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あれっ、ビルが!…傾く錯視、体の傾きと移動で起こる 東北大など解明

2023.01.31

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 一般に目の錯覚と呼ばれる、錯視。図形や模様が歪んだり、動いたりして見え、自分の感覚がだまされるのが不思議で面白い。香港の有名なケーブルカーでは、周囲のビルが垂直に立たず傾いているように見える、独特の錯視が起こるという。その仕組みは、座った乗客の体が、車両の構造のせいで傾いた状態となって、走行するためであることが、現地の実験で分かった。意外にも、視覚の影響は小さいのだとか。

実験に使われた香港・ビクトリアピークのケーブルカー(東北大学、東北学院大学提供)
実験に使われた香港・ビクトリアピークのケーブルカー(東北大学、東北学院大学提供)

ケーブルカーが走るとビルが傾く!?

走行中に周りのビルが視界の奥側へと傾いて見える錯視が生じる
走行中に周りのビルが視界の奥側へと傾いて見える錯視が生じる

 重力方向の垂直を知覚する能力は歩行や運転など、生活上の動作や安全確保に欠かせない。この能力が正しく機能せず錯視が起こることがあり、東北大学、東北学院大学などの国際研究グループが仕組みの解明に挑んだ。香港の景勝地、ビクトリアピークのケーブルカーに乗ると、走行中に周りのビルが視界の奥側へと傾いて見える錯視が生じることに着目した。

 重力方向の垂直と、人が垂直だと感じる向きの誤差を調べる棒状の器具を用意。このケーブルカーに被験者の成人8人が乗り、この器具を使って実験した。まず車内で目を開けて着席して調べると、走行中に坂道がきつくなるほど、誤差が大きくなった。上りも下りも同様だった。

 なお、ケーブルカーの床は一般に階段状だが、当地のものは平地を走る鉄道と同様に平坦で、席の座面も床に水平になるよう設置されている。席は常に上り方向を向くよう固定されている。

目を閉じても誤差変わらず

 次に、誤差の原因を突き止める実験をした。このケーブルカーに目を閉じて乗っても、体の軸が重力方向に立つよう席の背もたれに物を挟んで乗っても、誤差は、普通に目を開けて乗った場合と変わらなかった。つまり視覚も、体の傾きを感じる内耳の器官「前庭」の感覚も、錯視の主要因ではないことが分かった。

ケーブルカーで目を開けて(黒枠内)も、閉じて(赤)も、目を閉じて体を重力方向に立てて(緑)も、垂直に感じる向きの誤差は同様だった(東北大学、東北学院大学提供)
ケーブルカーで目を開けて(黒枠内)も、閉じて(赤)も、目を閉じて体を重力方向に立てて(緑)も、垂直に感じる向きの誤差は同様だった(東北大学、東北学院大学提供)

 また、室内で移動しないリクライニングの椅子を倒して座り、体を後ろに傾けただけの状態で調べると、誤差は生じなかった。 平地を進む路面電車で座っても同様に誤差はなかった。

 一連の結果から、体の前後方向の傾きと直線移動の2つの要因が組み合わさることで垂直感覚がずれて錯視が起き、ビルが傾いて見えるとみられることを突き止めた。2つの要因はこれまで別々に研究されることが多かったが、垂直についての錯視はこれらが組み合わさって起こることが分かった。

遊園地、リハビリ、情報通信に応用も

 研究グループの東北学院大学教養学部の櫻井研三教授(知覚心理学)は「感じる垂直が後ろに傾いていると、垂直に立つビルを補正して見て、傾いているように見えてしまうのだろう」と説明する。成果は垂直の知覚を歪める技術につながり、遊園地などの娯楽や、転倒防止などの身体機能のリハビリテーション、情報通信に応用できる可能性があるという。

ビクトリアピークのケーブルカーの車内。床は階段状になっておらず、座った乗客の体が傾く(東北大学、東北学院大学提供)
ビクトリアピークのケーブルカーの車内。床は階段状になっておらず、座った乗客の体が傾く(東北大学、東北学院大学提供)

 東北大学電気通信研究所のチャーフェイ・ツェン准教授(視覚情報システム)は「錯視研究の多くは厳密に統制された実験室で行われるが、今回は屋外の乗り物でこそ解明できた。日本などのケーブルカーの多くと異なり、今回の車両は体が傾き、かつビルが近接するため錯視が起こりやすく、研究に役立った」とする。

 研究グループは東北大学、東北学院大学、カナダ・セントトーマス大学、ドイツ・フライブルク大学、ライプツィヒ大学で構成。成果はオランダの多感覚情報処理専門誌「マルチセンサリーリサーチ」電子版に先月21日掲載され、東北大学などが同26日に発表した。

 筆者もかなり昔にこのケーブルカーに乗ったが、現地で広く売られていた「蜂蜜入り緑茶」の存在の衝撃が強すぎたせいか、あいにく錯視のことは全く記憶にない。この緑茶、現地の日本人によると最初は戸惑うものの、慣れると、甘くないと物足りなく感じるようになるのだとか。錯視といい味覚といい、人間の持つ感覚の何と複雑で奥深いことか。

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