レビュー

編集だよりー 2010年11月14日編集だより

2010.11.14

小岩井忠道

 「映画やコントのような制約がなく、言葉だけで発想を飛ばせる一番自由な表現方法」。「爆笑問題」の太田光氏が日経新聞の読書欄で語っていた。既に多くの著書があるが、今回初めて「マボロシの鳥」という小説を出した、という。歌手やタレントが小説を書く。昔はあまりなかったと思うが、考えてみれば不思議ではないのだろう。普通の人間では経験できないような世界の中で毎日暮らしているわけだから。

 太田氏が「制約がある」と感じる映画については編集者もかねがね似たような思いを抱いていた。昔は途中に休憩を入れた長い映画もあったが、興行上の制約がさらに厳しい今は2時間前後というのが許される長さだろう。原作と映画の両方を見た作品の中で「どちらもよくできている」と思ったものに「ダ・ヴィンチ・コード」(映画公開は2006年)がある。原作を先に読んで、これをどのように映画作品にまとめるのか大いに興味を持ったことを思い出す。食い足りないとも退屈だとも感じなかったから、成功した映画と言えるのだろう。調べてみたら、この作品の長さは2時間半だ。この長さあたりが今の娯楽作品としては、限度ということだろうか。

 映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督、上映時間2時間17分)がそろそろ公開期限となりそうなので、午後、丸の内TOEIに出かけた。中国から留学中のSさんと、Sさんがアルバイトとして夜働いている秋田料理店のママ、さらにママの友人と劇場前で待ち合わせる。Sさんは中国で大学を卒業した後、日本の大学に入り直し、卒業後は日本企業に入り中国でのビジネスで力を振るいたいと希望している。

 「入社希望の社に提出する作文を見てやって」。ママが言うので安請け合いしたら2、3日もしないうちにメールで送られてきた。「だれかがどこかで書いているのを引き写した、などと思われないようなことを書いた方がよい。自分が実際に経験したことから書き始めると相手は真剣に読んでくれる可能性が高い」。偉そうな助言をしたら、なぜ自分が日本に留学する気になったかから、日本に残って日本企業のために働きたいと考える理由まできちんと書いてある。最後に尖閣列島について逃げずに触れているのも、正々堂々としてよい。ただし、そのくだりだけ文章が急に硬くなって、中国政府の人間が書いているような印象を与えるのが気になった。

 「3年間アルバイトで働いている銀座の店の客はレベルが高く…」などとも書いてあるから、客の1人として失望させるのは申し訳ない。尖閣列島のくだりの立派すぎる文章を数行削るなどの手を入れて送り返した。それが、1週間ほど前の話だ。映画館前に現れたSさんに「面接の結果はどうだった」と尋ねたところ、残念ながら不採用の返事が来た、とのこと。先方は経験のある人間を求めていたようだとも言うので「向こうの要求と合わなかっただけ」と慰めた。

 映画を観た後、近くの店でのどを潤す。Sさんには少々内容が難解すぎたようだ。まず、朝廷と幕府の関係が理解困難だったらしい。それはそうだ。編集者だって実はよく分からない。徳川宗家と水戸徳川家との関係もなかなか複雑のようだし。

 「刑務所がきれいだったのが驚きだ。中国はとても汚いから」。Sさんの感想に意表を突かれる。「囚人が病気になったら診る医者までいたのよ」。ママの言葉に藤沢周平の小説「春秋の檻 獄医立花登手控え」を思い出す。医師である叔父宅に居候している青年医師が、酒好きで仕事熱心とは言えない叔父に仕事を押しつけられたり、叔母に家の仕事でこき使われたりしながら江戸・小伝馬町の牢医師としてさまざまな事件にかかわる。そんな設定が面白かった。

 「どうして最後に国会議事堂が出てくるの」。これには皆、大笑いした。桜田門は、てっきり水戸にあるとばかり思っていたというのだ。作品の最初と最後に今の桜田門付近の情景を表すシーンが出てくるのだが、桜田門からパンして国会議事堂を映す最後のシーンに困惑したというのは、よく分かる。

 「桜田門外ノ変」は、企画から製作まで水戸在住の高校の後輩たちが中心になった。市民がつくりあげた映画として、後々まで話題にされる作品ではないかと思われる。既に7月に水戸で行われた試写会でも観ており、今回が2回目だったが、初回では気づかなかったシーンがやはりいくつもあった。それにこの日は聴覚障害者のために字幕付きフィルムでの上映である。難聴でかつ集中力がしばしば途切れる編集者にとっては実にありがたい。台詞を聞き(見)逃がす心配もなく、そのうえ話している人物の名前が表示されるのだから。

 映画の制約。日経新聞の記事に戻るが、太田光氏はどこまで考えて言ったのだろう。編集者は、どんな複雑な話でも2時間前後に収めなければならない、という厳しい制約がまず頭に浮かぶ。さらに中国人留学生のSさんと一緒に鑑賞したおかげで、もう一つ大きな制約があると気づいた。通常、観客は1度しか作品を見ないということである。2時間前後の作品の台詞を一言一句聞き漏らさず、情景もすべて脳裏に刻み込む、などという観客がどれほどいるものだろうか。

 編集者の場合ははっきりしている。とてもできそうもない。「国会議事堂が出てくる意味が分からなかった」。Sさんのような経験は、特に外国の作品の場合、これまで数限りなくあったに違いない。台詞を聞き逃して肝心の場面の魅力、面白さに気づかなかったことも、また…

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