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「ネコにマタタビ」は蚊を避けるため 謎の行動を遂に解明

2021.01.28

草下健夫 / サイエンスポータル編集部

 ネコがマタタビにじゃれつくのは常識だが、どうしてかは誰も知らなかった。この謎の行動に岩手大学や名古屋大学など日英の研究グループが挑み、「蚊を避けるため」という明快かつ意外な結論を導き出した。原因となるマタタビの成分は従来の説とは異なり、蚊の忌避剤として人間に役立つ可能性まで見えてきて、基礎研究の急展開に研究者たちも驚いている。

マタタビにじゃれつくネコ(岩手大学提供)
マタタビにじゃれつくネコ(岩手大学提供)

素朴な疑問から異分野コラボ

 ネコはマタタビが大好きだ。マタタビは日本や中国、朝鮮半島などに分布する落葉つる性植物。ネコがこの匂いを嗅ぐと、なめる、かむ、顔や頭を擦りつける、ゴロゴロ転がるなどの「マタタビ反応」を示す。江戸時代の浮世絵や農業書に書かれるなど、日本人には古くから馴染みの現象だ。誰かにとっての大好物や効き目が大きいことを意味することわざ「ネコにマタタビ」もある。ヒョウやライオンなど、他のネコ科動物も同じ反応をする。

 その原因がマタタビに含まれる「マタタビラクトン」という複数の物質であることを60年あまり前、大阪市立大学名誉教授の目(さかん)武雄さんらが突き止めたとされてきた。

マタタビ(岩手大学提供)
マタタビ(岩手大学提供)

 ただ、ネコ科だけがこんな反応をするのはなぜだろうか。この素朴な疑問が長年気になり解明したいと考えていたのは、名古屋大学大学院生命農学研究科教授の西川俊夫さん。ただ、西川さん自身の専門は有機化学で、ネコを扱っていない。そこで別の研究者を通じ、ネコの行動や生理の研究に取り組む岩手大学農学部応用生物化学科教授の宮崎雅雄さん(分子生体機能学)に共同研究を提案。異分野の2人を中心とした謎解きが2013年にスタートした。

 宮崎さんは「私もマタタビ反応に興味がありました。原因とされていた物質が売られておらず、合成する研究者もあまりいなくて研究が進んでこなかったのだと思います。当初は『なぜ反応するか』より『どんなメカニズムで猫だけが反応するか』を明らかにしようと考えて研究が始まりました」と振り返る。

予想外の原因物質が浮上

ネペタラクトール(岩手大学提供)
ネペタラクトール(岩手大学提供)

 メカニズムを調べるにはまず、強い反応を示す物質1つを選び出す必要がある。そこで研究グループはまず、マタタビラクトンの仲間のうち、ネコに最も強い反応を引き起こす物質を特定することにした。マタタビの葉の成分を分離し、それぞれをネコに与えてみた。すると全く予想外のことが起きた。ネコはマタタビラクトンではなく「ネペタラクトール」という物質が染み込んだ濾紙(ろし)に対し、マタタビ反応を示したのだ。これまでは見逃されていた物質だ。

 マタタビにあるはずの物質が検出されないなど、ほかにも従来の知見と異なる結果が出た。「(60年前の)黒電話とスマートフォンの時代では、分析技術のレベルも違う。現在の技術で研究をやり直す展開になった」と宮崎さん。先駆者が見いだし既に定着した、マタタビラクトンという名前までついた物質を否定することになる。宮崎さんらは学生と共に、細心の注意を払って再現実験を重ねた。

 また天王寺動物園(大阪市)と神戸市立王子動物園の協力で大型のネコ科動物にもネペタラクトールを与えると、ジャガーやアムールヒョウ、シベリアオオヤマネコがマタタビ反応を起こした。こうした結果から、ネコ科動物にマタタビ反応を起こす重要な物質がネペタラクトールであることを発見した。

 なお、マタタビにネペタラクトールが含まれることは近年、別の研究で昆虫学者が先んじて発表している。ネコに最も強い反応を引き起こす物質であると判明したことが、今回の成果だという。

ネコは確かに幸せに浸っている

 マタタビに反応している時、ネコは陶酔しているようにみえるが、実際はどうなのだろう。研究グループはネコの脳内の状態の解明にも取り組んだ。人間では「μ(ミュー)オピオイド系」と呼ばれる神経系が活発になると、多幸感が起こる。これがネコのマタタビ反応でも働いているかもしれないと考えた。

 そこでネペタラクトールをネコに与えてマタタビ反応を起こし、その前後に採血してμオピオイド系を活発にする脳内神経伝達物質「β(ベータ)エンドルフィン」の濃度の変動を調べた。すると、マタタビ反応の後はβエンドルフィンの濃度が上昇。また、μオピオイド系の阻害薬を注射してからネペタラクトールを与えると、ネコのマタタビ反応が抑えられた。

 この結果からネコがマタタビに反応しているとき、μオピオイド系が働いていることがはっきりした。ネコは外見上そう見えるだけでなく、実際に幸せに浸っていることが、初めて確かめられた。多幸感や鎮痛を制御するμオピオイド系を嗅覚で活性化できることも分かり、さまざまな応用の可能性が出てきた。

