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ウミガメの観測データが、動物行動学と気候変動の研究で大活躍した

2020.03.03

藤井友紀子 / サイエンスライター

 動物のさまざまな行動の意味を理解するために観察や実験を行い、研究する学問が動物行動学だ。20世紀に入り、コンラート・ローレンツ、ニコ・ティンバーゲン、カール・フォン・フリッシュの3博士によって学問としての体系が整えられ、新しい学問分野として確立した。彼らは動物の行動に関する研究で顕著な業績を残し、1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞している。ローレンツ博士の、ヒナがふ化した直後に見る動くものを親として認識する「刷り込み」は有名だ。

 現在の動物行動学は、さまざまな手法を用いて動物の行動を解析している。その一つが「バイオロギング」だ。バイオロギングとは、バイオ(生物)とロギング(記録)が合わさった造語で、動物の行動やそれを取り巻く環境を記録する。

 バイオロギングは、人が行くのが難しい深い海の中や、継続して観察するのが困難な動物の行動や生態などの情報を得ることができる画期的な手法だ。野生動物に小型のデータロガー(記録計)を取り付け、観測データからその行動や生態を調べる。もちろんデータロガーの装着は、野生動物への影響を十分に配慮して行われている。

 東京大学大気海洋研究所の佐藤克文教授の研究室では、バイオロギングによりこれまでの常識を覆す多くの動物の行動特性を明らかにしている。

オオミズナギドリはどこからでも必ず日没後に帰ってくる

 海鳥であるオオミズナギドリは、南シナ海やニューギニア島北部、オーストラリア北部などで越冬し、春から秋にかけて日本の沿岸域でその姿を見せる。繁殖期である夏には日本沿岸の離島や無人島などで子育てをする。佐藤教授の研究室では、岩手県の沿岸に位置する三貫島と船越大島でオオミズナギドリの調査を行っている。子育て中はヒナに餌を与えるため、雌雄とも日の出直前に島から海へ餌を採りに飛び立つ。餌は海面近くにいる魚などで、主な採餌場所は島の周囲だが、島から500キロメートルも離れた場所、例えば北海道沿岸まで行くこともあるそうだ。採餌をすませると、日没後に島へ帰ってくる。

 ここで一つの疑問がある。餌を採りに行くのは、島周辺の近場のほか、時に500キロメートルも離れたところへ行くのに、島に戻る時間は、必ず日没後数時間以内、と決まっているというのだ。採餌場所がどんなに近くても遠くてもだ。これはどういうことなのだろうか。その謎をオオミズナギドリに装着したGPSデータロガーが明らかにしてくれた。

 佐藤教授の研究室に所属する大学院生がデータを解析した。その結果、オオミズナギドリの飛翔中の速度や、飛翔パターンが分かった。1キロ移動する時間は2.1分。島から500キロ離れていれば、帰り着くのに17.5時間かかることになる。実際、オオミズナギドリは、500キロ離れたところから17.5時間前に島に向けて出発していたのだ。また、島まで帰るための出発刻は、島から1キロ遠くなると2.2分早く出発する傾向があることも分かったという。

 オオミズナギドリは、日の入り直後に戻れるように島までの距離、または所要時間を考えて採餌場所の出発時刻を調節していることになる。まるで人間が出張先から「夜7時に家に帰りたい」と思ったら、出先との距離を考えて、近ければ夕方に、遠ければ朝早くに出発するかのようだ。この研究成果は、人間以外で帰宅時間と距離を計算する動物として世界初の発見となった。

岩手県の沿岸に位置する三貫島と船越大島でオオミズナギドリの帰り始めの調査を行った。三貫島でも船越大島でも、島から遠くにいる時ほど帰り始める時間が早いことが分かった。(佐藤克文教授提供 / Shiomi et al. 2012 Animal Behaviour)
岩手県の沿岸に位置する三貫島と船越大島でオオミズナギドリの帰り始めの調査を行った。三貫島でも船越大島でも、島から遠くにいる時ほど帰り始める時間が早いことが分かった。(佐藤克文教授提供 / Shiomi et al. 2012 Animal Behaviour)

