レビュー

編集だよりー 2011年3月7日編集だより

2011.03.07

小岩井忠道

 40年以上の付き合いでも知らない面はたくさんあるものだなあ。同業の先輩である深野久氏の葬儀に参列し、つくづく思った。同時に、人間の性格も簡単には変わりようがないのかも、と。

 編集者が通信社に入って最初の仕事は社会部の察回りだった。出勤場所は池袋警察署の中にある記者クラブである。10時から22時まで警視庁の区分で第5方面と呼ばれる管内(文京、豊島、練馬、板橋、北区)で起きる事件、事故を警戒する毎日を送っていた。東京とはいえ、記事になるような話がいつもあるわけではなく、むしろ何もない日がほとんどだ。深野氏との出会いは、この池袋署記者クラブだった。

 ある時、早稲田大学生が交通事故で亡くなるという出来事があった。ニュースの多い東京では通常、記事にならないような話といえる。ところがこれが大きな記事としていくつかの新聞に載り、翌朝、あわてて取材する(業界用語で「追っかけ」)羽目に陥る。この大学生が沖縄出身で、幼少時に放置されていた不発弾に触れたのが原因で目が不自由になったという特異な事情があったからだ。編集者と深野氏はほかの記者たちが取材しているとも知らず、記者クラブでのんびり将棋を指していたのである。

 年齢もそう違わないし、なにより妙に馬が合い、将棋、マージャンだけでなく、よく連れだって飲みにも行ったものだ。その後、編集者が転勤になり、一時ほとんど会えない状態が続いた。しかし、最初の新聞社をやめて同じ通信社に途中入社してきたので、付き合いが復活する。

 定年には確かまだ1年くらい残していたのではなかっただろうか。ひょんなことで知り合った山形県真室川町長に誘われて、町の歴史民俗資料館の館長に就任する。「報酬も聞かず就任したら、あまりの安さに驚いた」。こんなところも金銭欲、権力欲がまるでない氏らしかった。一度、誘われて泊まりがけで伺ったことがある。「わたしゃ、真室川の梅の花」の真室川音頭で有名なのに、元々は特に梅が自慢とも言えない土地と聞いて、驚いたことを思い出す。

 通夜、告別式とも氏の同級生(新潟県立新発田高校卒)の姿が多かった。5年前、65歳になったのを機に館長を辞め、故郷に家を建てて終の住み処(ついのすみか)としたのだ。昨年7月、奥方から「体調がいよいよ芳しくない」という電話をいただいたので初めて新居を訪ねた。「あなたのような医者の言うことを全く聞かない患者を診ることは、医療費の無駄遣い。もう来ないでくれ、と医者に言われた」。相変わらず人ごとみたいな言葉に適当な相づちを打ちながら一緒に飲んだ。肝臓をはじめものすごい検査値が出ていることは、だいぶ前から聞かされていた話である。今さら好きな酒をやめてもしようがないだろう、と本人の立場になって考え…。

 告別式後のお斎(とき)で、高校1年生の時の担任だったという先生があいさつされた。故人の人となりを懐かしく思い起こさせるものだったが、一方、意外な一面にも驚く。故人たちが中心となってクラス歌をつくり、ハーモニカの伴奏で皆で歌ったという。さらに傑作だったのは、故人が一人で先生の下宿を訪ねてきたという話だった。「悩み事の相談かと思ったら、何と『クラスのことで悩んでいることでもないか。何かあったら言ってほしい』と逆に尋ねられた」という。

 「故人は高校時代、血気盛んな方だったように話されておられたが、本当か」。弔辞を読んだ方が隣の席だったので、聞いてみた。故人を含む親しい友人たちでよく授業をさぼり、町に繰り出してけんか沙汰になったことも…。弔辞で紹介された話も意外だったからだ。

 「深野さんは、社内では才気煥発(かんぱつ)、やりて、時には人を押しのけても、といった印象はまるでなく、むしろ正反対の人のように皆に思われていましたよ」。編集者の言葉に、今度は先方が目を丸くしていた。

 多分、高校生時代の深野氏の方が、本来の姿なのだろう。そういえば、知り合ったばかりのころ、言われたことを思い出す。「武士は食わねど…といったところがあるね」。思わぬ評にこそばゆい気がしたものだが、担任の先生、同級生たち10人余りによる新発田高校校歌の斉唱と故人の奥方に対するエールを聴きながら、ふと思った。

 わが水戸の母校の同級生たちとどこか言動、気質が似ている。編集者に対する人物評は案外、自分自身のことではなかったのか、と。

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