レビュー

編集だよりー 2013年1月18日編集だより

2013.01.18

小岩井忠道

 上海について2日目の7日、上海交通大学の研究者にインタビューしてすぐ浙江省の省都、杭州に高速鉄道で移動する。一昨年、同じ浙江省内の温州市で追突事故を起こした鉄道だ。事故の数日後には、事故車両が解体され、現場近くに埋められてしまう。原因解明に支障はないのか、と国際的にも関心を集めたことは、多くの人が覚えているだろう。

 乗り心地は、日本の新幹線と変わらない。上海、杭州とも駅の立派さは日本以上だろうか。乗った車両の入り口近くに、大きな旅行ケースを入れる場所が設けられている。これは、日本より乗客本位だ。考えてみれば、日本の新幹線で移動する外国人観光客は大きな旅行ケースをどうしているのだろうか。初めて気になった。

 杭州での目的は、急激に評価を高めている割に日本での知名度は必ずしも高くない浙江大学の有力教授4人にインタビューすることだった。「どの研究者も、さらに高い所を目指して意欲十分」。調査チーム一行の共通した印象である。自信にあふれる研究者なら、どこにでもいるだろう。しかし、欧米の研究者たちとは何かちょっと違うかも。そんな感じも一方でする。

 研究者たちが一様に強調していたのは、浙江大学が中国のトップレベル大学になったのは、学長の強烈な指導力が大きいということだった。電力電子応用技術国家工程研究センターの趙栄祥教授によると、年間の論文総数、取得特許の数では中国で一位だそうだ。海外での研究経験がないと教授になれないというのは、日本でもおおむね同様だろうが、学部在学中に1度は海外での研究機会を与えているというのは、日本の大学はまだどこもやっていないのではないだろうか。

 さて、こうした自信に満ちた発言の一方で、ちょっと違った面、つまり指導的な日本人研究者の多くに感じる印象を持った、というのは何か。「中国はまだ発展途上。大学も東京大学、京都大学、東京工業大学のレベルにはまだない」。われわれ調査チームを招いてくれたレストランでの、趙教授の発言だ。教授は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託でスマートグリッドの実証研究を実施中である。富士電機とも長い共同研究の実績を持つ。映画好きで、「日本女優では倍賞千恵子が好き。高倉健と共演し、北海道が舞台だった作品が特に良かった」という。「幸福の黄色いハンカチ」ではないと言われ、だれも名前が浮かばない。ホテルに帰った後、ホテル備え付けのパソコンで検索し「遥かなる山の呼び声」(山田洋次監督、1980年)と気づく。

 そんな日本びいきの人の発言と割り引いたとしても、心にもないことを言っているようにはとても見えなかった。

 昨夜、高校バスケットボール部の後輩の通夜に参列した。中学からの2年後輩である。高校2年の春休み、入学試験の合格者が張り出された掲示で名前をいち早く確認した。しばらく待っているうちにやってきた本人に「おめでとう。明日から練習に参加して」と部に引っ張り込んだ。日立から水戸への常磐線通学定期は、編集者の名前で購入し提供した(不正であるが、だれに迷惑をかけたわけでもないから、とっくに時効だろう)から、逃げられない。

 その4カ月後、インターハイ出場をかけた県大会の決勝戦、1点を争う終盤に1年生のこの後輩が出てきた。ようやく同点にしたが、残り時間はほとんどない。無論ボールは相手側に…。そんなのっぴきならない場面で、スチール(相手のボールを奪い取る)というわずか2点差の勝利につながる値千金のプレーをやってのけてくれた男だ。インターハイでは、1年生にもかかわらずスカウトに来ていた有力大学の関係者からチームで唯一、コーチに打診があった。

 通夜には、バスケット部OB・OG会の首都圏支部会長、副会長と最寄駅で待ち合わせて出かける。式場には編集者の11年後輩たちも来ていた。夏の合宿などで当時、慶應義塾大学から日立製作所に就職し、プレーを続けていた故人の指導を受けた後輩たちだ。県内外から有力選手をかき集めた土浦日大高とインターハイ出場をかけた県大会決勝戦で激しい戦いを演じ、試合終了寸前に逆転負けを喫した。これまででどの学年が最も強かったか、というのは証明不能の思い出話に過ぎないが、この学年が一番強かったのではないかと思っているOBは多い。

 インターハイ出場につながる故人の起死回生のプレーは、実はコミュニケーションのミスから出た。わがチームはそれまで180センチという当時県で一番身長が高かったセンターを生かすため、このセンターをゴールの真下に据えるツー・スリーのゾーンディフェンス一本やりで戦っていた。しかし、残り時間はほとんどない。相手に防御の外からシュートを決められたらお仕舞、という状況で「ワン・ツー・ツーの(ゾーン)ディフェンスに変更」という編集者の出した指示が、1年生の故人にだけすぐ伝わらなかった。防御に大きな穴が空き、ノーマークの相手選手に横断パスが飛ぶ。この時、指示の意味に気付いた故人があわてて正しい位置に移動した時と、パスが相手の選手に届く直前のタイミングがぴたりと合い、寸前でパスをカットできた、というわけだ。

 運動能力抜群の選手たちをそろえた11年下の後輩たちも入れて通夜の帰り道、一杯やりながら、高校時代の運動部経験で得た二つの教訓を思い出した。

 「実力が同じであれば、最後に勝つかどうかは運に大きく左右される」

 「中学、高校時代に運動部活動をして得られる最も大事なことは、自分よりうまい人間は世の中に腐るほどいるという事実を嫌でも実感できること」(自分は特別な人間だ、などと大人になってからもゆめゆめ勘違いしない)

 趙・浙江大学教授の「日本のトップレベル大学にはまだまだかなわない」という謙虚な発言も、後者の教訓と根底に何か共通するものがあるような気もするが、見当違いだろうか。

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