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東日本大震災10年を前に震度6強の大余震-「超」巨大地震の影響はまだ続く 防災への「備え」を

2021.02.15

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

 東日本大震災からあと1カ月足らずで10年を迎えようとしていた2月13日深夜、宮城県南部、福島県の中通りと浜通りで震度6強の大きな地震があった。首都圏も揺れて10年前の巨大地震(東北地方太平洋沖地震)の時のような恐怖を感じた人は多かった。気象庁によると13日の地震は「超」巨大だった東北地方太平洋沖地震の余震とみられ、専門家は「10年前の巨大地震の影響はまだ続いている」と警告している。

 今回は震源が深く、大きな津波が発生しなかったこともあり、建物被害などによるけが人は多数出たものの、幸い死者は15日現在確認されていない。日本の国内では今、長引くコロナ禍とどう向き合うかが問われているが、今回の大余震は南海トラフ巨大地震や首都直下地震のほか、全国どこでも起こり得る活断層型の地震について、防災への「備え」が極めて大切であることを改めて思い起こさせた。

13日深夜に起きた地震は震度6強を最大に東日本の広い範囲で大きな揺れが観測された(気象庁提供)
13日深夜に起きた地震は震度6強を最大に東日本の広い範囲で大きな揺れが観測された(気象庁提供)
福島県相馬市の民家内の状況(左)と同県新地町の民家から落ちた屋根瓦(右)(いずれも仙台管区気象台・福島地方気象台提供)
福島県相馬市の民家内の状況(左)と同県新地町の民家から落ちた屋根瓦(右)(いずれも仙台管区気象台・福島地方気象台提供)
13日の地震の各地の震度(気象庁提供)

太平洋プレート内の逆断層型だった

 気象庁は地震発生約2時間後の14日午前1時すぎから鎌谷紀子・地震情報企画官が記者会見した。説明によると、地震発生時刻は13日午後11時7分、検知時刻はその1分後。震源地は福島県沖で、震源の深さは約55キロだった。地震の規模は暫定値でマグニチュード(M)7.3。地震のメカニズムは西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、沈み込む太平洋プレートの内部で発生した地震だった。福島県・中通りで長周期地震動階級4を観測した。

 鎌谷氏によると、過去の例では大地震発生後に同程度の地震が発生した割合が1~2割ある。揺れが強かった地域では、地震発生から1週間程度、特に今後2~3日程度はその地震と同程度の強い地震の恐れがあるという。同氏は「今後1週間は震度6強程度の地震が起きる可能性がある」と注意を呼びかけた。

 政府の地震調査委員会(平田直委員長)は14日に臨時の会合を開き、震源は海底にある長さ40キロの南北方向に伸びる断層で、東側に傾斜する逆断層との見解をまとめた。地震後に福島県南相馬市で西に2センチ近く動く地殻変動が観測されたという。

13日の大きな地震は沈み込むプレート内で発生した(地震調査委員会提供)
13日の大きな地震は沈み込むプレート内で発生した(地震調査委員会提供)
13日の地震はプレート内部の逆断層型だった(気象庁提供)
13日の地震はプレート内部の逆断層型だった(気象庁提供)
東北地方太平洋沖地震(M9)とその前後に起きたM7以上の大きな余震の震源(気象庁提供)
東北地方太平洋沖地震(M9)とその前後に起きたM7以上の大きな余震の震源(気象庁提供)

2011年4月以来の大きな揺れ

 「地震から10年後の余震」と聞くと意外に感じる人も多いかもしれないが、余震は本震が大きければ大きいほど長く発生する。地殻が大きく動くと余震活動が長期間続くということだ。Mは地震そのものの大きさを示す。地震が発するエネルギーの大きさを対数で表した指標値で、揺れの大きさを表す震度とは異なる。Mが1増えると地震のエネルギーは31.6倍になる。

 地震調査委員会委員長で防災科学技術研究所参与、東大名誉教授の平田氏によると、2011年3月11日午後2時46分に起きた東北地方太平洋沖地震は、「超」が付くほどのまれに見る巨大地震だった。16年に起きて大きな被害を出した熊本地震(M7.3)と比べるとエネルギーは約1000倍。熊本地震の「すべり量」(D)は2~4メートルだったが11年3月の巨大地震は20~40メートルもあった。

 気象庁によると、東北地方太平洋沖地震前の2001年から10年に起きたM4以上の地震は月平均11.5回だった。11年3月11日以降これまでの地震発生の月平均は増えて地震活動は活発になっていた。東北地方太平洋沖地震のMは9.0で、本震が起きた同じ日のうちにM7以上の大余震が3回発生。4月にもM7級の余震が2回起きた。余震は次第に減っていくのが一般的だが、今回、13日深夜の余震は震度6強を記録し、11年4月以来の大きな揺れとなった。

