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大発生したヤスデから、高性能な酵素を発見

2015.09.09

 これまで嫌われものだった生き物が、化学工業の現場に革命をもたらし、人の役に立つかもしれない。JST 戦略的創造研究推進事業 浅野酵素活性分子プロジェクトの浅野泰久(あさの やすひさ) 富山県立大学教授らは、毒ガスのひとつである青酸ガスを作る「ヤンバルトサカヤスデ」に注目し、大量発生したヤスデ30キログラムの体液から「ヒドロキシニトリルリアーゼ」とよばれる酵素を抽出した。この酵素が産業利用されれば、抗炎症剤や心臓病薬など幅広い医農薬品の原料を、今までより安く、品質よく作れる。これまでの開発手法と何が違い、今後どんな波及効果が期待されるのだろうか。

ヤンバルトサカヤスデ。近年台湾からわたってきた外来種で、沖縄から九州、四国、静岡近辺まで急速に生息地を広げつつある。
ヤンバルトサカヤスデ。近年台湾からわたってきた外来種で、沖縄から九州、四国、静岡近辺まで急速に生息地を広げつつある。

既存の産業用触媒にも勝る、ヤスデの酵素

 浅野教授が長年探してきたのは、化合物「マンデロニトリル」の合成を促す酵素だ。これは多くの医農薬品の原料として需要が高い化合物で、ベンズアルデヒドと青酸から合成される。そんな浅野教授の耳に飛び込んできたのが、「ヤンバルトサカヤスデが線路を埋め尽くすように大量発生し、列車の車輪につぶされて青酸ガスをも含む体液が悪臭を放ち、住民を悩ませている」というニュースだった。ヤスデはマンデロニトリルを分解して青酸を作っているに違いない、ならばその反応を触媒する酵素を持っているに違いないとにらみ、現場に急行した。

ヒドロキシニトリルリアーゼは、右から左、左から右の両方の化学反応を触媒する。マンデロニトリルはさまざまな医農薬品の原料として利用価値があり、産業用には右から左への反応の触媒としてヒドロキシニトリルリアーゼが活用される。
ヒドロキシニトリルリアーゼは、右から左、左から右の両方の化学反応を触媒する。マンデロニトリルはさまざまな医農薬品の原料として利用価値があり、産業用には右から左への反応の触媒としてヒドロキシニトリルリアーゼが活用される。

 はたして、ヤスデは目的の酵素(ヒドロキシニトリルリアーゼ)を持っていた。しかも、産業界ですでに利用されていた、同じ化学反応を促進するアーモンドや梅、ビワといった植物由来の酵素よりも5倍から200倍以上も活性が高く、熱に強く繰り返し使える。そして何より浅野教授が喜んだのが、これまでの酵素とは似ても似つかない、まったく新しい構造の酵素だったことだ。4億年を超えるヤスデの歴史の中で、この酵素がどう誕生したのか想像すらできないという。

未知の酵素をもとめて自然界へ

 生き物をすりつぶして目的の酵素を抽出する生化学的なアプローチは昔から行われてきたが、時間と労力がかかるうえ、研究者の知識や経験により結果が左右されるため、敬遠されつつある。今では、より性能の高い酵素を手に入れるために、遺伝子データベースの情報を出発点とし、過去の研究で明らかになった情報から酵素の機能を推定する方法や、既存の酵素を遺伝子工学で改良する方法を採るのが中心的だ。しかし、それらの方法にも当然、限界がある。これまで報告されていない未知の酵素にはたどりつけない。

 浅野教授は言う。「有用な酵素を見いだすために、今後は、未知の遺伝子が眠っている可能性が高い動物に、探索対象を広げていきます。今回の成果によって、未利用の動物が注目され、産業用酵素の遺伝子資源として研究されるきっかけになれば嬉しい」。

30 kg、およそ10万匹のヤンバルトサカヤスデをほうきで掃き集め、凍らせ、乳鉢ですりつぶし、体液を抽出する。この後、目的の酵素を精製するのだが、1 kgのヤスデから得られる酵素量は、0.12 mg。
30 kg、およそ10万匹のヤンバルトサカヤスデをほうきで掃き集め、凍らせ、乳鉢ですりつぶし、体液を抽出する。この後、目的の酵素を精製するのだが、1 kgのヤスデから得られる酵素量は、0.12 mg。

 ここで酵素について、少し補足しておこう。医農薬品は原料から化学反応によって作られるが、その効率を決めるのが反応を手助けする「触媒」である。触媒に何を使うかで、反応の速さや、副産物の量、反応に必要な温度などの条件が変わる。反応が速く、副産物として有害物質が出ず、目的の化合物だけを穏やかな反応条件で作ることができれば、生産コストを抑えられる。そのため、産業界は常によりよい触媒を求めている。触媒として、金属のほかに活用されているのが酵素だ。酵素は生き物の体の中で作られ、生命活動に必要な化学反応が効率的に起こるように補助している。例えば、私たちの胃や腸の中にある消化酵素もその一つで、放っておけば長い時間がかかる糖分や油、タンパク質の分解を速めている。

 ひとつひとつの酵素はごく微量しか生体内に存在しない。産業用に酵素を安定供給できるほど、動物や植物を大量に育てるためには広大なスペースが必要で、採算が取れない。そのため、これまではこれらの生き物が酵素の探索対象として振り向かれることはまれだった。ヤスデの場合も同様で、大発生が新しい酵素を発見する絶好のチャンスとなったが、このままでは産業利用には直結しない。しかし、今は遺伝子組換え技術が向上している。研究対象として扱いの難しい生き物からでも、新しい酵素を見つけることさえできれば、遺伝子組換えによって微生物にその酵素を作らせ、大量培養や抽出、遺伝子改変もできる。酵素を産業用に安定して供給することも夢ではなくなった。

 地球上には、これまで学名のついた動物だけでおよそ153万種いるといわれる。それぞれが進化の過程で、環境に応じてさまざまな酵素の性能を磨いてきた。そう考えると多様な生き物たちがそのまま酵素の宝の山とも考えられる。今回、駆除対象ともなるヤスデが、既存の産業用酵素を超える活性を示す、まったく新しい構造の酵素を持つことを浅野教授らは発見した。ヤスデに続け。この発見は、化学工業に新たな道をひらく未知の生き物の重要性を再認識させてくれた。

(JST 松山桃世)

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