これほどの災害に遭いながら被災者たちが整然と行動しているのを、外国メディアが賞賛している。そんな国内メディアの報道が気になった。「○日付ニューヨーク・タイムズ紙によると…」。こういうスタイルの記事を目にしたことがある人も多いだろう。海外メディアの報道に信頼を置く日本のマスメディアの“伝統”のようなものを感じる読者、視聴者は少なくないように思える。
海外から日本がどう見られているか。江戸時代以前の日本人がどうだったかは知らない。しかし、明治以降、日本人はずっと気にし続けているのではないだろうか。通信社の記者時代からどうも気になっていた。経済大国といわれるまでになっているのに、米国や欧州のマスメディアの言うことを額面通りというかむしろ過大に受け止め、伝えるのはそろそろやめてはどうか、と。逆の現象など、おそらくないはずだ。
と言いながら編集者も気にしている。この報道で思い出したのが、阿部博之氏(元東北大学総長、元総合科学技術会議議員)に聞いた話だ。阿部氏は英国暮らしが長かった経済学者、森嶋通夫氏(故人)の言葉を引いて、戦前の教育を受けた日本人が、戦後も日本人のエートスや倫理観も持ち続けていた、という。国家主義を否定した戦後にあってもこれらの人々は、古くから日本人に備わっていたエートス、倫理観を尊重していた、ということだ(インタビュー「知のエートス - 新しい科学技術文明創るために」第1回「21世紀にふさわしい価値志向」参照)。
エートスというのはギリシャ語だそうで、阿部氏もあえて原語のまま使っているように、なかなか日本語に置き換えにくい。「行為の反復によって獲得する持続的な性格・習性」(大辞泉)が編集者には比較的スンナリ来る。森嶋氏の指摘は、こうしたエートスや倫理観も若い世代には引き継がれず1990年代には希薄化してしまい、2050年には日本は工業国として世界でとるに足らない国になっているだろう、というのだ。
エートスなどと難しいことを持ち出さなくても、世界でも例を見ないほど高齢化が急速に進んだ現在である。日本人といっても、年代によって相当な気質の違いというのが生まれているのは当然ではないか。さらに少子化、核家族化、都市化の急速な進展である。例えば首都圏に住む日本人と、今回大きな被害を受けた青森から茨城にかけた地域に住む人々では家族構成、年齢比率も相当な違いができているだろう。平均的な気質だって、相当に変わってしまっているような気がする。この数日、都心の近所の店頭からさまざまな食品類が消えてしまっている光景を見るとなおさら。
今に始まったことでもないし、日本にだけ特有な現象でもない。ニューヨークと、例えば中西部の州でずっと暮らしている人々の気質だって、相当違うはずだ。そんな反論を受けそうだが、郷里、茨城県北部の地で被害にあった親族の話を聞くと、やはり考えてしまう。
自分だけ何か損をしているのではないか、などと考えず、困ったら助け合う。簡単なことが、当たり前のように行われている…。
「ふるさと納税」で茨城県に○万円を寄付したのは、確か1昨年だっただろうか。昨年はさぼってしまった。反省する。