レビュー

編集だよりー 2011年2月1日編集だより

2011.02.01

小岩井忠道

 日本人のスポーツ観がひょっとしてだいぶ変わるかも。そんなことすら考えた一蹴りだった。アジア杯サッカー決勝戦の翌31日各紙朝刊のスポーツ面に載った写真を何度も見比べる。スポーツや舞踊をほとんどやったことがない人でも、李忠成選手のボレーシュートの写真に見入った人は多かったのではないだろうか。

 蹴る瞬間を最もピタリととらえていたのは産経、日経(ロイター配信)で、続いて毎日(AP配信)、読売、朝日、東京(共同配信)といったところだろうか。各紙の写真を並べてみて、つくづく感心する。体全体の傾き、軸足と蹴る足の状態、右腕と左腕の伸ばし方、曲げ方、角度、そして首、顔の向き、それらがすべて連携、調和してボールを蹴る左足先に力が集中できる最適の状態にあったに違いない、と。

 当たり前の話だが、スポーツの神髄は体全体をいかにうまく使うかである。腕力が強いだけで好投手、強打者になれるわけではなく、背が高いだけでリバウンドがやすやすととれる、ということもない。何より大事なのは、体の使い方のバランスをうまくとれるということではないだろうか。これが簡単にできるなら世話はない。頭で考えた通りに体が動くくらいなら、厳しい練習をする選手などいなくなってしまう。

 などと理屈をこねること自体、スポーツの醍醐味(だいごみ)から遠ざかるだけだろうから、この辺りでやめておこう。李選手のシュート瞬間を捉えた写真を見て、多くの人がスポーツに多様な魅力があることに気づいてくれたらそれに越したことはない、と願うばかりだ。

 ことしの正月も郷里の出身高校でバスケットボール部の後輩たちの練習を見学し、その後、新年会で一杯となった。一番の理由は食いものがまるで違っているということだろう。後輩たちの体格、スタミナは編集者の時代とは雲泥の違いである。小柄な選手もいるのは昔と変わらないが、とにかく部員たちの平均的な体力は格段に向上している。唯一、進歩していないものがあるとすると、シュートではないか。これが、ここ数年気になることだった。

 日本の中学、高校生が戦う球技大会の特徴の一つにトーナメント方式がある。これがなかなか新しい戦法を生み出しにくくし、個性ある選手が育ちにくいことに大きく影響しているのではないか、という気がしてならない。大会で優勝するためには途中で負けられないから、新しい試みや冒険はリスクが高く、やめとこうとなってしまうのではないだろうか。とにかく負けたら終わりだから、編集者も初めて戦うチームに対し、どの選手を警戒したものか気になったものだ。まずは相手チームの選手一人一人の顔つきを見る、というのが結構、有力な手段だったように思う。うまい選手は大体顔つきもキリッとしている、ということだ。ただし、これは失敗することもある。初対面の印象がまるで違っていた。こんな経験を社会人になってからも何度かしたのと同じだ。

 顔立ちの次に見るのは当然、試合前の練習の動きになるわけだが、一番注意したのはシュートのフォームだった。ジャンプシュートの形がよいかどうかで、その選手の力量を判断する。止まった状態からジャンプして空中で体が静止した時にシュートを放つ。これは相当に難しい体の動きである。昔は、ジャンプシュートができる女性の選手というのはまずいなかったくらいだ。だから、バランスのとれたきれいなフォームでジャンプシュートを放つ選手がいたら、それがおそらく警戒すべき中心選手ということになる。

 後輩たちを見てこの数年気になったことというのは、ほれぼれするようなジャンプシュートをする選手があまりいないことだ。「シュートだけはむしろ昔の方がうまい選手がいたのでは。そもそもきれいなフォームでジャンプシュートを打つ選手が少ない」。新年会の2次会の席で、先輩に聞いてみた。3年上で地元の大学チームや国体教員チームの代表選手として活躍した方で、編集者が高校時代はよく練習試合の相手になってくれたものだ。大学を卒業後、高校教師になり母校の後輩たちを指導した経験も持つ。

 「今は、とにかく早くシュートすることが重要になっている。普通にジャンプシュートを打つとブロックされてしまうことが多いから」

 はるか昔のささやかな経験だけで偉そうなことを言っても恥をかくだけ、と反省した。

関連記事

ページトップへ