ヒメウミガメの行動特性を調査

 佐藤教授の研究室では、海鳥だけでなくさまざまな動物の行動特性をバイオロギングにより研究している。2017年には、ヒメウミガメの行動を調査した。ヒメウミガメは、海底の生物を食べる。このため深く潜ることは分かっていた。しかし、その詳細はまだよく知られていなかった。

 佐藤教授らの研究チームはインドネシア西パプア州のワルマメディ海岸に産卵に来た5頭のヒメウミガメの甲羅にデータロガーをつけて海に放した。データロガーからは、深度、緯度経度、水温の情報がほぼ毎日衛星を通して送られてくる。

 データから回遊ルートを解析したところ、5頭すべてのヒメウミガメがニューギニア島を反時計回りにぐるっと迂回してアラフラ海へ向かっていた。佐藤教授は太平洋の方へ進むと予想していたため、5頭すべてがアラフラ海へ向かったのは意外だったという。太平洋ではなくアラフラ海へ向かったのは、ヒメウミガメの餌がアラフラ海沿岸にあるためと考えられた。今回の深度計のデータから、ヒメウミガメに深度100メートル以上の潜水を繰り返す潜水能力があることも分かった。

インドネシア西パプア州のワルマメディ海岸で、産卵を終えたヒメウミガメの甲羅に、深度、緯度経度、水温の情報を送信する人工衛星対応型発信器をつけて放した。装置はエポキシ接着剤で装着し、1年から2年後には自然に脱落する。現地政府の調査許可を得て実施している。(佐藤克文教授提供 2019年撮影)
インドネシア西パプア州のワルマメディ海岸で、産卵を終えたヒメウミガメの甲羅に、深度、緯度経度、水温の情報を送信する人工衛星対応型発信器をつけて放した。装置はエポキシ接着剤で装着し、1年から2年後には自然に脱落する。現地政府の調査許可を得て実施している。(佐藤克文教授提供 2019年撮影)
ワルマメディ海岸で放したヒメウミガメの回遊路。5頭ともすべてアラフラ海へ向かった。色線は、5頭のヒメウミガメの各回遊路(2017年6月から9月)。(土井威志研究員提供 / Doi et al. 2019 Frontiers in Marine Science)
ワルマメディ海岸で放したヒメウミガメの回遊路。5頭ともすべてアラフラ海へ向かった。色線は、5頭のヒメウミガメの各回遊路(2017年6月から9月)。(土井威志研究員提供 / Doi et al. 2019 Frontiers in Marine Science)

ヒメウミガメの観測データが季節予測の精度向上にも貢献

 ヒメウミガメの観測データは、行動特性の解析だけではなく、他の分野の研究にも役に立ったという。それは何と、動物行動学とはかなり離れた分野の季節予測の研究だった。

 今回、佐藤教授と観測データを共有したのは、海洋研究開発機構の土井威志研究員。専門は気候力学だ。なぜ気候が変動するのか理解するために、物理学的な観点から気候のメカニズムについて研究している。

 土井研究員が使う道具はスーパーコンピュータだ。海洋研究開発機構やヨーロッパの研究機関と共同で開発された季節予測システムに観測データを入力して、数ヶ月先の気候を予測する。季節予測システムに入力するデータは、海の観測データを使う。気候の予測なのに大気でなくてなぜ海なのか、と思うかもしれない。海が温まれば水蒸気が発生して雲ができ、大雨をもたらすことがある。逆に海水温が低いと雲が発生しにくいため、干ばつにつながることもある。季節予測には、海、特に熱帯域のできるだけ正確で細かな水温データが欠かせない。細かなデータがあればあるほど予測の精度が上がり、数ヶ月先の気候を知り、社会に大きな影響を与える大雨や干ばつなどの極端な天候の対策に役立つのだ。

