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長引くコロナ禍で期待膨らむ抗体医薬品 富山大は変異株も防御する「スーパー中和抗体」作製に成功

2021.06.25

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

 「抗体」。多くの人は生物の授業の「免疫」の項目で学ぶ。その言葉は新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的流行)が起きて頻繁に使われ、また聞かれるようになった。「感染すると体内に抗体ができる」「ワクチン接種で抗体ができる」といった具合だ。抗体はウイルスなどの異物が体内に入ると、その異物の抗原と呼ばれる部分と結合して異物を排除するというとても大切な働きをする。

 その抗体をあらかじめ人工的に作り、新型コロナなどの感染症の治療に使う「モノクローナル抗体」が注目されている。「モノクローナル」が付くと急に聞き慣れない言葉になるが、単に人工抗体と呼ばれることも多い。「抗体医薬品」は世界的に研究開発が進み、国内でもいくつかの研究機関が成果を上げている。

 いくつも種類がある抗体の中でも、感染を防ぐ効果が期待できるのが「中和抗体」だ。富山大学の研究グループは新型コロナウイルスの変異株も防御できる中和抗体を作ることに成功したと発表し、治療薬につながる可能性があると期待されている。「スーパー中和抗体」。その名前に研究成果に対する自信と期待がうかがえる。

富山大学が開発した中和抗体作製の基本プロセス(富山大学提供)

トランプ米前大統領にも投与され効果

 モノクローナル抗体は免疫システムを人工的に作ろうという発想から生まれた。人間の体内にウイルスが侵入したり、がん細胞などができて異物が入り込んだりすると、免疫細胞の「B細胞」がこれらの異物をやっつけるために異物の目印となる抗原と結合する抗体を作る。新型コロナウイルスの抗原は「スパイクタンパク質」だ。これもかなり一般的な言葉になった。

 「ウイルスやがん細胞の特定の抗原だけに結合してウイルスをやっつけることができる抗体を人工的に大量にできれば医薬品として期待できる」。そのような発想から生まれたのがモノクローナル抗体だ。モノは「単一」、クローナルは「混じりっけがない集合」を意味し、ただ1種類のB細胞が作る抗体のコピー、との意味が込められてその名が付けられた。

 これを大量に作るためには、たくさんのB細胞の中から、狙った抗原だけに結合する抗体を作るB細胞を選ぶことがポイントになる。ただ、B細胞には寿命がある。このため、永久に増え続ける能力を持つ特殊な細胞と融合させる。

 日本の免疫学の第一人者である宮坂昌之大阪大学名誉教授は、昨年の早い時期から新型コロナウイルス感染症の治療にモノクローナル抗体が有効と指摘していた。宮坂教授は抗体にもいろいろな種類があって、ウイルスの働きを止める善玉、ウイルス感染をむしろ促進させてしまう悪玉、どちらにもならない役なし、の3種類がある、と説明している。

 「感染やワクチン接種で抗体ができる」と言っても、抗体の量だけを計ってもあまり意味はない。善玉抗体だけを選んでこれを大量に作る「善玉抗体工場」作るのがモノクローナル抗体のイメージだ。

 宮坂教授によると、米国の製薬大手のイーライリリーがいち早く開発した。ウイルスを短期間に減らせるので、適切なタイミングで投与できれば少なくとも重症化予防効果が期待できる。昨年10月、新型コロナに感染したトランプ米前大統領は別の米企業が開発したモノクローナル抗体治療薬を投与された。わずか数日で退院したが、この治療が効果を発揮した可能性があるという。

 イーライリリーが開発した医薬品は「バムラニビマム」と呼ばれ、米食品医薬品局(FDA)昨年11月に緊急使用許可を出し、同社は今年1月に「発症予防効果がった」とする治験結果を発表している。

国内でも研究開発進む

 抗体治療薬の分野では米国が先行しているが、日本国内でも精力的に研究が続けられている。名古屋大学と国立病院機構名古屋医療センターは昨年の9月に「人工抗体作製に成功した」と発表している。研究グループは、ランダムに作製した多くの人工抗体候補を用意。スパイクタンパク質を付けた磁気微粒子を人工抗体候補が入った溶液に入れた。そして磁石で磁気微粒子を引き上げるという方法でスパイクタンパク質と強く結合した複数の人工抗体を選び出したという。

 研究グループによると、独自に開発した技術により、わずか4日で複数の人工抗体を作製。ウイルスを細胞に感染させない効果があることを確かめた。その後も治療薬として実用化する研究を続けている。

名古屋大学などの研究グループが開発した人工抗体作製過程の概念図(名古屋大学提供)

 ことし1月。島根大学と長崎大学は14種類の新しい人工抗体の開発に成功し、うち5種類は感染防止能力を持つ中和抗体として利用できることを確認した、と発表した。研究グループは特許を出願し、治療薬や抗原キットにつながる研究開発に臨んでいる。

 変異株にも効果が期待できる人工抗体を作る技術を開発したと5月に発表したのが広島大学だ。研究グループは、感染して回復した23歳から93歳までの約20人の患者から血液を採取して抗体を分析。独自に開発した技術を駆使して、感染から2週間以上経過した重症患者の血液から中和抗体を作る免疫細胞のB細胞を選別した。中和抗体を作るこの細胞の遺伝子を増幅する方法で中和抗体を作製した。32種類の人工抗体のうち、97%は英国で見つかったアルファ株のウイルスにも強く結合したという。

