レビュー

編集だよりー 2010年11月19日編集だより

2010.11.19

小岩井忠道

 韓国、フランスの合作映画「冬の小鳥」を見た。1975年当時の韓国を舞台にした作品で、ウニー・ルコント監督(脚本も)の体験に基づいている。元々は韓国人である監督の名前がフランス風なのは、作品の主人公同様、韓国の児童養護施設で暮らした後、フランス人に養女として引き取られ、成長したからである。

 韓国語を忘れてしまったというルコント監督が、祖国のスタッフ、俳優の協力を得てこうした作品を作り出したということにまず感服する。主人公である9歳の少女を演じたキム・セロンがなんとも素晴らしい。よくもこうピッタリの少女を見つけてきたものだと感心する。父親に児童養護施設に入れられ、それが永遠の別れになったという現実をなかなか受け入れられない少女を完ぺきに演じていた。前にどこかで会ったことがあるような妙な懐かしさを感じるうちに気がついた。そういえば編集者の娘もこの年ごろには、主人公のような頑固な面を持っていたな、と。考えてみると、監督は娘の数歳しか年上でない。作品の時代となった1975年当時、当たり前だが監督すなわち主人公の少女と娘はほぼ同じ年齢ということになる。となれば、娘を捨てた父親も編集者と同じ世代ということだ。既視感を持ったのも十分理由があるということだろうか。 

 主人公がなぜ父親に捨てられたのか。監督は詳しく描かず、主人公が医師に重い口を開きながら語る場面から、ある程度の事情を推測させるだけだ。「ある日新しいママと赤ちゃんがうちに来た。…赤ちゃんをだっこしたくなって抱きかかえてみたら泣きだした。…赤ちゃんの足を見ると安全ピンが刺さったみたい…。パパとママがそれを見て、私が刺した、私のせいで赤ちゃんが死にそうになったって…」

 多分、こうした主人公の家庭事情は監督にとって主要なことではないのだろう。この場面は、むしろどん底に突き落とされた主人公を取り巻く善意の人々の1人として医師もいた、ということを描きたかったのだと思われる。「父親にどうしても会いたい」と訴える主人公に対する院長の姿勢も好ましい。「電話番号も知らない」という答えに「住所を知っている」とあきらめない主人公のためにわざわざそこまで出かけていくのだ。おそらく徒労に終わるのを承知の上で。主人公が徐々に現実を受け入れていくために必要な周囲の暖かいサポートの一つとして欠かせない場面、ということだろう。

 児童養護施設で最初に主人公の心を開かせる年上の子のやさしさも胸を打つ。恵まれない人間ほど助け合いの心を持ちやすいということだろうか。その子が米国人夫妻の養女となり園を去っていく場面がある。主人公と2人で養女にしてもらおうと約束し合った子だ。この場面に涙はない。しかし、その前に夫妻の家に泊まりに行ったその子を夜、屋外でじっと待つシーンが、主人公の心の中を伝えて秀逸だった。

 このほかさまざまなエピソードが自然な形で盛り込まれている。養女となることを受け入れつつあることを示すシーンがあった。院長が養父母の候補者の写真を主人公に見せたのに対し、「年を取りすぎている」と主人公が“生意気な”感想を述べる。健康診断で注射器から顔を背けながら「針を刺す前に教えてね」と頼んだのに黙って採血した看護師に、涙声で文句を言う場面もあった。「約束したくせに、どうして守らないの」と。 

 この作品にどうしてこれほどシンパシーを感じることができたのか。実は編集者も主人公と同じ年ごろに母親を失った経験があるからだと思う。単身、東京で仕事をしていたので会うのは盆と正月に帰ってくる時だけだったからだろうか。死を受け入れるのに結構時間がかかった。遺体を引き取りに上京し、取りあえず東京で火葬にしたので、取り返しようもないことが起きたことは十分、分かったはずだ。しかし近所の友達と遊ぶ気になれず、何日間か一人でぼやっとしていたら、ある日、年下の子が呼びに来た。ついて行くと、いつも遊び場となっていた野原に年上、年下の遊び友達が大勢集まっていた。「また、一緒に遊ぼうや」というわけだ。

 ルコント監督は多分、キリスト教徒だと思う。主人公が入れられたのもカトリック系の児童養護施設だったし、随所にキリスト教に関するシーンが出てくる。最後に主人公が養子になることを決心するフランス人夫妻も多分キリスト教徒なのだろう。写真を見ただけで養子をもらうという決断をしたくらいだから。キリスト教を抜きにしてこの作品は成り立たないと思われるが、監督はそれをことさら強調していない。もっと普遍的なものを訴えたかったように見える。

 幸か不幸か編集者の身の周りにこうした宗教の影響はなかった。母親の死を受け入れたのも、人間は死んだら土や石と同じような存在になる、とあきらめたからだけのような気がする。「子どもたちには大人にはないような、あるいは大人がとっくに忘れてしまったようなバランス感覚がある」。この映画から最も強く感じたことは、そんなことではなかっただろうか。単に頑固なだけでもなく、やさしいだけでもない…。

 ルコント監督はまだ43,4歳。これを超えるような作品を今後撮れるだろうか。

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