まとめるのに手間取り少々掲載が遅れたが、5月20日に日本記者クラブで行われた黒川清氏の痛烈な講演の概要を紹介した(2011年6月3日ハイライト「政府から独立した国際委員会の立ち上げ早急に」。
「企業のトップに限らず、官庁も大学も報道機関も大学を卒業してすぐその組織に入り、単線路線、終身雇用、年功序列という日本的なタテのムラ社会の中でリーダーになっていく人が多い」。一定規模以上の組織の中で働いたことのある一定年齢以上の人で、この指摘に反論できる人は、まずいないのではないか。リーダーと呼ばれる地位に上がった人も、上がり損ねた人も…。
「一般的に言えばリスクを取らない人がうえに上がるシステムになっている」。続く氏の指摘に対しては「その通り!」とひざを打つ人と、そうでない人に別れるかもしれない。他人から見ると「リスクを取らない」としか思えない人も、本人はそう思っていない場合が相当多いと思われるからだ。
さらに黒川氏は、福島第一原子力発電所事故のおかげで外国にも広く知れ渡ってしまったとみられる日本の“内実”も指摘している。「現場の人は強いが、上に行くほど駄目になる」という…。これは、今回の当事者だけの話ではなさそうだから、厄介だ。
旧知の元毎日新聞記者、田中良太氏が毎日、配信してくれるメルマガ「田中良太の目覚まし時計」に、興味深い事実が書かれていた。タイトルもまさに「現場の賢さと指揮官の愚かさ」(5月31日配信)だ。1995年に起きた高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故がやり玉に挙げられている。「ナトリウム漏れ事故」という呼び方からして「政府、原発屋たちの用語体系に報道が屈服」。実体は「ナトリウム爆発」と呼ぶべきだった、という田中氏の主張に虚を突かれる。当時そんなことは全く考えもしなかった。
事故の原因は、ナトリウム配管に差し込んだ温度計を覆うさや(枝管)が折れて、その部分からナトリウムが漏出したためということは、当時、編集者も通信社の科学部にいた最後のころだから覚えている。さやの形が折れやすいことを実は製造段階で町工場主は分かっていた。確かNHKだったかが放送していたような記憶もおぼろげだがある。しかし、科学記者でない田中氏が当時、実際に東京の大田区にあるこの町工場の社長を取材していたというのは初めて知った。
驚いたのは、社長がそもそも配管の中に温度計を差し込むという設計自体をおかしいと考え、そのほかいくつもあるおかしな設計とともに主契約社である大企業の技術者に修正を進言したというくだりだ。社長の考えでは、温度計を差し込むなどということはせず、温度センサーを炉内に浮かしておけばよい、ということだったそうだが、結局、「机上の知識ばかり」の大企業技術者に従わざるを得なかった、という。
福島第一原子力発電所事故を調査したIAEA(国際原子力機関)の調査団も「非常に困難な状況下において、サイトの運転員による非常に献身的で強い決意を持つ専門的対応は模範的であり、非常事態を考慮すれば、結果的に安全を確保する上で最善のアプローチとなった」という評価を盛り込んだ調査報告書素案を日本政府に提出して、帰っていった(2011年6月2日ニュース「津波の危険過小評価IAEA調査団指摘 現場、政府の対応は賞賛」参照)。
福島第一原子力発電所事故とそのきっかっけとなった東北地方太平洋沖地震から立ち直るには、若い世代がもっと大きな役割を果たさないといけないのではないだろうか。復旧より復興という掛け声を中途半端なものにせず、しっかり実現し、中心的な役割をした人たちが、社会のさまざまな分野でリーダーになってくれないと。