「かわいい」という言葉は使い勝手がいい。汎用性が非常に高く、赤ちゃんもパンダもチューリップも家もアクセサリーもスカートも、かわいいと言える。北海道大学大学院情報科学研究院の川村秀憲教授は、技術顧問を務めるITベンチャーINSIGHT LAB(東京都新宿区)と共同で、「かわいい」を数値化して分析し、商品の売れ筋を読む人工知能(AI)を開発した。
まず、「かわいい」の意味を説明できるだろうか。これはなかなか難しい。「広辞苑(第7版)」によると、(1)いたわしい。ふびんだ。かわいそうだ。(2)愛すべきである。深い愛情を感じる。(3)小さくて美しい—。「新明解国語辞典(第6版)」でも確認してみよう。(1)自分より弱い立場にある者に対して保護の手を伸べ、望ましい状態に持って行ってやりたいと思う(気持ちを抱かせる)感じだ。(2)小さくて頼りない(弱々しい)感じがして親近感を抱かせる様子だ—。なるほど、そう言われるとそうかもしれない。しかし、パンダや家は小さくないし、弱々しくもないから、「かわいい」には辞書にないニュアンスもありそうだ。
アパレル業界の余剰在庫を減らせる可能性
「かわいい」が最も頻繁に聞かれるのは、アパレル業界ではないだろうか。形容詞というよりは、もはや洋服のテイストを表すファッション用語といえる。この「かわいい」を数値化して、ブランド戦略や商品開発に生かしたいと考えたアパレルメーカーの相談を受けた企業がINSIGHT LABだ。データサイエンスの技術でさまざまな企業の課題を解決している。川村教授らと開発したAIは、辞書の定義だけでは収まりきらない「かわいい」を分析する。
洋服を説明するとき、無地・ドット・フリルのように柄や形状を示す語と、かわいい・こっくり・とろみ・ガーリーのように見た目のイメージを示す語がある。川村教授によると、「明確に定義も説明もできないけれど、感覚的にはわかる——暗黙知と言ったりしますが、言葉にはできない<共通の何か>を人は感じ取っています。それはコンピューターで扱えるものなのか否か。人の感性をAIに学習させるとどうなるかという研究」なのだという。
AIが「かわいい」を数値化できると何が起こるのか。「これまで感覚的な経営をしてきたアパレル業界に科学的な手法を持ち込める」と、川村教授は指摘する。つまり、経験や時流に基づく勘のような非科学的な根拠による商品設計を改善できるということだ。いままでは売り上げが好調だった理由を<芸能人が薦めていたから><雑誌で紹介されたから>などと推測するしかなかった。
「でも、AIが『かわいい』の数値化を可能にすると、<売れた商品はかわいい成分が多く、売れ残った商品はかわいい成分が少ない>というような分析ができます。それは売れ筋や流行を可視化することであり、そのデータに基づいた戦略が立てられるようになる」と川村教授は言う。売れるかもしれないし、売れないかもしれない商品ではなく、売れる可能性の高い商品をつくることができるわけだ。それは、売れずに廃棄される商品を減らすことになるだろう。
数年前、アパレル業界を揺るがす騒動があった。世界に名をはせる高級ファッションブランドが、売れ残り商品の焼却処分を中止するという声明を出したのだ。余剰在庫の廃棄は、このブランドだけの問題ではない。業界全体が苦慮する経営問題であり、環境問題でもある。長年の懸案は、AIが「かわいい」を分析することで解決できるかもしれない。
「正解」を決めるところからスタート
AIはどのように「かわいい」を覚えたのだろうか。洋服の画像を見て学んでいったのだという。このとき、「ディープラーニング(深層学習)」という技術が使われた。これは人間の脳の働きを模したニューラルネットワークを基礎とした数理モデルで、AIが自ら学習していく仕組みである。脳の神経細胞(ニューロン)にあたる「ノード」と、シナプスにあたる「エッジ」が幾重にも重なり、入力した情報を掛け算・足し算・活性化関数を繰り返しながら処理して、答えを出す。画像を入力した場合は、最少単位のピクセル(画素)まで分解して、輪郭や形状、そのほかの特徴を検出していくことになる。
AIに教師はいない。しかし、例題と回答の記された問題集のようなものはある。それを「教師データ」という。「雪がある/ないを判断する場合と違って、『かわいい』に正解はありません。それではAIが学習できないので、正解を決めるところから始めました」と川村教授。10人中10人がかわいいと言う洋服があれば、10人中3人しかかわいいと言わない洋服もある。そこで、7割の人がかわいいと回答したら、かわいいと見なすというように正解を設定していった。
「地球上の全ての人の回答を集めたいところですが、それは不可能なので、服飾専門学校の生徒50人の協力を得ることに。2万点の洋服の画像を見て、そのイメージをかわいい・ガーリー・ふんわり・カジュアル・スポーティー・入社式・パーティー・女子会など148種類の言葉から選び、タグ付けしてもらったのです。それを教師データとして、AIに学習させました」と、当時を振り返る。