避けられない変異株の登場

 最近「変異株」という言葉をよく聞く。新型コロナウイルスが変異した、と言うとその姿を大きく変えたとのイメージを持ちがちだが、そうではない。ウイルスは自身の力では存在できない。「宿主」と呼ばれる感染相手に感染しながら、増殖する過程でより環境に適応しやすいように少しずつ姿を変える。それが変異だ。

 新型コロナウイルスは、遺伝情報が詰まったRNA(リボ核酸)がタンパク質と脂質でできた膜で包まれた構造をしている。ウイルスは表面のスパイクタンパク質が人間の細胞の表面にあるタンパク質に結合して細胞内に侵入する。人間の細胞の表面にあるタンパク質はウイルスの受け手となる「アンジオテンシン変換酵素(ACE)」と呼ばれている。

新型コロナウイルス上のスパイクタンパク質がACEタンパク質に結合する仕組み(宮坂昌之氏提供)

 ウイルスが細胞内に侵入すると、細胞内ではRNA情報によってウイルスの素材となるタンパク質を合成する。その課程でRNAは大量に複製されるが、複製の際に一定割合で複製ミスが起きる。RNAを構成する塩基の配列が変わる。これが変異だ。

 どのウイルスもこの変異は起きるのだが、感染症の拡大が長く続くほど、変異が起きる確率は高くなり、次々と新しい変異株が生まれる。そうなると変異株の登場は避けられない。

 国内では現在、英国で見つかったアルファ株に続いて、インドで猛威を振るったデルタ株の拡大が心配されている。デルタ株の感染力は、従来株に比べ5~7割程度強いとされるアルファ株よりさらに強いされている。国内でもいずれデルタ株が感染の主流になる、と指摘されている。

 国内では欧米より遅れながらもワクチン接種が進んでいる。国内の収束見通しは「ワクチン接種とデルタ株の拡大のどっちが早いか」にかかっている、とさえ言われている。

新型コロナウイルス(従来株)の電子顕微鏡画像。次々と変異株が登場しているがウイルスの基本構造は変わっていない(米国立アレルギー感染症研究所提供)
国立感染症研究所が分離した新型コロナウイルスの英国型の変異株「VOC-202012/01.20I/501Y.V1」の電子顕微鏡画像(国立感染症研究所提供)

巧みにできている複雑な免疫システム

 ワクチン接種は体内に人工的に感染状態を作ることだ。変異株が出ると、せっかくワクチンを接種してもワクチンは効かなくなるのではないか、とつい心配になる。だが、変異株やワクチンの種類にもよるが、ある程度効果は下がっても効果が全くなくなることはないと多くの専門家は指摘している。

 免疫システムは2段階の仕組みでできている。第1段階は「自然免疫」、第2段階は「獲得免疫」と呼ばれる。自然免疫は体に備わっている免疫で、病原体が体内に侵入しようとすると白血球の一種の「食細胞」がこれを排除しようとする。これに対し、獲得免疫は病原体が実際に入って感染するという体の経験とともにできる。

 その獲得免疫も実に巧みで複雑な仕組みでできている。B細胞が作る抗体による免疫は「液性免疫」と呼ばれる。これだけでなく、ヘルパーT細胞、キラーT細胞などの免疫細胞による「細胞性免疫」の効果も期待できる。ヘルパーT細胞は獲得免疫の司令塔、キラーT細胞はウイルスに感染した細胞を殺す突撃部隊に相当する。

ウイルス感染やワクチン接種に対する免疫反応の仕組み(宮坂教授提供)

変異株にも効果あるので「スーパー」

 ワクチンとともに治療薬の決め手と期待される人工抗体、モノクローナル抗体も変異株に効いてほしい-。そんな期待が高まる中で富山大学が6月16日に記者会見をした。題して「多くの変異株を制御できるスーパー中和抗体の作製に成功」。会見には斎藤滋学長も同席し、大学を挙げての研究体制の成果であることを強調した。

 研究グループは、学術研究部医学系の仁井見英樹准教授、岸裕幸教授、小澤龍彦准教授、森永芳智教授、学術研究部工学系の磯部正治教授、黒澤信幸教授のほか、富山県衛生研究所の谷英樹ウイルス部長らで構成された。多くの分野の研究者が参加していた。

スーパー中和抗体を作製するプロセス。各プロセスに独自の技術が生かされている(富山大学提供)

 仁井見准教授らの研究グループは、新型コロナウイルス感染症から回復した患者の血液を採取し、血液から抗体を作るB細胞を取り出した。このB細胞の遺伝子を組み換えて、複数の人工的な遺伝子組み換え抗体を作製。この手法で感染を防ぐ力が特に高い抗体を作り出すことに成功した。そしてできた抗体は「スーパー中和抗体」と名付けられた。ウイルスの表面の中でも変異が起こりにくい部分と結合するのが特長だという。

 発表によると、このスーパー中和抗体は、アルファ株、デルタ株のほか、南アフリカで見つかったベータ株、や米カリフォルニアで見つかった株など、これまでに見つかったほとんどの変異株で効果が確認できたという。研究グループは「現時点で最も理想的な抗体」と自信を持っており、既に特許出願も終え、実用化に向けて試薬企業と共同研究を続ける。

富山大学の研究グループが開発したスーパー中和抗体が変異株にも効果があることを示すデータのグラフ(富山大学提供)
スーパー中和抗体の利用価値(富山大学提供)

 国産ワクチンの開発は欧米から大きく遅れながらも、大阪大学や創薬ベンチャー、大手製薬企業のシオノギ製薬(塩野義製薬)などが実用化に向けて研究開発を続けている。新型コロナウイルス感染症治療薬の「切り札」とも言われる、抗体治療薬、モノクローナル抗体医薬品の開発についても国内の多くの研究機関が奮闘している。

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