクトラム症の理解と解明につながることを説明する図(奥山輝大さん提供)

「世界の見え方は一人一人異なる」

 「世界の見え方、捉え方は一人一人異なる。多様性の大切さが指摘されているが、世界の見え方は個人で異なることはまだ十分理解されていない。ASDの研究や解明は一人一人が異なる多様性の真の意味を理解することにつながる」。奥山さんはこう力説する。

 ASDには認可済みの薬剤が存在せず、根本的に治すのは難しいかもしれない。しかし、関係するニューロンを同定することができれば、早く診断して適切な対処法を提供する新規治療戦略の確立につながるという。

 うつ病に関係するニューロンの研究も併せて進めている奥山さん。社会性神経科学という注目分野での気鋭の若手研究者は、猛暑が続く東京大学弥生キャンパス(東京都文京区)で連日、現代社会が直面する大きな課題解決に取り組んでいる。

東京大学・定量生命科学研究所で研究を続ける奥山輝大さん

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