床にゴロゴロ…は物質を体につけるため

 研究グループは疑問の核心へと迫る。ネコがなぜマタタビに反応するのか、だ。

 そもそもネコと大型のネコ科動物は、約1000万年前に種が分かれてそれぞれ進化している。どちらもマタタビ反応をするので、彼らの共通の祖先が既に持っていた反応だろう。ということは、マタタビ反応はネコが喜んでいるだけではなく、何か重要な役割があって引き継がれてきたのではないか。

 そう考えた研究グループはネペタラクトールの濾紙を床ではなく、壁や天井に貼りつけて観察した。すると、ネコは濾紙に顔や頭をしきりに擦りつけたが、床に与えた時とは違いゴロゴロ転がることはなかった。そして、ネコの顔や頭にネペタラクトールがくっついていた。

ネペタラクトールの濾紙を壁や天井に貼りつけた時のネコの反応(岩手大学提供)
ネペタラクトールの濾紙を壁や天井に貼りつけた時のネコの反応(岩手大学提供)

 宮崎さんの指導で研究を進めてきた大学院総合科学研究科修士課程1年の上野山怜子さんは「単に匂いで気分がよくなって転がるのなら、ネペタラクトールがどこにあっても床に転がるでしょう。ところがネコはそうしませんでした。おそらく意図的に、ネペタラクトールの匂いの源に顔をこすりつけています」と説明する。ネコが転がるのは、たまたま床や地面にマタタビがある時にそうしているだけ、という訳だ。

 ネコが生まれて初めてマタタビの匂いを嗅いでも、同じように行動するという。宮崎さんは「これは学習によらない、本能の行動と考えられます。つまり、いい匂いだから嗅ぐのではなく、こういう行動をする遺伝子を備え付けていてネコである以上、嗅ぐと体が勝手に擦りつけ始めてしまうのです」とつけ加える。蚊のいない冬などにもマタタビ反応をすることからも、ネコが蚊を避ける意図を持って行動してはいないことが分かるという。

長年の謎決着も、「進化」の宿題残る

 また、約20匹の蚊が入ったケージの中にネペタラクトールを塗った皿、マタタビを乗せた皿、何もない皿を置いて10分後に様子をみたところ、蚊は明らかにネペタラクトールやマタタビから遠ざかった。また30匹の蚊が入ったケージの中で、ネペタラクトールを塗ったネコに止まった蚊は、塗らないネコの半数にとどまった。マタタビに10分間反応したネコに止まった蚊も同様に、反応していないネコの半数だった。ネコは確かに、ネペタラクトールのおかげで蚊に刺されにくくなっていたのだ。

蚊がネペタラクトールを忌避するか調べた実験の結果(岩手大学提供)
蚊がネペタラクトールを忌避するか調べた実験の結果(岩手大学提供)

 一連の実験を通じ研究グループは、ネコのマタタビ反応がネペタラクトールを体に擦りつけるための行動で、これによって寄生虫やウイルスなどを媒介する蚊を避けていることを解明。「ネコはなぜマタタビに反応するのか」という長年の謎に決着をつけた。

 ネコとイヌには共通の祖先がいるが、ネコに進化した方のみがマタタビ反応を身に着けた。なぜネコ科だけだったのかの解明は、研究の宿題として残った。今後はマタタビ反応の原因の遺伝子を特定し、ネコ科がマタタビ反応を示すに至った進化の過程を明らかにしたいものだ。

 上野山さんは、現時点での議論をこう説明する。「ネコ科の動物は肉食で、茂みの中という蚊に刺されやすい場所にしゃがみ込んで獲物を狙います。こういう習性を持つネコ科動物の祖先にとって、植物の匂いをつけて蚊をよけることが有益で、行動を身に着けたと考えています」。都合のよい習性を身に着けるうち、進化の過程でそれが遺伝子に組み込まれ本能になったのかもしれない。

 以上の成果は米科学誌「サイエンスアドバンシズ」に21日掲載された。

研究成果のまとめ(岩手大学提供)
研究成果のまとめ(岩手大学提供)

殺虫効果も判明し、特許申請に発展

 今回の研究を通じ、ネペタラクトールに蚊の殺虫効果があることも判明している。蚊がネペタラクトールを忌避する効果を調べようと実験したところ、予期せず全て死んでしまったことから分かった。宮崎さんらを発明者とし、岩手大学と名古屋大学が特許を申請している。日本脳炎やジカ熱などの伝染病を媒介する蚊の忌避剤を開発する可能性も出てきた。

 一連の研究には岩手大学と名古屋大学のほか、英リバプール大学、京都大学が参画し、これに宮崎さんの研究室のネコ25匹と野良ネコ30匹が協力している。

上野山さん(左)と宮崎さん(岩手大学提供)
上野山さん(左)と宮崎さん(岩手大学提供)

 猫が大好きという上野山さんは「人間の身近な伴侶であるネコの謎に、大きな答えを出せたことに喜びを感じます。ネコだけが本能行動となるための遺伝子をどうやって獲得したのか。進化の謎の解明へ向け、全力で研究を続けます」。宮崎さんは「もともと、なぜ猫だけが反応するのかという素朴な興味で研究者が集まりました。特許を申請するようなオチになるとは思いもせずに。基礎研究の醍醐味の一つだと感じています」と語っている。

 この成果が明らかになるや、国内外のメディアから取材が殺到しているという。身近で当たり前のようでいて、意外に残っている謎を解明することには、社会の関心が実に大きい。こうした研究を通じ、科学者にとって「ネコにマタタビ」級の成果が生まれることを物語ってもいる。

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