「人生の集大成のひとつという意味も含めて、書いてみたものです」。そんな添え書きが挟まれた著書「記者—吉展ちゃん事件50年・スクープ秘話と縁深き人々」(中央公論事業出版)を、原野彌見氏から贈っていただいた。
元読売新聞記者である原野氏とは、残念ながら取材現場での触れ合いはない。通信社勤務時代の最後のころ、福岡放送の専務・報道制作局長をされていた氏と何度かお会いした。7歳も年下の編集者に全く偉ぶるところもなく、テレビ界だけでなくマスコミ全般にわたる興味深い話を聞かせていただいたものだ。
著書をいただいたのを機に経歴を拝見したら、読売新聞時代は、社会部次長、婦人部・生活情報部長に続き、電波本部次長を務められている。おそらくこの時、当時編集者の上司だったラジオ・テレビ局長と日本新聞協会の会合などで親しくなったのだろう。それもあって、だいぶ年下になる編集者にも過分な気遣いをしてくださったのだ、と思い至る。
送っていただいた著書は、これまでの氏に対する印象、尊敬の念を再確認する記述であふれていた。第一部では、47年前の吉展ちゃん事件で、原野氏がつかんだスクープの詳細が初めて明らかにされている。誘拐事件発生の2年3カ月後、被害者が死体で発見されるという悲惨な結果に終わった事件だ。この本で初めて明らかにされているのは、原野氏がこれまで公表を控えていた意外な事実である。45年という長い間、読売社内の数人と夫人に明かしただけで胸にしまいこんでいた理由はただ一つ。取材に協力してくれた遺体発見現場のお寺住職一家に、迷惑が及ぶのを恐れてのことだ。
原野氏の気遣いは徹底しており、今年の春まで住職一家を尋ねるのも控えていた。この住職一家との再会の場面も感動的だ。住職本人と住職の母親は既に他界していたが…。
東京オリンピックの前年、1963年に東京都台東区で村越吉展ちゃん(当時4歳)が誘拐された事件は、ある年齢以上の日本人はまず知らない人はいないだろう。編集者も元読売新聞記者、本田靖春氏の著書「誘拐」(文芸春秋、1977年)と、それを原作としたテレビドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」(恩地日出夫演出、1979年テレビ朝日系列で放映)を、食い入るように読み、観た記憶がある。テレビドラマでは、歌手の泉谷しげるが犯人役を演じ、評判になった。
本田靖春氏は「誘拐」に限らず、「私のなかの朝鮮人」「ニューヨークの日本人」「不当逮捕」「我、拗ね者として生涯を閉ず」など数々の名著で有名な方だ。原野氏にとっては、読売新聞社会部で7歳年長の尊敬する先輩である。その本田氏との触れ合いについても、興味深いエピソードが紹介されていた。本田氏が「誘拐」を文芸春秋に連載し始める前、この尊敬する先輩に原野氏は、今回、公に初めて明らかにした自身の体験を詳しく話したという。ところが、連載開始直前に原野氏を訪ねてきた本田氏は、一言こう言ったそうだ。
「原野君、君のことは書かなかったよ」
実際、そのくだりは、わずかに、次のような記述に留められていたという。「平塚(編集者注:有名な平塚八兵衛部長刑事)は、もう一度、寺の位置を確認して、石井と二人で現場へ向かった。寺が寺違いだったのである。未明に近く、真正寺の並びにある円通寺の『池田家の墓』で吉展の遺体が見つかった」
実際、どのようなことが死体発見現場である円通寺では起きていたのか。原野氏は、その日、社会部からの指示で担当だった日比谷警察署から一早く、円通寺に駆けつけた。情報が錯そうし、正しい現場だった円通寺に到着していた他社の記者はいない。警察官が隣の寺に行ってしまったのだから、当然だ。間違いに気づいて警察官がやってくるのを知り、とっさに住職の家族に頼んでかくまってもらう。頃合いを見計らって隠れていた部屋を出、寺の一員のふりをして警察の活動を観察する。その結果、「池田家の墓から遺体発見」をはじめ、決定的な情報を社に連絡することができた。
これだけの紹介では、「なんだ。単に運が良かっただけではないか」と思う人は多いかも知れない。しかし、携帯電話などない時代である。なぜ、警察が間違いに気づいて自分のいる円通寺にやってくることを一早く知り得たのか。寺の中にはたくさんの警察官がいて、寺の周囲には他の新聞、放送局の記者が取り囲む。そんな中で情報をどのようにして社に伝えたのか。そしてめでたく朝刊で読売新聞だけが「吉展ちゃん遺体発見」の特ダネを載せることができた—。
こうした詳しい経緯、特に原野さんの機転や苦労は、著書を読んでいただくとして、編集者が中でも感服したのは、住職一家と原野氏のわずか一晩の触れ合いの様子である。昔の日本には、気骨のある人たち、相手の職業に敬意を払い、立場をおもんぱかることができる人たちがあちこちにいたのだなあ、といった感じだろうか。
「記者—吉展ちゃん事件50年・スクープ秘話と縁深き人々」は、不思議な本でもある。吉展ちゃん事件を扱った第一部のほかは、記者時代の活躍ぶりにはあまり触れていないのだ。本田靖春氏以外の記者仲間も出てくることは出てくるがが、むしろ家族やたまたま親しく付き合いのあった学者や、関心のある歴史上の人物との触れ合い、「深い縁」に多くの紙数が割かれている。
やはり原野氏は、いくつになっても新聞記者らしい人なのだなあ。何より人物に関心を寄せ続け、ヒューマンな心を持ち続けている…。
わずかな触れ合いでしかなかったものの、原野氏の人柄を思い起こし、すがすがしい思いに浸った。