映画「戦争と人間」(山本薩夫監督)の第何部か、だったろうか。中国の要人たちがマージャンを楽しんでいるシーンがあった。捨て牌(はい)を大きなかごの中に放り込んでいるのにびっくりしたのを覚えている。これじゃ、相手の上がる牌(当たり牌)を読むのは不可能だし、フリテンかどうかだって確かめようがないではないか、と。
人並みに夏休みを取り、分不相応の豪勢な1週間を過ごした。久しぶりに連日マージャン卓も囲む。やっぱり大負けした。一時はウマも入れると負けが25万点を超え、最終的に15万点ほどのマイナスで終わったのは幸運というべきだろう。
途中、清一色二盃口(チンイーソウ・リャンペイコウ)というなかなか目にしない手に振り込んだことがある。ドラも付いていたので3倍満貫という大放出となったが、この手は大車輪(ダイシャリン)という役満だとばかり思っていた。3倍満貫でもまだ払いが少なすぎるので正直に申し出たのだが、役満にはしていないという。大車輪という役自体を知らないというので、それ以上、議論にもならずにすんでしまった。
ルールの違いというのが気になったので、後日あらためてウェブサイトを検索してみる。本場の中国では、捨て牌というのは文字通り、後になっては何の意味もなさない牌だと初めて知る。上がる牌がフリテンかどうかといったことは端から問わないわけだ。何より驚いたのは、上がった牌が他人の捨てた牌だろうと自分で自摸(つも)ってきた牌だろうと関係ないということだった。どちらのケースでも皆から上がり点棒をもらうのが、元々のルールというのだ。
阿佐田哲也の小説に、登場人物が東京の雀荘をのぞき、競技中の人間がリーチという声を発するのに驚く場面があった。リーチというルールも比較的遅く導入されたというのはそれで承知していたのだが、中国にも元々なかった、という事実にあらためて驚く。マージャンは日本で本場の中国とは似て非なるものに進化した、ということらしい。
久しぶりに大負けして、特に落ち込みもしなかったのには、理由がある。編集者がマージャンで鍛えられたのは大学生時代だ。世話になった水戸徳川家創設の学生寮「水戸塾」(通称)には、「雀聖」という尊称で呼ばれる最上級生を筆頭に強者と評価される上級生がたくさんいた。あまりに盛んなため、編集者が入塾した時には既に、塾内でマージャンを行うのは土曜の午後と日曜祝日に限る規則ができていたほどだ。
ドラは、表の現物3枚だけ。槓(カン)が入ると新しいドラに変わるが、既存のドラは失効してしまうのでドラの数は増えない。裏ドラなどは無論ない。食いタンヤオだけでは上がれず、完全先付けなどなど…。要するに高い手ができにくく、さらに上がること自体にもいろいろ制約をつけることで、運が左右する余地をできるだけ少なくしたルールともいえる。ドラが3枚しかないので、捨て牌から相手の当たり牌を読むだけでなく、手の高さを推測することも場数を踏むほどうまくなる。結局、へたはなかなか上級者に勝てない、ということだ。
これに対し、今のルールは、あれこれ読むより、とにかく強気で勝負した方が有利。とにかくドラが多いから、手作りなどに励むのはあまり意味がない、ということだ。マージャンルールも日本社会の縮図。変化に対応できない方が悪い、と分かってはいるが、とにかく学生時代の習慣がすっかり身に染みついてしまっている。
日経新聞の17日朝刊一面の企画記事「新しい日本へ—復興の道筋を聞く」に福井俊彦・キヤノングローバル戦略研究所理事長(元日銀総裁)が登場していた。「昔の生活に戻れという人もいる」という問いに対し次のように語っている。
「『昔』とはいつか。都合のいい時期まで時計の針を戻す器用な方法などない」