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海洋の酸性化で生物の多様性が失われる兆しが見えた

2018.08.08

保坂直紀 / サイエンスポータル編集部

 大気中に二酸化炭素が増えると、地球の気温が上がる。これがいま進行中の「地球温暖化」だ。二酸化炭素の増加は、地球温暖化を通して私たちの生活、生存を脅かす大問題なのだが、もし私たちが海中にすむ生き物だったら、「海洋酸性化」のほうがより切迫した社会問題になっているに違いない。二酸化炭素が大気から海に溶け込み、海水の酸性度がすでにかなり上がっているからだ。

 海水は、さまざまな成分が溶け込んでいるため、ややアルカリ性になっている。大気中の二酸化炭素が増えると、これまでより多くの二酸化炭素が海に溶け、このアルカリ性が中性に近づく。これが海洋の酸性化だ。

 地球温暖化については、私たちが無策のままでいれば、今世紀末までの約100年間で気温は4度近く上がるという予想が、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」で報告されている。その影響も、不確実性がかなりあるとはいえ、農作物の栽培適地が変わったり、病気を媒介する熱い地域の昆虫が生息範囲を広げたりすることが予想されていて、ずいぶん具体的だ。

 一方、海洋の酸性化のほうについては、このさき生き物などにどのような影響が及ぶのか、いまひとつはっきりしていない。大気中に二酸化炭素が増えれば海の酸性化が進むこと自体はほぼ確実なのに、生態系などへの影響は、まだ研究の途上なのだ。酸性化した将来の海で生きられない生き物がいるのか。カラフルな魚たちが集うサンゴ礁の風景はなくなってしまうのか。

 筑波大学下田臨海実験センターのシルバン・アゴスティーニ助教らの研究グループが注目しているのは、伊豆半島の南に浮かぶ火山島の式根島。ここには、海底から火山ガスが噴き出している海域がある。火山ガスには二酸化炭素が含まれているので、噴き出し口の近くでは二酸化炭素の濃度が高く、離れると低くなっていく。そのため、将来の海洋酸性化で想定される二酸化炭素濃度が、すでに実現している場所がある。調査地点を上手に定めれば、海洋酸性化で海の生き物たちがどう変化するかを推定できるのだ。

 アゴスティーニさんによると、こうした海域に着目して生き物の調査を行うようになってきたのは、ここ10年ほどのことだ。地中海やパプアニューギニア、ニュージーランドの近海などにも同様の海域があるが、式根島で噴き出す火山ガスには硫化水素などの有毒成分が少なく、二酸化炭素の増加による生物への影響を調査するには有利な場所なのだという。

 式根島のあたりには、二酸化炭素をあまり多く含まない黒潮が流れている。そのため、海水中の二酸化炭素の濃度がもともと低い。したがって、調査地点をうまく選ぶと、まだ大気中の二酸化炭素があまり増えていなかった産業革命のころの濃度、世界的にみた場合の現在の二酸化炭素濃度、そして、放っておいた場合に今世紀末に達すると予想される高い濃度のそれぞれに応じた海の状況を比較できる。アゴスティーニさんらは、この「昔」「現在」「未来」の海について、なにがどう違っているのかを観察した。

 そしてわかったのは、多くの種類が集まって暮らしていた海の生き物たちが、海洋の酸性化が進むとその多様性を減らし、少ない種類の単純な生態系になってしまうことだ。

 二酸化炭素濃度が低かった「昔」の海域には、海底からテーブル状に成長したエンタクミドリイシというサンゴや、やはり海底から茂る海藻のアオバノリなどが生育していた。これらのおかげで海底は複雑な空間になっており、そこが小魚などの隠れ家にもなって、いろいろな種類の生き物が集まっていた。ところが、「現在」の海域になると、エンタクミドリイシは影を潜め、ハイオオギの仲間のような、岩の上にへばりつくように成長する海藻が目立つようになった。小動物の隠れ家が減っているのだ。さらに「未来」の海域になると、海底にカーペット状に広がるイワツダのような海藻が多くなっていた。これでは、もう隠れ家にはなりにくい。

写真1 サンゴや大型の海藻が多く見られる「昔」の海。生物の多様性が高い。(写真はいずれも研究グループ提供)
写真1 サンゴや大型の海藻が多く見られる「昔」の海。生物の多様性が高い。(写真はいずれも研究グループ提供)
写真2 小型の藻類が主体になった「未来」の海。海洋の酸性化がこのまま進むと、こんな光景がふつうになるかもしれない。
写真2 小型の藻類が主体になった「未来」の海。海洋の酸性化がこのまま進むと、こんな光景がふつうになるかもしれない。

 サンゴのなかで「造礁サンゴ」とよばれる種類は、海水中に溶けたカルシウム成分と炭酸成分から硬い炭酸カルシウムの骨格をつくる。造礁サンゴが無数に集まって大きな骨格を作ると、それが新たな海底地形である岩のようなサンゴ礁になる。ところが、海洋の酸性化が進むと海水中の炭酸成分が不足し、サンゴが骨格を作れなくなる。こうなると、造礁サンゴは生きていけない。アゴスティーニさんらの観察によると、「現在」の海域で、すでにその傾向がうかがわれた。観察例が少ないので確定的なことはいえないが、「過去」の海では面積の1割あまりで造礁サンゴが見られたのに対し、「現在」になると、それがほとんどなくなっていたのだ。表面に炭酸カルシムの硬い衣をまとうタイプの海藻も、かなり減っているようだった。これらが隠れ家不足の一因だ。

もともと二酸化炭素濃度が低い式根島の海でも、今世紀の半ばには「現在」の濃度がふつうになりそうだ。アゴスティーニさんは、「実際にこの目で見ると、二酸化炭素濃度の差による海の景色の違いは驚くほどだ」という。今回の研究は、亜熱帯と温帯の海が接する生物多様性の高い式根島で行われたものだが、実際には、世界の似たような海で、すでにかなりの多様性が失われている可能性がある。さまざまな生き物でカラフルだった海が、モノトーンになりかけているのだ。人間に限らず生き物たちは、その多様性を前提にしてこの地球上で暮らしてきた。海洋の酸性化でこのさきますます多様性が失われたとき、いったい私たちに何が起こるのだろうか。

(サイエンスポータル編集部 保坂直紀)

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