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デジタル時代にも漢字の手書きは大事 言語能力発達に影響も

2021.02.16

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

漢字の手書き。その意義は
漢字の手書き。その意義は

 パソコンやタブレット端末の普及により、子供たちの学習の姿が随分と変わった。特にコロナ禍を受けたリモート学習で、さらに弾みがついたようだ。デジタル教材は視覚効果、双方向性などの点で確かに魅力的。その一方、気がかりなことも浮かび上がってきた。漢字の手書きの習得が、高度な言語能力の発達に関係していることを発見した、と京都大学の研究グループが発表したのだ。早いうちからデジタルデバイスを利用し、手書きの習得が抑えられる場合、その影響が手書きを必要としない言語能力や認知能力にまで及んでしまう恐れがあるという。

「個人に合わせたトレーニングが大切」

 「私たちは手書きをどんどんしなくなっています。辛うじて初等教育でしっかりやっていますが、そこにもデジタルデバイスが入っています。手書きは必要なのか、した方が良いのか、不要なのか。それがよく分からないまま時代が進んでいますが、気になりますよね」。研究グループの京都大学大学院医学研究科教授の村井俊哉さん(精神医学)は問題意識をこう語る。こうした変化が手書き能力にとどまらず広く言語能力などにまで影響しないか、懸念されるという。

 日本漢字能力検定(漢検)の2006年と16年のデータからは、10年で成人の書く能力だけが低下したことが浮かび上がっているという。因果関係は分からないものの、スマートフォンやタブレットの急速な普及と重なる時期だ。

 そこで村井さんは同研究科特定助教の大塚貞男さん(心理学)と共同で、京都府と大阪府の複数の大学の男女各15人の学生(平均19.87歳)に、多岐にわたる調査を行った。(1)漢検の過去の問題を解いてもらい、読み書きと意味の理解力、(2)音声情報の処理、文字などの読み上げ、図形や模様などの情報処理、文法の情報処理の4種類の能力を検査し「基礎的な認知能力」、(3)知能検査による「言語的知識の習得度」と、パソコンを使った作文による「文章作成能力」を合わせた「高度な言語能力」--を、それぞれ測定した。

 このうち作文は「日々の生活」について書いてもらい、文中の単語数に占める動詞、形容詞、形容動詞、前置詞、接続詞の数の割合を算出。これを文章の言語的な複雑さを示す指標「意味密度」として得点化した。なお研究グループは過去の研究で、漢字に関する能力が「読む」「書く」「意味の理解」の3つの側面からなることを示している。

 調査を統計解析した結果、「基礎的な認知能力」の要因の4種類の能力のうち2~3種類が、3側面それぞれの習得に関わっていることが分かった。村井さんは「漢字習得につまずく子供たちに同じ指導法で臨むのは効果的ではなく、それぞれの困難の側面とその要因である苦手な認知能力を考える必要があることを、この結果は示唆しています。個人に合わせたトレーニングが大切ということです」と説明する。

漢字能力の3つの側面とそれぞれに関わる基礎的な認知能力。子供一人一人が漢字習得の何につまずいているのか、考えることが大切だ(京都大学の資料を基に作成)
漢字能力の3つの側面とそれぞれに関わる基礎的な認知能力。子供一人一人が漢字習得の何につまずいているのか、考えることが大切だ(京都大学の資料を基に作成)

「デジタルデバイス、是非や利用法の議論を」

 また3側面と「高度な言語能力」との関係性を調べると、3側面のうち特に「書く」能力が、「言語的知識の習得」を介して「文章作成能力」に影響していることが分かった。話がやや分かりにくいが、大塚さんは「人の生涯で考えると、手書きを習得することで知識をたくさん習得でき、それが意味密度(文章作成能力)につながることを示唆しています」と解説する。ただ、今回は調査対象者の生涯を追ったわけではなく、一時点の調査でさまざまな要因の関係性を調べた結果であることに留意したい。

