レビュー

編集だよりー 2012年12月28日編集だより

2012.12.28

小岩井忠道

 NHK紅白歌合戦に77歳で初出場の美輪明宏が出るというので、関連する新聞記事を今年は注意して読んでいる。美輪氏の歌う曲が「ヨイトマケの唄」に決まった、という記事があった。特定の出場歌手を取り上げて、歌う曲名がニュースになるというのは、そうそうないのでは。NHKも美輪氏を今年の目玉にしたいということだろうか。

 この歌がレコーディングされたのは1965年ということだ。編集者がまだ学生だった66-67年ごろ、美輪氏がレギュラー出演していた銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」にしばしば行っていた。最初、誰に連れて行かれたのか忘れてしまったが、とにかく安かったからだろう。一度、飲み物を取るだけで確か4人の歌手が順に歌うステージを、何度でも繰り返し聴くことができた。

 「ヨイトマケの唄」を覚えたのはここだ。ただし、美輪氏からではない。NHKのど自慢チャンピオン大会で優勝したという若い男性歌手が得意にしており、いつも必ず歌っていたからだ。美輪氏の方はどういうわけかこの歌は歌わず、故郷、長崎を舞台にした自作の曲などを盛んに歌っていた。

 通信社に入った年、同期生たちとの飲み会で「何かやれ」と言われたので、歌詞など見ないでも歌えるようになっていた「ヨイトマケの唄」を歌う。以来、同期の集まりでは必ず歌わされることになった。それどころか結婚式の披露宴でも歌う羽目に陥る。宴が和らいで来たとき、急に同期生たちが「あれを歌わせろ」と言い出した。予定外の事態に困惑している司会者(人の好い幼馴染)の顔を見たら、「やだよ」とは言えなくなってしまった、というわけだ。

 「今は機械の世の中で、おまけに僕はエンジニア」という歌詞のところで、笑い声が起きる。工学部卒なのに「ものづくり」と関係ない仕事に就いてしまったから、まあ妥当な反応とでもいうべきだろうか。次に「何度か僕もぐれかけたけど」のくだりで、またしても噴き出したような笑いが…。中学、高校時代を知る旧友たちからだから、これも致し方ない。

 さて、芸能界で長年にわたりさまざまな話題を提供してきた美輪明宏氏が、これまで紅白歌合戦と無縁だったのはなぜか。東京新聞が20日の朝刊で面白いことを書いている。

 「ヨイトマケの唄」は、歌詞の中に「土方」という言葉があるだけで、放送されなかった、ということは、この記事を読む前から聞いていた。

 当サイエンスポータルは記事の表示法を、共同通信社の「記者ハンドブック—新聞用字用語集」によっている。「土方」は確かに「記者ハンドブック」でも「差別語、不快用語」の中の一つだ。建設労働者あるいは建設作業員と言い換える、とされている。同時に、「差別語、不快用語については、単純に言葉を言い換えればいいということではない。原則は『使われた側の立場になって考える』ことが肝要である」と書いてあるところが、むしろ大事ということだろう。

 東京新聞の記事は、もっと明確に放送界の対応に疑問を投げかけたものだ。「放送禁止歌」の実体を、テレビのドキュメント番組「放送禁止歌〜唄っているのは誰?規制するのは誰?」で最初に鋭く指摘した森達也氏がコメントしている。「アー、あの人が森氏だったか」と気づく。だいぶ前に民放ラジオ番組の中で、「放送禁止歌」というもののあやふやさ、危うさを厳しく指摘している人がいて、感心し、驚いたことを覚えていたからだ。ラジオ番組で話しているのを編集者が聴いたのは、このドキュメント番組が大きな反響を呼んだ直後のことだったのかもしれない。

 フジテレビで放映されたこのドキュメント番組の企画から放映までの興味深い経緯と、その後の関連取材を盛り込んだ森氏の著書「放送禁止歌」(森達也著・デーブ・スペクター監修、解放出版社、2000年)を読んでみた。

 特定の歌を放送局が放送禁止にするという表現の自由を自ら縛る行為は、確たる根拠の上でなされたわけではない。特に途中から放送人たちがそうすることにほとんど疑いも持たず当然と思い込んでいた…。驚くような事実がつぎつぎにあぶり出される。

 「放送禁止歌」として有名な「竹田の子守唄」が生まれ、変えられていった経緯を著者が追うところも、この本の価値をさらに高めているように感じた。フォークグループ「赤い鳥」が1969年にレコーディングして一躍有名になった歌だが、もともとは「守り子唄」というべきもので、歌詞もだいぶ違っていたことが明らかにされている。差別問題に正面から取り組んだ朝日放送の報道特別番組(1981年)があり、冒頭に「紙ふうせん」が、元の歌詞を一部入れた“竹田の子守唄”を歌う場面を入れた、という。「紙ふうせん」は「赤い鳥」分裂後に再結成されたフォークグループだ。

 興味深いのは、この番組を演出した高名なディレクター、石高健次氏が、「竹田の子守唄」が被差別部落から生まれた歌であることは当然、承知していたものの、放送禁止歌であることを全く知らなかった、と著者に語ったくだりだ。「放送禁止歌」なるものの実体を如実に示すようなエピソードではないか。

 東京新聞の記事によると、NHK広報部は「ヨイトマケの唄」を問題視したことはなく、ずっと放映してきたと言っているという。初出場の美輪明宏氏に「ヨイトマケの唄」を紅白歌合戦で歌わせるNHKに敬意を表し、編集者も新年に向けてあらためて考えることにしよう。

 過剰な自主規制は、いつの時代でも世の中をよくはしない、と。

関連記事

ページトップへ