全員の感覚が完全に一致することはなくても、多くの人が洋服から感じ取る<共通の何か>には迫れるだろう。スポーティーと判断された服が、入社式やパーティーを連想させるとは考えづらいからだ。しかし、スポーティーとかわいいは両立しないわけではないし、カジュアルだけれど入社式に着られそうなデザインがないわけでもない。
学習を終えたAIは、このあたりのニュアンスまでもわかるようになった。洋服の画像を見て、イメージを数値化してプロットしたものが次のグラフである。違和感なく受け入れられる結果ではないだろうか。多くの人は、AIの分析とほぼ同じイメージを抱くに違いない。
意味を理解しているわけではない
AIが「この洋服はかわいい」と判断できることはわかった。それならば、「このかわいい洋服がほしい」あるいは「かわいい洋服は好みではない」と思うことはあるのだろうか。いまのところ、それはSFの中でしかありえないようだ。
川村教授の研究室では、さまざまな企業と共に共同研究を行っている。それは、企業や社会の抱える問題の解決が目的となることが多い。しかし、AIの可能性を追求する研究もある。そこから生まれたのが「AI一茶くん」。俳人に一目置かれる俳句を詠むAIだ。2017年の秋に研究はスタート、翌年には愛媛県松山市の俳人たちとの句会で競い合った。2019年にはAI俳句協会が設立され、AI一茶くんは俳句づくりを続けている。
川村教授によると、AIは感性や独創性が求められることは不得手だという。AI一茶くんの句を見ると、それはにわかに信じがたい。「言葉をつなげていけば、俳句はつくれます。でも、句の内容は理解していません。そもそも意味をわかって、言葉を選んでいるわけではないのです。AI一茶くんは、いわば賢いサイコロ。振って出てきた目に割り当てられた言葉をつなぎ合わせて句の体裁に整えているイメージです」と、AI俳句の仕組みを説明してくれた。
さらに研究が進んで、選句や選評ができるようになると、人に頼ることなく句会に参加できるようになる。「AI一茶くんが自分で良い句を選べるようになるということは、言葉を人と同じように理解している」と考えられるという。
しかし、それは簡単ではなさそうだ。AI俳句の場合、さまざまな俳句や言葉から教師データはいくらでもつくれる。ただ、ディープラーニングを使って学んだとしても、AIは俳句を理解できないというのが、川村教授の見解だ。その理由は、俳句に詠まれている内容を理解するということは、言葉の解釈だけではなく、人生の中でのさまざまな経験によるところが大きいからだ。
「恋の経験がないのに、恋を詠んだ句を見分けられるでしょうか。恋という文字は手掛かりになるけれど、恋を表現するのは恋という文字だけではありません。句の中のシチュエーションや心情はどのような意味を持つのか。それを知るためには、リアルな人の生活など俳句の外の世界の知識が必要で、それがないと俳句は理解できない」。そこが、現在のAIと人との大きな違いなのだという。AI一茶くんが一人で句会に参加できるようになったとき、AIは「かわいい」を初めて理解するのかもしれない。
AIと人が寄り添う未来を予感
「かわいい」を数値化できても、理解はできないAIは意義がないのだろうか。もちろん、そんなことはない。なぜなら、「『かわいい』の度合いを測るメジャーができた」ことになるからだ。「定義できないけれど人が共通に感じている『かわいい』を数値として見えるようにできたので、道具として使えます」と、川村教授は続ける。この道具があれば、顧客の好みや感性が可視化でき、効果的な戦略が立てられるわけだ。
廃棄を出さずに売れる洋服づくりができるだけではなく、オンラインストアの販売での成果も期待できるという。「いままでは値段やサイズ、在庫数くらいしか情報がなかったけれど、人が見て判断したような<大人ガーリー>や<きれいめカジュアル>などの情報を加えることができます。それは、かわいい度やガーリー度などを指定して商品を検索することもできるということ」になるのだ。
この研究の延長に、ブランドのイメージを風景写真で表現する研究がある。ブランドのコンセプトブックを制作するとき、言葉では表現しきれないブランドらしさを伝えたいというニーズから始まった。「AIに学習させると、言葉では表現しきれないブランドを構成するものを色味や雰囲気でつかみ、ふさわしい画像を選べるようになりました」ということで、実用化に向けて、さらなる研究を続けている。
AIは、言葉にできない感性やイメージを人と共有できるまで成長してきた。さらなる進化を遂げて、いずれ言葉の意味を理解できる日も来るはずだ。しかし、AIが人から仕事や役割を奪うことはないだろう。川村教授が言うように「エンジニアリングは、社会生活の中で道具として使っていくもの」だからである。「AIは人がいないと成り立ちません。人がいて初めて、AIは人に対して何かできるのです」と言う言葉は、AIと人が寄り添って生きる未来を予感させてくれた。
関連リンク
- 北海道大学大学院情報科学研究院調和系工学研究室「harmo-lab.jp」