漢字の手書きの習得は、言語的知識の習得を介して文章作成能力に影響している(京都大学の資料を基に作成)
漢字の手書きの習得は、言語的知識の習得を介して文章作成能力に影響している(京都大学の資料を基に作成)

 村井さんは「書くことよりも意味の理解の方が、意味密度のような表現能力と関係すると思っていたので、この結果には驚いた」という。

 研究グループは今回の結果から、漢字の手書きの習得は高度な言語能力の発達と関連しており、手書き能力が高い人ほど結果的に文章作成能力が高くなると結論づけた。デジタルデバイスの早期の利用が手書きの習得を抑えた場合、その影響が手書きのみならず、さまざまな言語・認知能力の発達にまで及ぶ可能性を示唆しているという。「学校、特に読み書きの教育にデジタルデバイスを導入することは、その是非や適切な利用法を注意深く議論する必要がある」と提起する。

 大塚さんは「漢字の習得は主に小学生から高校生の時期に行う。この時に手書きを十分に習得することが、その後の高度な言語能力など、さまざまな認知能力に影響し、能力の発達にとって重要なのでは」との見方を示す。

生涯にわたる言語能力のあり方は

 生涯の認知能力のあり方をめぐっては、興味深い先行研究がある。修道女を長期に調べた1990~2000年代の米国の研究だ。20代前半に書いた日記や自伝の「意味密度」が高かった修道女は、老年期にアルツハイマー病などで脳に器質的な障害が生じても、脳神経のネットワークで認知能力の低下に抵抗する能力「認知予備能」が高く、晩年まで健全な認知能力を維持したという。

 村井さんと大塚さんは、今回の結果とこの先行研究を合わせて検討。そして、子供のうちに読み書きをしっかり習得し、成長したら高度な言語能力を発達させて認知予備能を高めることで、老年期に認知能力の維持に至る――という、生涯発達における言語や認知能力の考え方を、新たに提唱することにした。

研究グループがまとめた、生涯発達における言語や認知能力の考え方の概念図。認知予備能を高め続けることが、老後の認知能力維持につながるという(京都大学提供)
研究グループがまとめた、生涯発達における言語や認知能力の考え方の概念図。認知予備能を高め続けることが、老後の認知能力維持につながるという(京都大学提供)

 村井さんは「若いうちに漢字を習得すれば、あとは昼寝していてよいという意味ではありません。漢字がある程度書けるようになると、複雑な言葉を使った会話や作文ができます。すると政治や文化などの難しい話ができるようになる。生涯にわたる積み重ねが大切です」と説明する。

 今回の成果は英科学誌「サイエンティフィックリポーツ」に1月26日に掲載され、京都大学が27日発表した。

「あくまで研究のスタートポイント」

 子供のデジタルデバイス利用について考えさせられる、インパクトの大きい成果が得られた。ただ研究グループは説明にあたり、慎重な姿勢も崩さない。村井さんは「研究はあくまでスタートポイントにある。子供から大人までの生涯を大きく語っているが、わずか30人の大学生を調査しただけだ。今回は着想を得たので、今後はトレーニングの影響を調べるなどして研究を進めたい」と話す。大塚さんは「手書きの能力は調べたが、デジタルデバイス自体が良くないなどと調べたのではない」と念を押す。ただ少なくとも、デジタル時代にも手書きが大事だ、とはいえるはずだ。

 また「手書きの重要性は日本だけの問題ではない。漢字を使わない国の人は認知能力が低い、などということはない」と村井さん。漢字の能力は、平仮名などに比べて個人差が現れやすいため研究対象として好ましいという。

 ワープロやパソコンが普及して手書きの機会が減り、日常生活でふと、漢字が書けなくなったことに気づく大人は多いようだ。「自分もたまには手書きしないと、老後が心配」。そう思って慌てた筆者は今回、京都大学医学部所定の取材申込書を手書きで提出した。少しは効果があっただろうか。

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