レビュー

編集だよりー 2010年8月27日編集だより

2010.08.27

小岩井忠道

 早朝、NHKラジオを聴いていたら、ルイ・アームストロングが歌う「この素晴らしき世界」が流れてきた。3日前の日経新聞24日夕刊文化面に出ていた記事を思い出す。歌手生活45年という森進一の近況を伝えていた。

 小室哲哉の作詩・作曲・編曲による新曲に挑んだばかりというベテラン歌手が、録音の過程で発見したこととして次のように語っている。

 「コンピューターでマイクを通した僕の声の波形を分析したところ、ざらついた声が和音になっていて…、例えばドの音を出してもドミソが同時になっている」

 この記事を思い起こし、ルイ・アームストロングの声も、森進一氏と同じように普通の歌手には見られない波形かも、と思いをめぐらす。

 ある音を発したとき、5度上の音、ドの音ならソの音も聞こえ、3度上、ミの音も聞こえるという信じがたい話は、先月、旧知の合唱指揮者である田中秀男氏に聞いたばかりだ(2010年8月17日編集だより参照)。大勢の人が歌う合唱ならではのことか、と勝手に思っていたが、一人の声でもそういうことがあり得るというのに驚く。

 森進一氏は、日経の記事の中で次のようにも言っている。「感覚的には分かっていたけど、あらためて(コンピューターが描く)画面を見ると驚きだった」

 本人は、前々から自分の声の特徴をきちんとつかんでいたということだろう。デビュー当時、「なんだこのしわがれ声は」と感じた人たちも多かったと想像するが、ご本人は、気にせず自分の声のスタイルを貫いてきたということではないだろうか。「まねできるならまねしてみろ」と。

 少年時代にいろいろ面倒を見てもらった伯父(正確に言うと母のいとこ)がいる。外地で戦争を経験した傷痍(しょうい)軍人で、戦後は当時珍しかった酪農に取り組むなど活動範囲の広さがほかの親族とはちょっと違っていた。1974年のNHK紅白歌合戦で大トリの森進一が「襟裳岬」(岡本おさみ作詩、吉田拓郎作曲)を歌ったことがある。「あんな歌が」と、この伯父が憤然としていたのを思い出す。祖母に聞くと、伯父は一時、東海林太郎に弟子入りしようとしたこともあるほどののど自慢だったという。乗用車に同乗していたとき一度だけ古い歌謡曲を口ずさむのを聴いたら、確かに正統派の歌い手といった感じだった。

 フォーク調の歌がレコード大賞と日本歌謡大賞を取り、さらに紅白の大トリにもというのは我慢ならない。そんな気分だったのだろうとずっと思っていたが、あるいは森進一の声自体も気に入らなかったのだろうか。

 「襟裳岬」は、作曲者の吉田拓郎も自身のLPの中で歌っている。ギター1本の伴奏だったと思うが、森進一の歌とは似ても似つかず、退屈な曲という印象しか持てなかったことも思い出す。編曲もさることながら、やはり森進一が歌ったからあれだけヒットしたということなのだろう。

 これから歌を聴くとき、単にうまいかへたかではなく、森進一的な声かどうかが気になりそうだ。3度上、5度上の音が実際に聞き取れるか、となるとまず無理だろうが。

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