 現在の海の観測は、海の表面水温をリアルタイムに送信する人工衛星や、アルゴフロートという海面から深度2000メートルまでの水温の鉛直分布情報などを送る観測器がある。アルゴフロートは、世界の海で4000台近くが稼働しているため、多くの地点で海の情報を得ることができる。しかし、どれも観測できる範囲は、太平洋や大西洋など大きな海の情報で、比較的水深が浅く複雑な陸地や島で囲まれている縁辺海の細かなデータは入手しにくかった。

 そこで土井研究員は、今回のヒメウミガメの観測データを活用。観測空白域だったアラフラ海の8月1日時点の水温データを季節予測システムに取り込んだ。そして3ヶ月後のアラフラ海周辺海域の水温変動の予測シミュレーションを行った。

 すると、観測データを取り込まなかったシミュレーションより、観測データを取り込んだ方が、3ヶ月後の実測値に近かったという。つまりヒメウミガメの観測データを用いたことによって、周辺海域の水温変動の予測シミュレーションの精度が劇的に改善した。ヒメウミガメの観測データが、季節予測の精度向上に貢献したのだ。

2017年11月の海表面水温の異常値(℃)をあらわしている。より赤(青)色ほど水温が平年より異常に高(低)いことを示す。8月1日時点の観測データを入力し、3ヶ月後の11月の水温を予測した。
(a)は衛星から観測された11月の実測値。(b)はヒメウミガメのデータを入れなかった予測値。(c)はヒメウミガメの観測データを入れた予測値。
黒線で囲った海域の水温予測は、ヒメウミガメの観測データを入れた(c)の方が、データを入れていない(b)よりも、高精度に予測し実測値(a)に近づいた。(土井威志研究員提供)
2017年11月の海表面水温の異常値(℃)をあらわしている。より赤(青)色ほど水温が平年より異常に高(低)いことを示す。8月1日時点の観測データを入力し、3ヶ月後の11月の水温を予測した。(a)は衛星から観測された11月の実測値。(b)はヒメウミガメのデータを入れなかった予測値。(c)はヒメウミガメの観測データを入れた予測値。
黒線で囲った海域の水温予測は、ヒメウミガメの観測データを入れた(c)の方が、データを入れていない(b)よりも、高精度に予測し実測値(a)に近づいた。(土井威志研究員提供)

分野の枠を超えてますます活発な研究活動に

 研究分野の異なる佐藤教授と土井研究員をつないだきっかけは、東京大学大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターで行われた共同利用研究の集会だった。海洋物理学と気象学についての研究集会だったが、佐藤教授がそこでバイオロギングを用いた表面海流と海上風についての観測データ活用の話をしたことに始まる。この講演が発端となり海流予測の研究者と佐藤教授が共同研究を行うことになった。

 オオミズナギドリは移動中に海面で休息するが、休息中は海流に流される。そのデータが、海流の予測精度の向上につながることが分かった。さらに、バイオロギングによる観測データが、今度は季節予測にも役立つのではないかということになり、今回の共同研究につながったという。

 これまで動物行動学と気候変動の予測は全く別の手法により異なるデータを用いて行われていた。しかし、今回のように分野を問わず「協働」「共創」研究することは、研究活動の発展にもつながっていく。枠にとらわれない思考と研究が必要になっていくのかもしれない。そして、これからどんなコラボレーションが行われるかも注目だ。

 研究の今後について、佐藤教授は「AI(人工知能)を導入して画像解析を行いたい」と話す。引き続き他分野との共同研究も続けていくという。土井研究員は「季節予測シミュレーションの精度向上を目指すとともに、今回の結果がウミガメ保全にも役立つことを願う」「今回の成果が、パイロットスタディとしてさらに広がっていくとうれしい」と話していた。

(サイエンスライター 藤井友紀子)

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