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イヌはストレスホルモンの遺伝子が変化してヒトに依存? 麻布大が進化説を提唱 認知能力にも関係

2022.08.17

茜灯里 / 作家・科学ジャーナリスト

 最古の家畜であるイヌは近縁種のオオカミとは異なり、ヒトと密接な関係を築いてきた。麻布大学獣医学部動物応用科学科介在動物学研究室の外池亜紀子博士、永澤美保准教授らの研究チームは、イヌは進化の過程でストレスホルモンに関わる遺伝子が変化し、ヒトへの依存度が高まったという説を提唱した。社会的な認知能力にも関係しているという。

 研究では、ストレスホルモンであるコルチゾールの産生に関与する「メラノコルチン2型受容体」(MC2R)遺伝子の2つの変異がヒトとのコミュニケーションを発達させ、イヌの家畜化を促進させた可能性があると示唆している。研究成果は、国際科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」オンライン版に掲載された。

オオカミから遠い犬種はヒトに助けを求める

 研究チームは、一般家庭で飼育されている624頭のイヌに社会的認知能力を調べる2つの課題を与えた。1つめは実験者の合図を受けて餌を隠した容器を探させる「指差し選択課題」で、ヒトの身振りやコミュニケーションに対するイヌの理解度を測る。2つめは自分では取り出せない餌に対する行動を観察する「解決不可能課題」で、イヌが戸惑ってヒトに助けを求めるようなそぶり(依存度)を測る。

 イヌたちを柴犬、秋田犬、シベリアンハスキーなど遺伝的にオオカミに近いとされる犬種(Ancientグループ)と、トイプードル、ボーダーコリー、ミニチュアダックスフンドなどオオカミから遠い犬種(Generalグループ)に分けて結果を比べたところ、指差し選択問題ではどちらのグループも理解度は変わらなかった。しかし、解決不可能課題ではGeneralの方がヒトを最初に見るまでの時間が短く、回数も多かった。つまり、Generalのヒトへの依存度が大きいことが示唆された。

解決不可能問題でAncientグループとGeneralグループのイヌが最初にヒトを見るまでの時間(A)とヒトを見た回数(B)(永澤准教授提供)
解決不可能問題でAncientグループとGeneralグループのイヌが最初にヒトを見るまでの時間(A)とヒトを見た回数(B)(永澤准教授提供)

遺伝子の一塩基多型が関連している

 次に研究チームは、家畜化に関連していると考えられている遺伝子、オキシトシン(OT)、オキシトシン受容体(OTR)、MC2R、ヒトのウィリアムズ・ビューレン症候群関連遺伝子(WBSCR17、過度の社会的行動が特徴)の多型と、2つの課題に対する結果との関連を調べた。

 遺伝子多型のうちSNP(スニップ、一塩基多型)は、ある生物種集団の塩基配列中に一塩基の変異が1%以上の頻度で見られる場合に言及される。この研究では上記4つの遺伝子で変異が5%以上のものをピックアップすると、MC2Rでは2カ所(SNP1とSNP2)、OT、OTR、WBSCR17では1カ所が該当した。

 さらに2つの課題に対する行動とSNPの関連性を解析すると、指差し選択課題ではヒトの指示を正しく理解することとMC2RのSNP2が関連し、解決不可能課題ではヒトを見る頻度と上記のすべての遺伝子のSNPが関連していた。

 2つの課題の違いは、指差し選択課題ではヒトが指示を一方的に与えるのでイヌは受動的なのに対して、解決不可能課題ではイヌは問題解決を人と結びつけて能動的に助けを求めなければならないところだ。

 指差し選択課題でAncientとGeneralの理解力に差はない結果は、指示を理解する能力は家畜化の早期に獲得されたことを意味している。これに対して解決不可能課題でGeneralがAncientよりヒトを見た結果は、ヒトへの依存は家畜化してしばらくしてから獲得されたことを示している。

 MC2Rは、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌量に影響する副腎皮質刺激ホルモンの受容体として知られている。AncientとGeneralでMC2RのSNPが違ったことから、イヌの家畜化においてMC2受容体遺伝子はイヌが強いストレスを感じずに、ヒトのそばにとどまり、ヒトと交流することを促進する役割を果たしている可能性があるという。

AncientグループとGeneralグループのイヌの社会認知行動の差と、メラノコルチン2型受容体(MR2)遺伝子の遺伝子多型の関係(永澤准教授提供)
AncientグループとGeneralグループのイヌの社会認知行動の差と、メラノコルチン2型受容体(MR2)遺伝子の遺伝子多型の関係(永澤准教授提供)

「ヒトとイヌの関係」を解明したい

 イヌの認知行動実験と遺伝子を結びつけて家畜化の過程を探る研究は、日本では麻布大が精力的に行っている。柴犬、秋田犬といった日本犬がAncientに分類されることも、研究を促進させる要素となっている。

 永澤准教授は「実験動物ではなく一般家庭犬が対象なので、健康で実験に協力してくれるイヌを探すのが大変だった。さらに、外飼いと室内飼い、去勢と未去勢などでヒトに対する社会的認知能力が違う可能性などを消去する手順も必要なため、4~5年かけて2000頭のサンプルを集めて、議論できる600頭余りのデータが何とかそろった」と語る。

 今回の論文では、イヌの認知行動と遺伝子多型の関係を示唆したが、遺伝子多型が実際にホルモンの分泌量を変化させたかまでは言及していない。コルチゾールの分泌量の測定はほぼ終わっており、次の論文では「行動―遺伝子多型―ホルモン分泌」の関係について考察を進めたいそうだ。

 「自分はヒトを理解するため、イヌを見ている。なぜヒトとイヌはうまく関係を結べるか。1対1の関係だけでなく、イヌがいることで家族やコミュニティも変わる。イヌが最初にヒトの集団に入り込んでから、家畜化の過程で互いに作用しあって、今の関係を築いている。イヌにはヒトの集団を成り立たせる何かがあるので、サイエンスで解明したい」と永澤准教授は熱弁をふるう。

 イヌの認知行動実験は1990年代、行動と遺伝子を絡めた研究は2000年代に入ってから盛んに行われるようになった新しい分野だ。「ヒトとイヌの関係」の科学に興味を持つ人も増えてきている。

 永澤准教授は「イヌは、動物の世界と人間の世界の両方を生きているとても面白い動物。生物学的、文化学的など、どんな角度からでも研究できるし、研究者同士もつなげてくれる。『ヒトとイヌの関係』に興味のある人は、どんな視点からでも良いので深掘りしてみてほしい」と結んだ。

イヌの社会認知行動を調査する―「指差し選択問題(Two-way choice test)」(永澤准教授提供)
イヌの社会認知行動を調査する―「解決不可能問題(Problem-solving test)」(永澤准教授提供)

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