 巨大地震により、地震活動が長く続く例は海外にも見られる。2004年12月のインドネシア・スマトラ沖のM9.1の巨大地震では、12年に余震域でM8.6の大余震を観測した。10年2月に発生した南米チリのM8.8の大地震は、15年に余震域に隣接する地域でM8.3の大余震が起きている。

東北地方太平洋沖地震後のM以上の余震の回数を示すグラフ(気象庁提供)
東北地方太平洋沖地震後のM4以上の余震の回数を示すグラフ(気象庁提供)

宮城県沖・福島県沖でのM7級は高い確率値が出ていた

 政府の地震調査委員会は日本海溝以外の海溝型地震のほか、全国の主な活断層型の地震の長期評価も実施して「全国地震動予測地図」として公表。さらに海溝や活断層などにより繰り返し起きるとされる地震の規模や危険度に関する予測を「地震発生確率値」として発表している。確率値は「30年以内の発生確率」のパーセント数値で幅を持たせている。

 その1つとして2019年2月26日に「東北から関東地方沖の日本海溝沿いの海域を震源とするマグニチュードM7〜8の大地震が今後30年以内に起きる可能性が高い」とする予測を公表している。「今後30年」は年が経つにつれて基準年が変わるので、厳密には発生確率も変わるがその後大きな変更はない。

 2019年の公表内容によると、東日本大震災と同じ場所を震源とするM9程度の超巨大地震が発生する確率は「ほぼ0%」となった。しかし巨大地震ではないものの、 M7.0〜7.5で大きな被害が出る可能性がある大地震については多くの地域で高い確率値が出されていた。2019年の評価だが、今回の地震の震源地に近い宮城県沖と福島県沖でM7.0~7.5程度の地震が起きる確率はそれぞれ「90%程度」「50%程度」とされていたのだ。

 南海トラフ巨大地震については、M8〜9級の巨大地震が起きる確率は70〜80%とされている。この南海巨大地震はM9級という点では東北地方太平洋沖地震と同じだ。しかし、中央防災会議防災対策推進検討会議の推計によると、津波による浸水域人口は東日本大震災が約62万人だったのに対し、南海トラフ巨大地震は約163万人。予想される死者・行方不明者の数は何と約32万3000人を数える。

 地震学は「過去にどこでどの程度の頻度で地震が起きたか」を調べることが基本だ。「地震発生確率値」とは地震がどのくらいの頻度で起きるかの予測。「30年以内に70%」と言われても具体的にイメージしにくい。「30年の間で0.7回起きる」ということだが、「0.7」を「30」で割って、「1年の確率」を出すのは間違いで、今日明日起きるかもしれないし、30年経っても起きない可能性もある。

2019年2月に公表された地震発生確率の対象領域(地震調査委員会提供)
2019年2月に公表された地震発生確率の対象領域(地震調査委員会提供)

10年経っても終わっていない

 人口やさまざまな機能が密集する首都の直下地震も首都機能どころか国の機能不全が懸念される甚大な被害が想定されている。

 南海トラフ巨大地震にしても首都直下地震にしても、事前の防災対策の徹底によって想定される建物被害や死者をかなり減らすことができる。それでも想定被害は甚大。防災対策を実行した後の想定被害をさらにいかに減らすか。難しく重い課題だが、これからの科学の総合力、言い換えれば現代を生きる世代の英知に求められている。

防災対策を実行後の想定被害(平田直氏提供)
防災対策を実行後の想定被害(平田直氏提供)

 平田氏は想定被害リスクが高い地域や施設については、津波から安全に避難できる施設整備や地域づくり、建物の耐震化、家具や設備の固定化など各家庭できる備えをするなど、事前対策の徹底が重要、と強調している。

 「天災は忘れたころにやってくる」。これは科学者で随筆家でもある寺田寅彦の言葉とされる。真偽ははっきりしないが優れた格言であることは間違いない。長引くコロナ禍にあってともすれば「今日起きてもおかしくない」地震の怖さを忘れがちだったが、13日の大地震はあらためて地震防災に対する「備え」の大切さを再認識させた。

2月12日、日本記者クラブ主催のオンライン形式の勉強会(記者ゼミ)で科学担当記者らに「東日本大震災から10年-地震防災の今の課題」を講義する平田直氏
2月12日、日本記者クラブ主催のオンライン形式の勉強会(記者ゼミ)で科学担当記者らに「東日本大震災から10年-地震防災の今の課題」を講義する平田直氏

 平田氏は2月12日、翌日の大余震をあたかも予見するように次のように警告していた。「10年経ってもあの巨大地震の影響は残っている。自然現象としても残っているし、被災地の復旧、復興は終わっていない。まだ避難していて戻れない被災者の方もたくさんいる。もしかしたらまた東北で大きな地震・津波が起きるかもしれない。東北だけでなく、北海道の沖合や関東でも関西でも起きるかもしれない。10年経ったからあの巨大地震のことは終わった、ということではない。是非、そのことを忘れないで地震への備えをしてほしい」。

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