サイエンスクリップ

「爆速」期待の量子コンピューターなど、産総研とNEDOが開発現場を公開

2022.10.21

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 今年のノーベル物理学賞は、物質を構成する原子や電子などの「量子」をめぐり成果を上げた米欧3氏に贈られることが決まった。夢の「量子コンピューター」などにつながる情報技術の土台の立役者たちだ。日本でも産学官の取り組みが続く中、産業技術総合研究所(産総研)と新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は開発状況を報道陣に説明し、研究開発拠点を公開した。関係者は「開発に年月はかかるが“むちゃくちゃ爆速”、できた瞬間に社会に大きなインパクトをもたらす」と力説した。

得意は限られるが、幅広い応用に期待

量子コンピューターなどの回路試作のためのクリーンルーム「Qufab(キューファブ)」=茨城県つくば市の産総研
量子コンピューターなどの回路試作のためのクリーンルーム「Qufab(キューファブ)」=茨城県つくば市の産総研

 「IoT(モノのインターネット)社会に向け増え続ける情報量に対し、既存技術による半導体の微細化だけでは、限界がみえてきている。量子コンピューターや量子アニーリングマシンは革新的な情報処理を実現する基盤技術として期待される」。NEDOの林勇樹IoT推進部長は9月末、茨城県つくば市にある産総研の拠点で報道陣にこう強調した。

 従来のコンピューターは半導体にかかる電圧の高低によって0と1を表し、2進法で演算する。基本単位は「ビット」。これに対し量子コンピューターは、量子を重ね合わせられるといった量子力学の世界の不思議な性質を基に、0と1が重なって同時に存在する状態を利用し、多数の計算を並列化する。単位は「量子ビット」だ。既存のスーパーコンピューターをもはるかにしのぐ、高速演算ができる可能性があるという。

 量子アニーリングマシンは、多数の道順から最短経路を求めるような「組み合わせ最適化問題」に特化したタイプ。アニーリングは「焼き鈍(なま)し」の意味で、金属を加熱後にゆっくり冷やす作業により構造を安定させる作業に由来する。量子アニーリングでは、熱による揺らぎではなく量子力学的な揺らぎを使い、エネルギーの低い状態である最適解を探す。東京工業大学の西森秀稔(ひでとし)特任教授らが1998年に原理を提唱した。

 例えばセールスマンが複数の都市を巡回するのに移動距離が最短になる経路を求める場合、都市が少ないうちはよいが、増えるほど答の候補が指数関数的に増え、総当たりの方法で答えを出すのが大変になっていく。このような場面で、量子アニーリングマシンが強みを発揮する期待があるという。

量子アニーリングマシンの顕微鏡写真を前に説明する産総研の川畑副センター長
量子アニーリングマシンの顕微鏡写真を前に説明する産総研の川畑副センター長

 量子コンピューター、量子アニーリングマシンともに量子力学の原理を利用したコンピューターとして創薬、材料開発、人工知能、金融など、幅広い分野に応用できると見込まれている。

 産総研新原理コンピューティング研究センターの川畑史郎副センター長は「量子コンピューターはまだ基礎に近い段階で、明日にもできるというものではない。早くて20年、30年、いやもっと先だという人もいる。得意な問題は非常に限られる。ただし幅広い産業分野に広がる重要な問題を“むちゃくちゃ爆速”で解ける。できた瞬間、産業界に破壊的なインパクトもたらす」と説明する。

国際競争激化、日本も注力

 産総研はNEDOの事業で、2016年度から日立製作所などと量子アニーリングマシンの研究開発を重点に推進。横浜国立大学と連携し昨年7月、国内で初めて開発に成功したと発表した。2011年に世界初の商用化にこぎ着けたカナダのベンチャー企業「Dウェーブシステムズ」などが先行する中、産総研のものは独自の仕組みにより従来方式より1桁程度少ない量子ビット数で問題を解ける。大規模な問題に対応しやすい利点があるという。

産総研などが開発した量子アニーリングマシン
産総研などが開発した量子アニーリングマシン

 現在もNEDO「量子計算及びイジング計算システムの統合型研究開発」(最長2027年度まで)の委託事業として、NECなどと連携し量子アニーリングマシンを中心に、量子コンピューターも含め研究開発を進めている。

 量子アニーリングマシンでDウェーブシステムズは2020年、5600量子ビット級の商用機の販売を実現した。ただ川畑氏によると、この性能だと巡回セールスマン問題で対応できるのは、せいぜい10都市。実際に社会で活用されるには100万量子ビット級の大規模集積化が必須という。量子コンピューターも米IBMが昨年、128量子ビットを実現したものの、活用に必要な100万量子ビット級の集積化には20~30年かかりそうだという。「まだまだ(集積化が)桁違いに少ない。これから長い研究開発を行う必要がある」

 量子コンピューター開発でIBM、グーグル、インテルなどが戦略的な目標を掲げ国際競争が激化する中、日本もこうした取り組みに加え、文部科学省「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」(2029年度まで)や、内閣府「ムーンショット型研究開発制度」で科学技術振興機構(JST)が担当する目標「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」などを通じ、産学官が連携し取り組みが続く。この「誤り耐性型汎用量子コンピューター」とは、大規模に集積化し多彩な用途で十分な精度を発揮する、量子コンピューターの究極の姿という。

 政府は今年4月、量子技術を活用し社会変革を目指す「量子未来社会ビジョン」をまとめている。

極低温、自動測定…開発加速の切り札に

産総研が導入した「希釈冷凍機」
産総研が導入した「希釈冷凍機」

 産総研は報道陣に一連の状況を説明し、拠点の最新設備を公開した。その一つが、量子コンピューターや量子アニーリングマシンが働くのに必要なほぼ絶対零度の極低温で、性能を評価するための冷凍機。フィンランドの企業から導入し、試作品の評価に使っているという。

 身近なパソコンのCPU(中央演算処理装置)が制御と演算を行うのに対し、量子コンピューターでは両者が分れている。このため現状では、演算のチップは冷凍機に入り、すぐ横にケーブルでつながれた大きな制御装置が立つ。そこで産総研は制御機能を持つ小さなチップ「クライオCMOS集積回路」を開発中。実現すれば、システムはコンパクトで省電力のものになる。

 研究開発のピッチを上げる切り札として導入したのは、デバイスの性能を直径300ミリのウエハー(基板)のまま、極低温で連続に自動検査する「プローバー」。従来の装置は小型で、ウエハーを分割し、手動で素子を数個ずつ検査していた。大規模集積化をにらんでこの装置を導入し、100倍以上にスピードアップさせた。クライオCMOS集積回路の基本素子であるトランジスタなどの開発に威力を発揮しそうだ。

「300ミリ低温ウエハープローバー」(左)と、直径300ミリのウエハー
「300ミリ低温ウエハープローバー」(左)と、直径300ミリのウエハー

 専用の装置群を導入して構築した日本最大級のクリーンルーム、実際に製造した量子アニーリングマシンチップなども公開。川畑氏は「最終目標の『誤り耐性型汎用量子コンピューター』にたどり着くため、ステップ・バイ・ステップで世界的に研究開発が進んでいる。リレーのように技術のバトンを渡し、長く続けることが大事だ」と強調した。

 実用化に向けた実に息の長い取り組みで、研究者は世代交代もするだろう。未来社会のため地道に取り組む最前線を見た。量子力学の話は不思議だらけで正直、理解が難しいのだが、勉強しつつ、日本の産業競争力もかかった研究開発の行方を見守っていきたい。

関連記事

ページトップへ