おれの麻雀(マージャン)も日本の電機メーカーみたいか。なんて言うと電機メーカーの皆さんに怒られるだけでなく「単にへたなのを他人のせいにするな」と冷笑されるばかりだろう。
誘われてたまにやるのを除いて、この20年ほどほとんど牌(パイ)を握ることもなかったから、と言い訳できないこともない。とはいえ、この半年間、同じような顔ぶれで数回、卓を囲み、ことごとく惨敗続きなのにわれながらあきれる。今回も8日間というちょっと覚えがないほどの長い休暇の間、毎日、麻雀を打って結局、プラスになった日は初日だけだったろうか。負けをほとんど1人で背負い込むていたらくだった。
最近、日本を代表する電機メーカーが軒並み膨大な赤字を出したことが報道され、日本の将来にさらなる不安を呼び起こしているように見える。電機メーカーの苦境はだいぶ前から指摘されていた。iモードの生みの親といわれる夏野剛・ドワンゴ取締役、慶應義塾大学特別招聘教授は「世界の同業他社が専業化、巨大化する中で、製品、生産の規模は小さくなり、負け続け、業績が悪くなっても再編が起こらない。経営者、従業員もリスクを取らないアントレプレナ精神を欠いたサラリーマンの集団になってしまっている」など、何年も前から警鐘を鳴らしている(2010年5月24日レビュー「IT産業脱ガラパゴス化への道は?」参照)。
「負け続けても、リスクをとらない」。これって編集者の麻雀と同じではないか。休暇から帰る機中であらためて反省した次第だ。中学時代から牌を握っていたという自負が、逆に足かせになってしまっている。麻雀は読みと我慢の競い合い、というのはまだ通用するところはあるだろう。しかし、とにかく当たり牌を振り込むのは最悪、という考え方が完全に時代遅れになってしまっている、と頭では分かっても指がその通り動かないのが致命的だ。裏ドラなし、完全先付、クイタンだけの役では上がり禁止、ノーテン罰金なし…。運の要素をできるだけ排した古典的なルールとは、今のルールはまるで異なる。ドラもやたらに多いから、相手の手がどのくらい高いか読み切れるわけがない、と割り切るべきなのだ。そもそも、経験の有無を問わずだれでもたまには大勝ちできる。パチンコなどは、もっと徹底しているではないか。
これも今さらどうこう言っても始まらないが、麻雀には囲碁、将棋にはない弱点がある。対戦者4人の座る位置によって相当な有利不利ができるのが、その一つだ。手の内に同じ牌が二つある場合に、他の人が捨てた同じ牌を「ポン」と言って拾い上げ、3つぞろいにすることができる。自分の番でないのに必要な牌を手にすることができるメリットがある一方、自分の手の内が敵に見破られやすくなり、かつ大体の場合、上がっても点数が安い。だから強い人間ほどポンはあまりやらない、というのが昔は常識だった。
囲碁、将棋にない弱点というのはこのことではない。自分の下手(しもて)にポンが好きな人間が座ると、それだけで不利になってしまうということだ。自分以外の者が出した牌をポンされるたび、牌を持ってくる順番を飛び越されるわけだから、すごろくやトランプゲームの一回休みと同じである。場所替えがあるまで2時間あるいはそれ以上もの間、この不利にただ耐えるしかない。ポンをした人間が被る不利。古典的ルール当時には辛くもあった“抑止力”も、クイタン・ドラ3個などという高い手が労せずしてできてしまう今のルールではさっぱり働かないから始末が悪い。
それでも、もう一つある麻雀特有の弱点が経験豊富な人間に武器になり得た時期もあった。こちらの弱点というのは4人それぞれが積もってくる牌が最初から決まっているということだ。この弱点を逆用されないよう、編集者たちが学生のころはサイコロの二度振りというのをしていたし、かつて大橋巨泉氏が司会をしていたテレビ番組などでも、同じことをしていた。しかし、社会人になって以来、サイコロ二度振りのルールに出会った経験はない。だから、最初に牌をかき混ぜて、自分の前に上下2段、17牌ずつ積みそろえる際に、自分が積もってくる場所の牌を覚えてしまうという手が使えた。将棋の棋士たちの麻雀は、まさに牌の覚え合いの勝負、ということをどこかの記事で読んだ記憶がある。ある放送界の重鎮などは20数枚の牌を覚えられた、と何かに書いていた。
牌を積む作業を自動的にやってくれる麻雀卓の登場で、この“裏ワザ”も使えなくなってしまったから、編集者の麻雀歴の長さもとっくに負の財産でしかなくなってしまった、ということだ。
この出口なしのような状況を打開する道はあるだろうか。前述の夏野剛氏が委員長を務めたNPO法人ブロードバンド・アソシエーションの「IT国際競争力研究会」は昨年5月、日本の電機メーカー再生の方策の一つに次のことを挙げていた(2011年7月21日レビュー「サムスンと日本企業の違いはどこに」参照)。
「不採算事業から撤退、成長領域への集中」
わが麻雀も昔の打法など忘れ、今のルールに素直に従うよう気持ちを入れ変えろ、ということだろうか。「クイタン、ドラ3」などという手はどうにも品がなくて気が進まない、などというつまらないこだわりはきれいさっぱり捨て去って…。