多分、あの近藤さんだろうと思うのだが、確認を怠り、まだ100%の確信が持てない。毎日新聞の夕刊に毎週1回「しあわせのトンボ」というコラムを連載している近藤勝重・専門編集委員のことだ。
記者になって3年目、京都支局勤務になってすぐ、京都府警察本部を担当させられた。「名神高速道路バス事故の原因ハイドロプレーニング現象」という特ダネを毎日新聞に書かれて、鑑定を行った京都大学工学部の先生にあわてて追いかけ取材をしたことがあった。京都府警の依頼で鑑定をしていることを早々と知っていち早く記事にしたのが、同じ府警担当だった近藤記者である。その後、京都地方裁判所も同じ時期に担当した。ある時、裁判所と記者クラブでソフトボールの試合をしたが、この段取りを付けたのが近藤記者だった。体力も十分な若手裁判官にホームランを打たれ、裁判所チームの勝利に終わる。なるほど、有能な記者というのはソフトボールの試合開催の仕掛け役を担うことで、簡単には親しくなれない裁判官との付き合いを深めるものか。その時もまた舌を巻いたものだ。
同じ人に違いないと思う近藤・専門編集委員の連載コラム「しあわせのトンボ」については実は熱心な読者ではないのだが、一つ大いに感心した記事がある。大阪社会部時代にある企画の取材でストリップ劇場の楽屋に出入り自由になるまでになったことがあったそうだ。踊り子たちが平気で目の前で衣装を着替えるまで顔になったというから、やはり並の記者ではないということだろう。
ストリップというのは、少しずつ衣服を脱いで行くところが見せ所である。これは覚えがないわけではない。近藤氏の記事で感心したのは、踊り子たちの楽屋にいた時、その日の出番を終えた踊り子が、帰り支度のため衣服を一つずつ身につけていくのを見て興奮してしまった、と書いていたくだりだった。こちらの方は残念ながら経験がないが、ストリップと反対の行為を見て、逆に性的な興奮を感じたというのは、大いにあり得ることと納得する。さらに、編集者のようにこうした描写に感心する読者がいることを筆者は見通している、ということにも。
さて、近藤氏が高倉健と対談した記事が18日と19日の夕刊に大きく載っていた。氏が高倉健の大ファンだということもあって実現した企画であることがよく分かる記事になっている。
「ああ、まったくそうでした。本当に…。僕たちは何か合うものがありますねえ。こんなふうに仕事でお会いしたくなかった。どこか別の所でゆっくりとお話ししたいですね」
18日、「上」の部はこうした高倉健の言葉で締められている。翌19日の「下」の対談箇所の締めも次のような高倉健の言葉だ。
「今度は僕が、近藤さんが文章術を教えている大学で、一番後ろに座って聴講したいですね。中国の留学生の方にも会いたい。カタコトの中国語くらいはできますから。ニイハオ、ってね」
こういう記者に対する露骨な褒め言葉を対談記事とはいえ、最後に持ってくるというのは、新聞社や通信社の記者の感覚とは、だいぶ違うのでは、と思った(多分、近藤氏は、対談部分を書いたのは自分ではなく別の記者だと言うと思うが)。
編集者も、近藤氏ほどではないが高倉健の映画は何本か観ている。「駅 STATION」(降旗康男監督、1981年)など印象に残る作品も少なくない。京都に住んでいた時、賃貸マンションの隣が、東映の照明技師と元スクリプターのご夫妻だった。人のよい奥さんが東映の大スターたちとの触れあいをよく語ってくれたものだが、「健さん、健さん」と親しげに呼び、大いに褒めていた。「撮影スタッフの飲み会の度に、本人は参加しなかったが必ずお金を包んで届けてくれた」と。
毎日新聞の対談記事を読んだ後、偶然、「怪優伝 三國連太郎・死ぬまで演じ続けること」(佐野眞一著、2011年)を開いてみたら、三国が高倉健について語った箇所が出てきた。「飢餓海峡」(内田吐夢監督)で初共演した高倉健について、当初は関心を持ったようだが結局、あまりよい役者ではないと評価していることがそれとなく分かるように書いてある。
俳優もまた、最も厳しいのは同業者の目ということなのだろうか。ファンはいつまでも高い評価を持ち続けてくれるが…。